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2010年08月
2010年08月19日

Last Up Date from SOS

いつものローカル医療機関SOSから、
モスクワ・スモッグに関するアップデートが来ましたので、
一応、簡単に訳した物をアップしておきます。

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空気の質は改善されて入るものの、まだ沢山の火災は続いています。
状況は流動的です。

気象情報によると、ほとんどの地域では気温は下がり、雨が降った場所もあり。これからも雨の予報がされている。しかし、これは、日々変わりやすい。

(今までも、雨の予報は何回もあり、ずっと肩すかしをされていたしね。)
直接影響を受ける都市部に関しては、まだスモッグの影響を受けやすい状態にある。

空港に於いては、8月18日現在、視界良好、遅延も減便もない。

事態はまだ収まった訳ではないので、旅行者は状況をしっかり確認する必要がある。
リスク要素のある人
呼吸器系疾患、心臓、内分泌系、妊婦、子供などの事でしょう。)のモスクワへの不要不急の旅行は、事態が完全に収集するまで控える事を勧める。
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これはSOSからの最後のアップデートだと言う事です。

ちなみに、これは、モスクワ特派員のぶひから送られて来た
今日のモスクワの様子です。

pic03304

少し郊外だね。

pic09017

町中。

pic17901
業務連絡、業務連絡〜。ぶひさん、画像が荒いです〜。(ーー)

やっぱり少しケムのヤロオがいるね。。。

在モス、訪モスの皆さん、お気をつけを。
おやすみぃ〜。


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risurisu_journal at 00:23│ブログランキングPermalinkComments(8)TrackBack(0)このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 治安・安全 | 医療・健康
2010年08月18日

モスクワ・スモッグ ~up to date~

私が東京に避難してから、モスクワは気温も下がり
煙も収まったりしていた。

一方日本は、私がこちらに来てからも、気温がぐんぐん上り
ついには昨日、最高記録の37℃越えを記録した。

つまり私は、モスクワの酷暑ピーク時から、
東京の酷暑ピークへと

酷暑ピークのハシゴをした事になる。。。

いえ。。。後悔はありませんよ。。。
(ーー;)
いや、マジでマジで。。。


だって、煙は完全に去った訳ではなく、
目に見えなくても、大気汚染がなくなったわけじゃない。
もっとも、状況がだいぶ良くなっている事は確かなようだけど。

さて、どんな感じかというと。。。

モスクワの英字メディア The Moscow TimesAP の記事から

==========

火曜日に、モスクワは再び煙に覆われた。
しかし、大気汚染は、今月初めのピーク時と比べるとかなり少なくなっている。


この24時間で、モスクワ周辺の火災地域の4分の1以上の消化をしたものの、まだ14の火災がモスクワ市東と南東で続いている。


一酸化炭素のレベルは、最大許容値の範囲以内にとどまっているが、炭化水素は許容範囲の2倍となっている。その後、風の向きが変わると、状況も改善した。

熱波は今週後半には収束すると見られているが、健康被害の恐れは続く。

この7月、モスクワでは昨年比で5840人多くの人が亡くなった。

医療専門家は、この暑さは、全ての臓器に悪影響をもたらす。呼吸器、内分泌系、糖尿病や自殺行為、アルコールに関係した神経衰弱なども増えると見ている。


==========

一酸化炭素は、火事のときに一酸化炭素中毒で亡くなる例も多く
怖い物質だと言う事は良く知られているが
炭化水素も侮れず

人が炭化水素の蒸気を吸引することで、急性の神経症状を発生したり、
シックハウス症候群など慢性症状を引き起こす場合がある。〜

by Wikipedia

うーん、こっちも怖いねぃ。。。

気温の方は、天気予報でも(揺れ幅はあるものの)
やはり気温が大きく下がる見込みらしく
今日出ている予報でも、金曜日の最高気温がなんと。。。

P1020644


14℃。
寒いっちゅーねん。。。(((( ;゚д゚)))

こんなに急激に下がったら、それはそれで体調崩すぞ。

それにしても今回の災害は、“人災的要素”が非常に高い気がする。
以前の記事でも書いたけど、
まず、国土に対して消防士や機材の数が圧倒的に足りないくせに
(しかも機材も古いらしいし)さらにそれを縮小するような政策を取っていた。
“火消し”に関する欠落。

ちなみに、現場ではどんな感じで消火活動をしているかというと

こんなんです。

写真

そして、おばちゃんもお手伝い。

写真2

こんなんして、

写真3
以上の写真x3枚、全てニュースサイトから拝借。

こんな感じです。


。。。


(ーー)


