2011年12月
2011年12月31日
本年も、ありがとうございました。
なんだか、怒濤の1年だった。。。
思えば私の年明けは、ローマでの残念カウント・ダウンと空港テロだった。
何だか、今年の出来事とは思えない程、遠い事になっている。
その後、311以降は、逆についこの間の事の様。
311以前と以後の間に記憶の壁があるみたいにクッキリと分かれている。
あの日以来、一日たりとも考えなかった日はない。
今まで確かだったと思っていた物が、全て不確かになり
闇雲に信じていた事を「信頼」だと思っていた事に気づき
世界一安心安全な日本の、その安心と安全がハリボテで出来ていたとも気づかされた。
ありとあらゆる価値観が大きく変わった。
フクイチの収束宣言がされたばかりだが、
何が収束したのか、その意味を理解出来る人は少ないと思う。
原発も、津波も、地震も、何一つ収束していない。
本当に大変なのは、おそらくこれからだろう。
同時に、震災に関する興味の温度差が
これから先、もっともっと広がっていくだろう。
今日(12/31)の朝日新聞の35面。
こんな記事が掲載されていた。

紙面の半分以上を使って、大きく載せている。
撮る 故郷伝えるため
陸前高田出身の写真家・上田聡さん
復興支援「母もしたはず」
がれきにちょこんと座ったぬいぐるみ。頭はないけど、たぶん、テディベア。あの瞬間が訪れるまで、誰かに優しく抱かれていたはずだった。
渋谷区に住む写真家・上田聡さん(36)が3月15日、故郷の陸前高田で撮った1枚だ。母の美代子さん(当時57)が津波に飲まれたと見られる場所にあった。
瓦礫の中、周囲には泥を払ったぬいぐるみや写真がぽつぽつと置かれていた。「自衛隊や消防団の方が、『誰かの思い出が詰まってるから』と並べてくれたんでしょうね。」
あれから9ヶ月。故郷で撮った写真を手に、上田さんは国内外を飛び回る。被災地の悲しみと復旧の現状を伝え、支援の輪を広げる為に。「もし母が生きていれば、故郷のために何かをしていたはずだから」
母は上田さんと6歳年下の弟がまだ幼い頃に離婚し、女手一つで2人を育てた。介護ヘルパーとして働き詰めの日々。それでも、家に帰れば「学校はどう?」「宿題は?」と何かと心配してくれた。
「それが煙たかった。それに、何もない田舎から早く抜け出したかった」。流行のファッションや音楽、何より「東京」に憧れた。
高校を中退し、アルバイトで金をためて上京した。イベント制作会社でのアルバイトをきっかけに、ファッションショーの設営から企画、動画や写真の撮影と幅広く腕を磨いていった。
そうした仕事は、なかなか母に理解されなかった。地に足をつけた仕事なの?たまの電話はささいな事で口げんかになった。
そろそろ親孝行がしたい。生活にゆとりが出て来た30歳の頃、そんな気持ちが芽生えた。帰郷するたびに外食や買い物に連れ出した。一度家族旅行に行かないか。そう言うと、母は「疲れるからいいわよ」と照れた。
約束をかなえる前に3月11日を迎えた。
地震のあと、丸2日かけて東京から陸前高田へ。あの時、母の車は市街地で渋滞に巻き込まれ、ぎりぎりで津波を逃れた車の2台後ろにあったと知人から聞いた。
遺体は、あのテディベアから7キロほど離れた場所で見つかった。「人の役にたちなさい」と言い続けた母。死に顔は寝顔のように安らかに見えた。
故郷のために、写真を撮り続けようと決めた。
4、5年前にCDジャケットやファッション誌に向けて撮り始め、生業した写真は、報道が扱う様なテーマとは無縁だった。それが今年は一切の仕事を断り、貯金を切り崩して故郷の様子を撮り続けた。
陸前高田にはほぼ1月1回のペースで通いながら、写真展を始めた。仕事仲間のイタリア人の紹介でローマから始め、東京、マカオ、モスクワ、ロンドン、ドイツ・デュッセルドルフ……。これまでに約30カ所を巡った。
震災情報が少ない海外から、多く依頼を受ける。「原発事故が起きたフクシマを除けば、もう大丈夫だと思い込んでいた。」「まだまだ大変なのですね」。そんな言葉とともに支援を申し出てくれる人たちと、被災地の団体の橋渡し役を担う。
講演を頼まれると、壇上からこう語りかける。
「明日、大切な人がいなくなってしまうと想像してみてください。そんな方が被災地にはたくさんいるんです」
どこか落ち着かない空気が都会を包む年の瀬。上田さんは30日も港区の事務所で写真集づくりに没頭した。被災地の学校や図書館に配り、津波の怖さを後の世代まで伝えるために。
いつか、笑顔であふれる写真展を開き、復興を遂げた故郷の姿を世界に伝えたい。
「微力でも、自分にできることをやり続けます。いつ何が起きても、後悔しないように」
私も深く心に刻んだよ。。。
明日からは、新しい一年。
私の様な人間に何が出来るか分からないけど
忘れないし、出来る事を模索していきたい。
もちろん、モスクワも頑張ります。
オマケ。。。
2011年7月7日付、読売新聞の欧州衛星版。