。。。



消えるかッ
ヽ(#`Д´)ノ


泥炭ってさー、石油の出来る途中のもんだからさー
ほとんど燃料なんだけどさー
沼の様に溜まってるからさー
表面だけ消してもダメなんだよねーーーー。
ペットボトル消化対応で、合ってる?????(ーー;)

しかも、火事を発見して消防署に電話しても何時間も繋がらず
あげくの果てに
「行けない。消防車ないし。」
って、断られた事例もあるらしい。


そして、健康管理の欠落。

==========

専門家は、長期間の危機における健康管理の欠如を批判している。
「私たちは将来の見通しを念頭に検討してこなかった。それは、大きな間違いである」

2003年の熱波の後、ドイツやフランスの欧州諸国は迅速に健康管理の方針を改善して来た。しかし、ロシア当局は(モスクワ周辺で泥炭火災や森林火災が過去にも起こっていたにも関わらず)同じ様な手段を取ってこなかった。


==========

もー当然なんだけどさ、
やっぱこういうのは“セット”でやってもらわないとね、“セット”で。
火消し作業と、傷病被害のケアをさ。

この夏は、病院も満杯で対応出来ない時があったみたいだし
そういえば、モスクワの救急車とか、足りてるのか疑問。。。
墓地もキャパオーバーになってたとか。。。


それなのに、プーちゃんことプーチン大統領は、こんな発言を。。。

==========

国内外の消防士達に感謝を表しながらも

「この災難が、我々の玄関先に訪れた時、

私たちは誰にも助けや補助を頼む必要はなかった。」

"When disaster came to our doorstep,
we didn't have to ask anyone for help and support,"

by ぷーちゃん。

==========

りゃぁああ〜〜〜っ
(#`皿´) ムキーーーー!

いや、会話の前後が分からないので、違う意図があったのかもしれない。
もしかしたら、このあとに

「。。。と、一瞬思ったんだけどさ〜
そーいやぁ〜、オイラ、色々縮小しちゃったからさ〜、
もしかしたら、ヤバいかも?って思って、お願いしたかったんだよね〜。
マジ、ありがとね♪」

とか、付いてるかもしれないし。。。


。。。


付いてないに、100万点。(ーー)凸


==========

12カ国以上の国々が、515の消防士、96の消化機器などをもって貢献。
7カ国から飛行機が、
4カ国からレスキュー・チームが
ドイツ、スペイン、アメリカからは専門家が提供された。

==========

こんなに色んな国から支援受けてんのよ、ぷーちゃん。
むしろ、もっと早く頼むべきだったでしょ?

ちなみに、この支援国の中に、日本は入っていない。
ま、日本は隣国とはいえ、西ロシアへは遠いからね。。。
やっぱ、欧州の近隣諸国が先頭にたって。。。

。。。

あ。。。あめりかは。。。?(ーvー;)

アメリカさんも、ロシアからは結構遠いよね。。。

アハっ。。。


お隣さんなのにぃ。。。orz。。。

==========
ちょっと追記します。(8/20)
今まで色々と、スモッグ関係の記事を書いて来たが
一つだけ、見つけられなかった情報がある。
上空からの火災状況画像。
それを見つけたので、ここにリンクを貼っておきます。
このサイトはなんと。。。

日本語です。

そう、情報提供国は日本。
JAXAさんです。

何だか、結局日本で一番興味を持って、この事を追ってくれるのは
JAXAだったんじゃないか。。。って気がする。
(ーー;)

記事1
記事2


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2010年08月17日

クロアチア旅行(5)でも、モンテネグロ。

ドブロブニクからさらに南下すると、何か生えてる植物の種類も変わって来て

kotor01


えんぴつの木(命名byりり)が独特の雰囲気を作り出している。

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こんな何にもない所にも、ソベ(Sobe)と呼ばれる民宿があって

kotor03

車を止めて写真を撮っていると、宿主が『泊まらないか』と声をかけて来た。

しばらく行くと、再び国境。

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この国境の先が、モンテネグロだ。

国境からほど近い場所に、深い入り江があり

kotor05

その奥深い場所にある世界遺産、
ローマ時代以前からの歴史のある街、コトル(Kotor)。

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コトルは自然遺産でもあり、
この険しい山に囲まれたフィヨルドの様な入り江も世界遺産。

文化遺産の方は、この城壁を含む旧市街。

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城壁は、背後に聳える岩山まで上っており

kotor08

9世紀には既に完成していたという。

旧市街の中は、小道にの階段を上って行くと

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すぐに城壁に当たってしまう程、小さなエリア。

kotor11

けど、城壁自体は
その全長は4、5km、
厚さ2〜15m、
高さ20m。

ってことは、そのほとんどは、背後の山を囲っているんだね。

kotor09

こちらはカトリックの教会。

kotor12

モンテネグロは、カトリックと東方正教会の分岐点の国で
この旧市街の中には正教の教会もある。
。。。筈だったんだけど、どれか分からんかった。。。(ーー;)

同時に、先日のユーゴ紛争に関する記事にも書いた
使用言語の表記文字に関しても、ローマ字とキリル文字が使われている。

その記事で書いた通り、クロアチアではローマ字のみを使用し
宗教の方はカトリック。
一方、モンテネグロは、文字に関しても、宗教に関しても
ローマ字と(ロシア語でも使われている)キリル文字
カトリックと(ロシア正教に近い)東方正教がある点が興味深い所。

kotor13kotor14

小さい所だけど、観光客も多くて
しかも日本人のツアー客にも居てびっくり。

でも、大きな山を背負うように、

古〜い建物が立ち並んでる姿は、確かに魅力的カモ。


kotor15


泊まったホテルは、コトルよりもずっと国境に近い
ヘルツェグ・ノビ(Herceg Novi)。
選んだホテルが、大当たりだった。

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まだ新しいホテルみたいだし

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窓が大きくて開放感があるし

窓からの眺めは

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さいこーデッス!

ホテルを出れば、すぐにビーチデッキだし

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夜景も中々。。。

kotor21

モンテネグロ、まだまだ見所多そう!
またいつか、行ってみたいね〜♪
==========
Hotel Perla


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2010年08月16日

終戦の形。

今日は日本の終戦記念日でした。
海外に住んでいると、うっかりこの日を忘れてしまいがちだが
日本にいれば、テレビではニュースも特番も戦争関連が目立ち
思い出さずにいられない。

今や日本人は、その8割が戦争を知らない世代なのだそうな。
学校でも勉強するし、戦争映画も沢山見て来た。
それでも、“生々しい何か”に突き当たるたびに
ー私って、戦争の何も知らなかったー
と、何回も、何回も思い知らされる事を繰り返して来た。

例えばそれは、
60年以上、戦争については何一つ語ってこなかったという
人生が終わりに近づいたご老人の姿。
確かNHKの番組だったと思う。
自分が撃った敵が、もがき苦しむ様子
仲間が無惨な姿で助けを求める様子
時には、溢れる感情が言葉にならない言葉となって口からこぼれ落ち
時には、乾いた喉に詰まった砂を吐き出す様に切れ切れに、
人がこんなに苦しそうに話す姿を、見た事がない、と思った程だった。
このご老人は、60年以上、
こんな苦しい体験を誰にも語れず生きて来たのだと思うと
益々苦しくなる。

人は辛い事や悲しい事を
人に語ったり、文書にしたりする事によって、少し癒される。
でも、話したり書いたりする時って、
同じ体験を、もう一度頭の中で経験するのと同じくらい大変だ。
だからきっと、あのご老人は“本当に”もう二度と経験したくない
と思ったのだろう。
しかし戦争を知らない世代だけになりつつある今、
彼は本当の戦争の姿を、後世に伝えなければいけない、と
文字通り、自らの口をこじ開けて語ってくれたのだ。

そして、先日のクロアチア旅行。
(モスクワのスモッグの記事等もあって、旅行記はまだ途中ですが。。。^^;)

日本でも、旅行先としてかなり有名になって来たクロアチアだが
欧米からの旅行者は、日本からの比ではない程の多さ。
クロアチアも、その周辺の国々も、今や観光大国となっている。
夏場はどこも人で溢れ、青い空に透き通った海、降り注ぐ太陽、
と、どこを切り取っても底抜けに明るく見える。

でも、少し目を凝らすと、
この国が、ついこの間まで戦火の中にあった事が分かる。

ご存知の様に、クロアチアを含む周辺諸国は
つい最近までは“ユーゴスラビア”と呼ばれていた国々。

1980年後半に、東側諸国で民主化の動きが活発化する中
ユーゴスラビア紛争(1991〜2000)と呼ばれている内戦が
各地で起こり、それぞれの地域で独立を果たして行く。

その中の一つがクロアチア紛争。
クロアチア国内ではクロアチア人とセルビア人が住んでいたが
ユーゴに於けるセルビア人支配に、クロアチア人の不満が募り
クロアチア独立を宣言すると
セルビア側は、クロアチアに残されたセルビア人保護の大義を掲げ襲撃、
戦闘が激化して行った。
(ユーゴの紛争は様々な背景があり、非常に複雑。本当はもっと細かいよ!)