拙ブログながら、こうして取り上げて頂けるのも
ミナミナ様方のおかげと、常日頃から深く感謝しております。
こんなフツーなワタクシメに白羽の矢を当てて下さり
丁寧に取材して下さった
読売新聞モスクワ支局の寺口さんにも、多謝でございます。
いつも書いていますが、私が伝える情報よりも
読んで下さる皆さんから得る情報や、言葉から
私はより多くの物を得ています。
本当に、本当にありがとうございます。
来年もどうぞ、よろしくお願いいたします。
りすりす通信モスクワ支局 平記者:りり
思えば私の年明けは、ローマでの残念カウント・ダウンと空港テロだった。
何だか、今年の出来事とは思えない程、遠い事になっている。
その後、311以降は、逆についこの間の事の様。
311以前と以後の間に記憶の壁があるみたいにクッキリと分かれている。
あの日以来、一日たりとも考えなかった日はない。
今まで確かだったと思っていた物が、全て不確かになり
闇雲に信じていた事を「信頼」だと思っていた事に気づき
世界一安心安全な日本の、その安心と安全がハリボテで出来ていたとも気づかされた。
ありとあらゆる価値観が大きく変わった。
フクイチの収束宣言がされたばかりだが、
何が収束したのか、その意味を理解出来る人は少ないと思う。
原発も、津波も、地震も、何一つ収束していない。
本当に大変なのは、おそらくこれからだろう。
同時に、震災に関する興味の温度差が
これから先、もっともっと広がっていくだろう。
今日(12/31)の朝日新聞の35面。
こんな記事が掲載されていた。

紙面の半分以上を使って、大きく載せている。
撮る 故郷伝えるため
陸前高田出身の写真家・上田聡さん
復興支援「母もしたはず」
がれきにちょこんと座ったぬいぐるみ。頭はないけど、たぶん、テディベア。あの瞬間が訪れるまで、誰かに優しく抱かれていたはずだった。
渋谷区に住む写真家・上田聡さん(36)が3月15日、故郷の陸前高田で撮った1枚だ。母の美代子さん(当時57)が津波に飲まれたと見られる場所にあった。
瓦礫の中、周囲には泥を払ったぬいぐるみや写真がぽつぽつと置かれていた。「自衛隊や消防団の方が、『誰かの思い出が詰まってるから』と並べてくれたんでしょうね。」
あれから9ヶ月。故郷で撮った写真を手に、上田さんは国内外を飛び回る。被災地の悲しみと復旧の現状を伝え、支援の輪を広げる為に。「もし母が生きていれば、故郷のために何かをしていたはずだから」
母は上田さんと6歳年下の弟がまだ幼い頃に離婚し、女手一つで2人を育てた。介護ヘルパーとして働き詰めの日々。それでも、家に帰れば「学校はどう?」「宿題は?」と何かと心配してくれた。
「それが煙たかった。それに、何もない田舎から早く抜け出したかった」。流行のファッションや音楽、何より「東京」に憧れた。
高校を中退し、アルバイトで金をためて上京した。イベント制作会社でのアルバイトをきっかけに、ファッションショーの設営から企画、動画や写真の撮影と幅広く腕を磨いていった。
そうした仕事は、なかなか母に理解されなかった。地に足をつけた仕事なの?たまの電話はささいな事で口げんかになった。
そろそろ親孝行がしたい。生活にゆとりが出て来た30歳の頃、そんな気持ちが芽生えた。帰郷するたびに外食や買い物に連れ出した。一度家族旅行に行かないか。そう言うと、母は「疲れるからいいわよ」と照れた。
約束をかなえる前に3月11日を迎えた。
地震のあと、丸2日かけて東京から陸前高田へ。あの時、母の車は市街地で渋滞に巻き込まれ、ぎりぎりで津波を逃れた車の2台後ろにあったと知人から聞いた。
遺体は、あのテディベアから7キロほど離れた場所で見つかった。「人の役にたちなさい」と言い続けた母。死に顔は寝顔のように安らかに見えた。
故郷のために、写真を撮り続けようと決めた。
4、5年前にCDジャケットやファッション誌に向けて撮り始め、生業した写真は、報道が扱う様なテーマとは無縁だった。それが今年は一切の仕事を断り、貯金を切り崩して故郷の様子を撮り続けた。
陸前高田にはほぼ1月1回のペースで通いながら、写真展を始めた。仕事仲間のイタリア人の紹介でローマから始め、東京、マカオ、モスクワ、ロンドン、ドイツ・デュッセルドルフ……。これまでに約30カ所を巡った。
震災情報が少ない海外から、多く依頼を受ける。「原発事故が起きたフクシマを除けば、もう大丈夫だと思い込んでいた。」「まだまだ大変なのですね」。そんな言葉とともに支援を申し出てくれる人たちと、被災地の団体の橋渡し役を担う。
講演を頼まれると、壇上からこう語りかける。
「明日、大切な人がいなくなってしまうと想像してみてください。そんな方が被災地にはたくさんいるんです」
どこか落ち着かない空気が都会を包む年の瀬。上田さんは30日も港区の事務所で写真集づくりに没頭した。被災地の学校や図書館に配り、津波の怖さを後の世代まで伝えるために。
いつか、笑顔であふれる写真展を開き、復興を遂げた故郷の姿を世界に伝えたい。
「微力でも、自分にできることをやり続けます。いつ何が起きても、後悔しないように」
(中川文如)
私も深く心に刻んだよ。。。
明日からは、新しい一年。
私の様な人間に何が出来るか分からないけど
忘れないし、出来る事を模索していきたい。
もちろん、モスクワも頑張ります。
オマケ。。。
2011年7月7日付、読売新聞の欧州衛星版。

拙ブログながら、こうして取り上げて頂けるのも
ミナミナ様方のおかげと、常日頃から深く感謝しております。
こんなフツーなワタクシメに白羽の矢を当てて下さり
丁寧に取材して下さった
読売新聞モスクワ支局の寺口さんにも、多謝でございます。
いつも書いていますが、私が伝える情報よりも
読んで下さる皆さんから得る情報や、言葉から
私はより多くの物を得ています。
本当に、本当にありがとうございます。
来年もどうぞ、よろしくお願いいたします。
りすりす通信モスクワ支局 平記者:りり


2011年12月30日
帰国までと帰国ちう
26日の午後にモスクワを出たのだが
市内中心→ドモデドボ空港 の所要時間は、渋滞がなければ1時間ちょっと。
でもまぁ、だいたいにおいて渋滞があるのがモスクワのデフォルトであるので
およそ2時間程度の時間を見ておくのが常。
今回は年末の、これまた大渋滞デフォルト期間であるので
出発の4時間ちょっと前に家を出た。
これで、2時間マックス 掛かったとしてもダイジョウV!(ーvー)Y
。。。とか安心してたら大間違いであった。。。
温い温い、雪もなかなか積んねー。。。
と、このブログでも文句をたれていた今年のモスクワ 。。。
出発の数日前から、まともな雪が降り始め
街中は雪景色になっていたのだけど
よもや、出発当日のその日に。。。
大吹雪が来るなんて。。。orz
そして、またしても。。。 ('A`|||)
。。。
モスクワの街の道路は、3つの主要環状線を中心に作られている。
一番小さいのがクレムリンを囲む様に作られた“ガーデンリング”
次が、それを囲む“ガーデンリング”
そして、一番大きいのが市内と市外の境界線ともなる“MKAD”
我が家はガーデンリングの上半分の地域にあり
モスクワ郊外南に位置するドモデドボ空港に向かうには
ガーデンリングを使ってぐるっと南下し、
空港へ続く道に差し掛かれば、そこを曲がってさらに南下。。。
という道のりが一番近い。
ただ、ガーデンリングが渋滞で、サードリングがすいている場合は
敢えて我が家より北(空港とは反対方向)に位置するサードリングまで行き
そこからガーデンリングよりも大輪で南に到達するまで距離のある
サードリングを使う場合もある。
しかし。。。
ガーデンリングもサードリングも大渋滞である場合は
間違いなく、ガーデンリングを使った方が早い。
当然である。
そもそもサードリングまで出るのに渋滞し
サードリングにたどり着いた所で、さらに渋滞の波の中へ入り
しかも、距離はガーデンリングを行くよりもずーーーーっと長い。
お察しの通り。。。
今回の私のドライバーさんは、迷う事なく
サードリング・コースを。。。(ーー;)
全く。。。
ただでさえ大吹雪で時間が掛かるのは必至であるにもかかわらず
その道を運転して下さったのが、モスクワ名物
「残念ドライバー」だなんて。。。
私ったら、なんて運が良いんでしょう。。。(ーー)
空港までは3時間たっぷり。
チェックイン・カウンターには誰一人並んでいないという幸運と
暇すぎたせいか、10分くらいジロジロと パスポートを見られたパスコンも
別の意味でイライラしたが、並ぶ事なく通過出来、
出発前40分のところでラウンジまでたどり着いた。
結局、雪のため1時間半くらい機内で待たされ
機長の「※オーチン スパシーバ (どうもありがとうございました、と言ったつもり)」
という残念な挨拶で、無事に離陸した。
※正しくは「ボリショエ スパシーバ」でぃっす。
機長さん、誰に聞いたのかしら?Google先生もそんな訳出さないよ。。。(^^;)
さて、そんな訳で、今週から日本におります。
こんな年末ギリギリに帰っても、
街は激混みで、田舎生活7年目の私にとっては拷問。。。
歯医者で検診してもらおうにも、既にお休み。。。
しかも、来年になると予定が結構ガッツリなので
この先一体どれだけの友達に会え、ネット以外での買い物が出来るのか
既に疑問。。。
今更だけど、年末の一時帰国って、あんまり生産的じゃねーな。。。 (ーー;)
そんな中でも、昨日は恐ろしく人だらけの渋谷へ。。。
(しかし、友達曰く、これでも少ない方だと。。。嗚呼、もうオバハンには渋谷むりぽ。。。)
と。。。ご存知、渋谷のスクランブル交差点にて
どっかで見た事ある方が。。。