結果、今までゴチャゴチャに暮らしていたクロアチア人とセルビア人が
まさに隣人同士の殺し合いを始める悲劇が始まる。

当時、あまりにも複雑に絡み合った紛争のニュースに
正直、何がなんだか良くわからずにテレビを見ていた。
しかし、今でも強く印象に残っているのは
廃墟と化した民家の陰から銃を持ちながらインタビューに答える若い兵士。

「なぜこんな事になってしまったのか。
ついこの間までは隣人として暮らしていたのに。」

目に涙を沢山浮かべながら、
それでも戦い続けなければならない彼の絶望的な悲しさに
背景も良くわからないまま、私もまた悲しくなったのを良く覚えている。

1991年に始まったこの紛争が集結したのは、つい1995年の事。

実は、今回の旅行の初日。
ザグレブからプリトヴィッツェに向かう途中で、
この時の“遺産”と思える景色を見る事になった。

高速から降りてすぐの小さな田舎街。
新しいけれども、ヨーロッパらしい可愛い家々が整然と立ち並ぶ中
まるで、歯が抜けた様に所々に残る廃墟。
よく見ると、その廃墟には無数の銃弾の跡が残っていた。
クロアチアに入って一番最初に観光したものが、この廃墟になった。
(あまりの光景に、写真に撮るのをためらってしまった。)
そしてその瞬間から、太陽降り注ぐ南ヨーロッパに来たはずだったのに
15年前にテレビのニュースで見た、悲惨なユーゴの紛争の映像が
ずっと脳裏を駆け巡る事になった。

後で調べると、やはりプリトヴィッツェも、
国境が近くセルビア人が多かった事もあって、激しい戦闘が起こった場所だった。
激戦に驚いた森の動物達も、一時期は姿を消してしまったという。
ドブロヴニクも、この時に大きな被害を受けており
“危機遺産”として登録されていた時期がある。

私達が今回の旅行で回ったほとんどの街で、この様な傷跡が見られた。
例えばシベニクという街の旧市街。

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ボツボツと穴があいているが、

war2

おそらく銃弾でしょう。

そして、オーミッシュという小さな街で泊まったホテルの隣のアパート。

war4

これも銃弾だね。

war3

プリトヴィッツェ近くで見たのは、こんな物ではなく
もっと生々しく、激しい物だったけど
この程度の銃痕は、クロアチアのあちこちで見られた。

それらの銃痕を見るた度に、戦時中の悲惨な絵と
今自分の周りに実際にある、観光客で一杯だったり
自然溢れる静かな町並みだったりが、あまりにもかけ離れていて
しばしば複雑な気持ちになっていた。

戦後65年が経った日本でも、当時を生きた人の中では
あのNHKに出ていたご老人の様に、惨い程鮮明に戦争は続いている。
たった15年前の戦争が、クロアチアの人達の中で癒えている筈がない。

そして、一方では終戦記念日を“戦勝記念日”として祝うロシアの姿があり
ますます私を困惑させるんだ。

戦争って、嫌だよね。
でも、もっと色々と、多角的に知らないとダメだよね。
戦争はダメだよ!二度としたらいけないよ!って言うためにさ。
(学生時代怠け者だった身としては、学ぶべき事が多すぎですが。。。ーー;)


所で、ユーゴスラビアとは南(ユーゴ)スラブ(スラビア)という意味だと
ロシア語教師のナタリアに習った。
今回、彼女にクロアチアに行く旨を話したら
「現地の言葉、少し分かると思うわよ。
あの辺りの言葉は、私もほとんど理解出来る程似てるのよ。」
と、教えてくれた。
それもそのはず、旧ユーゴ圏の人達はロシア人と同じ“スラブ人”であり
スラブ人の定義は“スラブ語を話す人”であるらしい。
クロアチアでは、キリル文字こそ使われていないが
ローマ字で書かれた文字を発音すると、ロシア語になってしまう単語も多い。
実際、方言程の差もない程なのだそうだ。