「デモに行こう」。。。?

おお!反原発アイドルの藤波心ちゃん14歳ではねぃですかっ?!
心ちゃんは、フクイチ爆発後、割と早い時期に原発に疑問を呈した
ネットでは相当話題になった、脱原発アイドル。
ぜひ、今改めて当時のブログを見て欲しい。
14歳とは思えない、しっかりとした文章で原発の危うさを滔々と述べている。
で、後ろを振り返ると

原発都民投票の署名運動。
おお!こりはっ!!ぜひ署名せねばっ!!!
。。。と、生まれも育ちも東京、戻る場所も最終的には東京であろう
超東京っ子の私にも、「署名させてくりっ!」と、近寄るも。。。
「東京に住民票がないと駄目です。」
ガーーーーーン。。。ノ( ̄0 ̄;)\オー!!ノー!!!!
「わた〜しのじゅみんひょうはぁ〜、もすくわでぃ〜〜すぅ。(フランソワーズ・モレシャン風)」
「。。。すみません。お友達に広めて署名するように言って下さい。」
。。。はい。。。(T_T)
と言う訳で、街中で原発都民投票を見かけて、ご賛同頂ける方。。。
ぜひ。。。わたしの。。。代わりも兼ねて。。。orz
注1:この署名はネットでは出来ません。
注2:この場合の
「ご賛同」=「反原発」ではありません。
「ご賛同」=「原発に対する都民の民意を聞けや、ゴラァっ!」ですのでヨロピク♪( ̄ー ̄)

そんな感じで、しばらくの間は
「りすりす通信@東京支局」からお届けします。(ーvー)b
市内中心→ドモデドボ空港 の所要時間は、渋滞がなければ1時間ちょっと。
でもまぁ、だいたいにおいて渋滞があるのがモスクワのデフォルトであるので
およそ2時間程度の時間を見ておくのが常。
今回は年末の、これまた大渋滞デフォルト期間であるので
出発の4時間ちょっと前に家を出た。
これで、2時間マックス 掛かったとしてもダイジョウV!(ーvー)Y
。。。とか安心してたら大間違いであった。。。
温い温い、雪もなかなか積んねー。。。
と、このブログでも文句をたれていた今年のモスクワ 。。。
出発の数日前から、まともな雪が降り始め
街中は雪景色になっていたのだけど
よもや、出発当日のその日に。。。
大吹雪が来るなんて。。。orz
そして、またしても。。。 ('A`|||)
。。。
モスクワの街の道路は、3つの主要環状線を中心に作られている。
一番小さいのがクレムリンを囲む様に作られた“ガーデンリング”
次が、それを囲む“ガーデンリング”
そして、一番大きいのが市内と市外の境界線ともなる“MKAD”
我が家はガーデンリングの上半分の地域にあり
モスクワ郊外南に位置するドモデドボ空港に向かうには
ガーデンリングを使ってぐるっと南下し、
空港へ続く道に差し掛かれば、そこを曲がってさらに南下。。。
という道のりが一番近い。
ただ、ガーデンリングが渋滞で、サードリングがすいている場合は
敢えて我が家より北(空港とは反対方向)に位置するサードリングまで行き
そこからガーデンリングよりも大輪で南に到達するまで距離のある
サードリングを使う場合もある。
しかし。。。
ガーデンリングもサードリングも大渋滞である場合は
間違いなく、ガーデンリングを使った方が早い。
当然である。
そもそもサードリングまで出るのに渋滞し
サードリングにたどり着いた所で、さらに渋滞の波の中へ入り
しかも、距離はガーデンリングを行くよりもずーーーーっと長い。
お察しの通り。。。
今回の私のドライバーさんは、迷う事なく
サードリング・コースを。。。(ーー;)
全く。。。
ただでさえ大吹雪で時間が掛かるのは必至であるにもかかわらず
その道を運転して下さったのが、モスクワ名物
「残念ドライバー」だなんて。。。
私ったら、なんて運が良いんでしょう。。。(ーー)
空港までは3時間たっぷり。
チェックイン・カウンターには誰一人並んでいないという幸運と
暇すぎたせいか、10分くらいジロジロと パスポートを見られたパスコンも
別の意味でイライラしたが、並ぶ事なく通過出来、
出発前40分のところでラウンジまでたどり着いた。
結局、雪のため1時間半くらい機内で待たされ
機長の「※オーチン スパシーバ (どうもありがとうございました、と言ったつもり)」
という残念な挨拶で、無事に離陸した。
※正しくは「ボリショエ スパシーバ」でぃっす。
機長さん、誰に聞いたのかしら?Google先生もそんな訳出さないよ。。。(^^;)
さて、そんな訳で、今週から日本におります。
こんな年末ギリギリに帰っても、
街は激混みで、田舎生活7年目の私にとっては拷問。。。
歯医者で検診してもらおうにも、既にお休み。。。
しかも、来年になると予定が結構ガッツリなので
この先一体どれだけの友達に会え、ネット以外での買い物が出来るのか
既に疑問。。。
今更だけど、年末の一時帰国って、あんまり生産的じゃねーな。。。 (ーー;)
そんな中でも、昨日は恐ろしく人だらけの渋谷へ。。。
(しかし、友達曰く、これでも少ない方だと。。。嗚呼、もうオバハンには渋谷むりぽ。。。)
と。。。ご存知、渋谷のスクランブル交差点にて
どっかで見た事ある方が。。。

「デモに行こう」。。。?

おお!反原発アイドルの藤波心ちゃん14歳ではねぃですかっ?!
心ちゃんは、フクイチ爆発後、割と早い時期に原発に疑問を呈した
ネットでは相当話題になった、脱原発アイドル。
ぜひ、今改めて当時のブログを見て欲しい。
14歳とは思えない、しっかりとした文章で原発の危うさを滔々と述べている。
で、後ろを振り返ると

原発都民投票の署名運動。
おお!こりはっ!!ぜひ署名せねばっ!!!
。。。と、生まれも育ちも東京、戻る場所も最終的には東京であろう
超東京っ子の私にも、「署名させてくりっ!」と、近寄るも。。。
「東京に住民票がないと駄目です。」
ガーーーーーン。。。ノ( ̄0 ̄;)\オー!!ノー!!!!
「わた〜しのじゅみんひょうはぁ〜、もすくわでぃ〜〜すぅ。(フランソワーズ・モレシャン風)」
「。。。すみません。お友達に広めて署名するように言って下さい。」
。。。はい。。。(T_T)
と言う訳で、街中で原発都民投票を見かけて、ご賛同頂ける方。。。
ぜひ。。。わたしの。。。代わりも兼ねて。。。orz
注1:この署名はネットでは出来ません。
注2:この場合の
「ご賛同」=「反原発」ではありません。
「ご賛同」=「原発に対する都民の民意を聞けや、ゴラァっ!」ですのでヨロピク♪( ̄ー ̄)