それにしてもクロアチア内では、本当に全くキリル文字を見なかった。
もちろん、英語や日本語までも併記していある旅行者用パンフレットでは
キリル文字もあったが、町中の標識や看板には一切のキリル文字がなかった。
しかし、隣のモンテネグロまで行くと、頻繁に使われている。

war21
 モンテネグロの薬屋さん。真ん中から左がキリル文字。

実はこれも戦争が関係しており、
クロアチアは、クロアチア人として他国との差別化を図るために
独立後、キリル文字を禁止したのだそうな。
クロアチア人に取っては、セルビア人支配下で使われていたキリル文字にさえ
憎悪の対象になっているのかもしれない。

こんな所にも戦争の(傷)跡が残ってるんだね。

今の奇麗なクロアチアが、これからはずっと続くといいな。


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risurisu_journal at 00:39│ブログランキングPermalinkComments(8)TrackBack(0)このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 一時帰国中 
2010年08月13日

負け犬とでも、呼んで下せぃ。。。

モスクワでは昨夜、本当に久しぶりにまとまった雨が降った、
。。。そうな

雷も鳴って、水たまりも出来て、
しかし、今朝はもうすっかりカラカラに干上がってしまっている、
。。。らしい

。。。

そうでいぃす。。。

ワタクシ。。。

恥ずかしながら。。。


今朝、母国に逃げ帰って参りました。(ーvー;)

上記の情報は、全て置き去りにして来たぶひからのもの。テヘッ


午前11時のモスクワの気温を見てみると

22℃?!

私が尻尾を巻いて逃げた途端に
モスクワ熱波はその脅威の牙を収めたというのか?!(ーー;)
もちろん、それならそれで大歓迎なんだけどさ。。。

しかし、聞く所によると“泥炭”って奴は非常に厄介で
表面の火が消えても、中の方でいつまでも燻り続け
またそこから火が上がったりするとの事。
そりゃそうだよね。泥炭っちゃ〜ほぼまるまる燃料な訳だし。。。
しかも、その泥炭の中には“温暖化物質”が入っていて
それが燃える事によって、大気中に広がり、地球にも大きな影響を与えているとか。。。
と、帰りの飛行機の中でビデオが流れていた。
もう、こうなってくると、地球規模の大失態だね、ロシア。
もっと、早く、ナリフリ構わず対処すれば良かったのに。。。
。。。って、それが出来るくらいなら、最初からもう少し安全対策してるって。。。

ま、しかし、とにかくこの3、4日は、
モスクワでも“焦げ臭くない空気”が吸えているという事の様だ。
それでも空気中の汚染物質が消え去った訳じゃない、と
方々で言われているので、ここでも念を押しておきます。

それにしても、この時期のモスクワ(&サンクトのセット?)ツアー客は
本当に多い。
先月一時帰国した時もそうだったが、
飛行機の中は、行きも帰りもツアーの人達で一杯!
今朝着いた便でもそうだったけど、
あの人達は煙害、大丈夫だったのだろうか。。。?
前半の2、3日がサンクトで後半の2、3日がモスクワなら
この状況のモスクワに於いて、かなり通常に近い状態の街を見ることができた
とてもラッキーな方々だという事だが、
『まるまる1週間モスクワ満喫!』的なツアーだったら
きっと大変だったろうなぁ。。。
などと、色々と想像を巡らしながら様子をうかがってしまった。
一見では、著しく具合の悪そうな人も居なかったので
大丈夫だったのかな、とは思うけど
この時期にツアーを遂行する事自体が、かなりリスキーだよね〜。
ホントにラッキーだったのは旅行会社の人かもね。

さて、成田に着いた私を迎えてくれたのは

08131
中央に高く霞んで見えるのは、噂のスカイ・ツリーって奴?!

バスの中から見る、一面霞んだ東京の街。。。

もうね〜。。。こういう景色、見るだけで具合が悪くなるよ。。。(ーー;)
これはもちろん、雨降って曇ってるだけなんだけどさ。
なんだか、この10日間で視覚がすっかりトラウマ化してしまってるらしい。
それも、バスから降りて
“新宿のさわやかな澄んだ空気”を吸うと、少しずつ楽になって来たよ。

まさか、新宿の空気が“さわやか”で“澄んでいる
なんて思う日が来るとは思わなかったけどね。。。(==;)

とりあえず、思いっきり息が出来て、ホッとしました。
色々とご心配頂いた皆様、ありがとうございました♪
こっちからも、出来る限りのモスクワ情報を追いかけマッス


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risurisu_journal at 23:41│ブログランキングPermalinkComments(0)TrackBack(0)このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック ニュース | 一時帰国中