そんな感じで、しばらくの間は
「りすりす通信@東京支局」からお届けします。(ーvー)b


2011年12月23日
今年最後の蚤の市。
9月にも行った蚤の市、またやってます。
前々回行った時と、前回行った時で出店が結構被ってたり
見覚えのある商品が結構目についたりしていたので
今回も同じかなぁ〜。。。と思って行ってみたんだけど
クリスマス前と言う事もあるのか、
品物も店も、全体的に少し変わってたので、また面白かった。
最初に目についてしまったのが。。。コレ。

。。。なんちゅー顔じゃ。。。(ーー;)
しかし結構なお値段が付いている。。。
裏を見てみると。。。

нкмп。。。
うーん。。。なんか分からんが、きっとソ連時代の有名な窯なのかも。。。


そしてアンティークではお馴染みのカトラリーや食器。


アンティークの達人の友達Y恵さんの家に遊びに行くと
こういうのがさりげな〜く出て来て、普段の生活で使ってる。
そんな風に使えるセンスが、ワタシにもあればいいんだけど。。。
なかなか自分が家でアンティーク食器やカトラリーを使ってる姿が想像出来ず
いつも躊躇しちゃうんだよね〜。欲しいんだけど。。。^^;
そんな事とは全く関係なく、悩んだ一品がコレ。

18世紀のデンマーク製で銀、しかもりすっ!
。。。って事で少々悩んだが、お値段3,000Rub。。。
もうちょっと繊細なデザインだったら良かったんだけど
少〜しプレートっぽい平面的な印象を受けたので
1周回って悩んだ挙げ句、パス。
1,000Rub.くらいだったら迷わず買ってたかもね〜。
そして、この紙切れ。。。

良く見ると100Rub. とか書いてある。
そう、お札。
薄っぺらくって、へにょへにょの紙質
そして、すぐに偽装できそうなシンプルなデザイン。
本物?!とか思っちゃうけど。。。本物なんだろうね〜。
2、3回使って、ちょっと濡れたら破損してしまいそうな儚い感じ。。。^^;
こんなの使ってたんだね〜。
いつも見入ってしまうチェブ・バッチの数々。


ホントに色んなデザインのチェブがあって

「え?これってチェブなの??」
というくらい残念な感じもソ連臭漂ってグぅー!

こんなレトロなチェブもあった。
そして、(多分)手編みのニットを出してるこのお店では。。。

「え?これってキティなの??」
というくらい、本気で残念な。。。

モスクワではすっかりお馴染みの『キティもどき』
雑過ぎる。。。orz
気を取り直して。。。

こんな素朴で、ちょっとユカイなクマちゃんの人形も面白い。。。
。。。が。。。
ふと横を見ると。。。

ユカイなクマちゃんの後ろに写り込んでるアンティーク人形の
パーツをアクセサリーに仕立てて2次利用するという残新なアイデア。。。


鼻と口だけ切り取って使ってたり、
ヘッドを丸々ピアスにしてたり
腕や足だけ切断してブローチにしてたり。。。
斬新過ぎて、そのセンスが皆目理解でけまへん。。。(ーー;)
必ず見て回るのが

アンティークのジュエリー。

ロシアのアンティーク・ジュエリーは、
かつて外国人が自由に出入り出来なかったという事情もあって
結構良い状態のモノが比較的リーズナブルに手に入るんだって。

実はデザインも繊細で、良く見ると
ブローチにもペンダントヘッドにもなるようなモノは
ブローチとして使う時は、チェーンを通す“マルカン”みたいな部分が取り外せたり
芸が細かいマイスター・ワークだったりする。
今はまだ見てるだけだけど、ロシアを離れる前に
一つくらい何か買いたいな〜と思って、いつも物色しているのだ。
そして、今回、この時期ならではだと思うけど


クリスマス・ツリーのオーナメントが多かったね。
新しいのも売ってるけど、写真のモノはアンティーク。
西側の様なキラビヤカさはないけど、
少し残念な所と、素朴な所が、この国ならではの雰囲気。
ただし、お値段はそれなり。。。

会場には、そんなアンティーク・オーナメントをあしらったツリーも飾ってある。
細かく見てると、アッと言う間に時間が経っちゃうよ♪
==========
≪Блошиный рынок≫
Tишинская площадь, дом 1, строение 1
12月25日(日)まで
入場料:200Rub.
メトロ:マヤコフスカヤ/ベラルースカヤ
前々回行った時と、前回行った時で出店が結構被ってたり
見覚えのある商品が結構目についたりしていたので
今回も同じかなぁ〜。。。と思って行ってみたんだけど
クリスマス前と言う事もあるのか、
品物も店も、全体的に少し変わってたので、また面白かった。
最初に目についてしまったのが。。。コレ。

。。。なんちゅー顔じゃ。。。(ーー;)
しかし結構なお値段が付いている。。。
裏を見てみると。。。

нкмп。。。
うーん。。。なんか分からんが、きっとソ連時代の有名な窯なのかも。。。


そしてアンティークではお馴染みのカトラリーや食器。


アンティークの達人の友達Y恵さんの家に遊びに行くと
こういうのがさりげな〜く出て来て、普段の生活で使ってる。
そんな風に使えるセンスが、ワタシにもあればいいんだけど。。。
なかなか自分が家でアンティーク食器やカトラリーを使ってる姿が想像出来ず
いつも躊躇しちゃうんだよね〜。欲しいんだけど。。。^^;
そんな事とは全く関係なく、悩んだ一品がコレ。

18世紀のデンマーク製で銀、しかもりすっ!
。。。って事で少々悩んだが、お値段3,000Rub。。。
もうちょっと繊細なデザインだったら良かったんだけど
少〜しプレートっぽい平面的な印象を受けたので
1周回って悩んだ挙げ句、パス。
1,000Rub.くらいだったら迷わず買ってたかもね〜。
そして、この紙切れ。。。

良く見ると100Rub. とか書いてある。
そう、お札。
薄っぺらくって、へにょへにょの紙質
そして、すぐに偽装できそうなシンプルなデザイン。
本物?!とか思っちゃうけど。。。本物なんだろうね〜。
2、3回使って、ちょっと濡れたら破損してしまいそうな儚い感じ。。。^^;
こんなの使ってたんだね〜。
いつも見入ってしまうチェブ・バッチの数々。


ホントに色んなデザインのチェブがあって

「え?これってチェブなの??」
というくらい残念な感じもソ連臭漂ってグぅー!

こんなレトロなチェブもあった。
そして、(多分)手編みのニットを出してるこのお店では。。。

「え?これってキティなの??」
というくらい、本気で残念な。。。

モスクワではすっかりお馴染みの『キティもどき』
雑過ぎる。。。orz
気を取り直して。。。

こんな素朴で、ちょっとユカイなクマちゃんの人形も面白い。。。
。。。が。。。
ふと横を見ると。。。

ユカイなクマちゃんの後ろに写り込んでるアンティーク人形の
パーツをアクセサリーに仕立てて2次利用するという残新なアイデア。。。


鼻と口だけ切り取って使ってたり、
ヘッドを丸々ピアスにしてたり
腕や足だけ切断してブローチにしてたり。。。
斬新過ぎて、そのセンスが皆目理解でけまへん。。。(ーー;)
必ず見て回るのが

アンティークのジュエリー。

ロシアのアンティーク・ジュエリーは、
かつて外国人が自由に出入り出来なかったという事情もあって
結構良い状態のモノが比較的リーズナブルに手に入るんだって。

実はデザインも繊細で、良く見ると
ブローチにもペンダントヘッドにもなるようなモノは
ブローチとして使う時は、チェーンを通す“マルカン”みたいな部分が取り外せたり
芸が細かいマイスター・ワークだったりする。
今はまだ見てるだけだけど、ロシアを離れる前に
一つくらい何か買いたいな〜と思って、いつも物色しているのだ。
そして、今回、この時期ならではだと思うけど


クリスマス・ツリーのオーナメントが多かったね。
新しいのも売ってるけど、写真のモノはアンティーク。
西側の様なキラビヤカさはないけど、
少し残念な所と、素朴な所が、この国ならではの雰囲気。
ただし、お値段はそれなり。。。

会場には、そんなアンティーク・オーナメントをあしらったツリーも飾ってある。
細かく見てると、アッと言う間に時間が経っちゃうよ♪
==========
≪Блошиный рынок≫
Tишинская площадь, дом 1, строение 1
12月25日(日)まで
入場料:200Rub.
メトロ:マヤコフスカヤ/ベラルースカヤ


2011年12月22日
所謂“ファンシー・ショップ”?『подeпо』
お土産を探すのに良さそうな店、
以前紹介したПарадоксと、ほとんど同じ様な品物が置いてある
подeпо

名前こそ全然違うけど、系列店なんだろうね。
こちらの方が、ショーウィンドウが大きいので
何が置いてあるか外からも分かり易いし、入り易い。


そして、店内も少し大きい。


キリル文字のマグやお皿等の食器や


個性的なぬいぐるみ
(Парадоксで紹介したコワカワなチェブ&ゲーナもあったよ)

ソ連時代の古本みたいなノートをはじめとした文具

これはレトロな万華鏡。
ほとんど両方のお店に同じ物か似た様なものがある。

このゴッツい置物みないのは、実はバインダーなんだけど
デザイン違いのゴッツ・バインダーがПарадоксにもあった。
多分、本当は両方の店で置いてるんだけど、どっちかで売れてしまったから
一方の店にしかない、って感じなんだろうな。
実際、コワカワのチェブ&ゲーナはПарадоксでは売れてしまっていた。
ただし、こっちにしかない物もある。
例えば、アクセサリー。


Парадоксの記事でも、面白アクセサリーは紹介したけど
こっちの方が、断然品数が多い。
そして、


ドライフラワーを入れた小瓶のピアスとか
本物の蝶の羽やシダの葉を標本っぽく。。。というかほぼ標本そのものを
ペンダント・ヘッドにしてみたり。。。
一歩間違えれば気持ち悪
とても個性的な
が、しかし、こちらも、実際にアクセサリーとしての用途での需要があるのかどうか
若干微妙だけど、ネタ的には面白い。(ーvー;)
そして、これはПарадоксには置いてないよ。

ザ・ソ連(チック?)チョコ。

包み紙に、ゴルビーさんやレーニンさん等
ソ連を彷彿とさせる柄が描いてある。
ロシアのチョコは、大抵、包み紙がレトロで可愛くて
味が残念な感じなので(その残念感が好き、と言う人もいるけど)
このチョコも味はどうだろう???と思うけど
ネタ的には悪くない。
この店とПарадоксは、見るだけでも楽しい。
既に両方の店に何度となく足を運んでいる。
総評としては、こちらの方が少し充実してる感があるが
一方の店で品切れの時は、もう一方の店にある可能性もあるので
覚えておくといいかも。
ちなみに、この両店は微妙に距離のある徒歩圏内。^^;
=========
подeпо

Malaya Bonnaya Ul. 28/2
+8 (495) 697-04-17
メトロ:マヤコフスカヤ(サドバヤ側の出口が近い)
以前紹介したПарадоксと、ほとんど同じ様な品物が置いてある
подeпо

名前こそ全然違うけど、系列店なんだろうね。
こちらの方が、ショーウィンドウが大きいので
何が置いてあるか外からも分かり易いし、入り易い。


そして、店内も少し大きい。


キリル文字のマグやお皿等の食器や


個性的なぬいぐるみ
(Парадоксで紹介したコワカワなチェブ&ゲーナもあったよ)

ソ連時代の古本みたいなノートをはじめとした文具

これはレトロな万華鏡。
ほとんど両方のお店に同じ物か似た様なものがある。

このゴッツい置物みないのは、実はバインダーなんだけど
デザイン違いのゴッツ・バインダーがПарадоксにもあった。
多分、本当は両方の店で置いてるんだけど、どっちかで売れてしまったから
一方の店にしかない、って感じなんだろうな。
実際、コワカワのチェブ&ゲーナはПарадоксでは売れてしまっていた。
ただし、こっちにしかない物もある。
例えば、アクセサリー。


Парадоксの記事でも、面白アクセサリーは紹介したけど
こっちの方が、断然品数が多い。
そして、


ドライフラワーを入れた小瓶のピアスとか
本物の蝶の羽やシダの葉を標本っぽく。。。というかほぼ標本そのものを
ペンダント・ヘッドにしてみたり。。。
とても個性的な
が、しかし、こちらも、実際にアクセサリーとしての用途での需要があるのかどうか
若干微妙だけど、ネタ的には面白い。(ーvー;)
そして、これはПарадоксには置いてないよ。

ザ・ソ連(チック?)チョコ。

包み紙に、ゴルビーさんやレーニンさん等
ソ連を彷彿とさせる柄が描いてある。
ロシアのチョコは、大抵、包み紙がレトロで可愛くて
味が残念な感じなので(その残念感が好き、と言う人もいるけど)
このチョコも味はどうだろう???と思うけど
ネタ的には悪くない。
この店とПарадоксは、見るだけでも楽しい。
既に両方の店に何度となく足を運んでいる。
総評としては、こちらの方が少し充実してる感があるが
一方の店で品切れの時は、もう一方の店にある可能性もあるので
覚えておくといいかも。
ちなみに、この両店は微妙に距離のある徒歩圏内。^^;
=========
подeпо

Malaya Bonnaya Ul. 28/2
+8 (495) 697-04-17
メトロ:マヤコフスカヤ(サドバヤ側の出口が近い)


2011年12月20日
生温っ!!@今年のモスクワ
今年の冬は、少々しんどい@モスクワ。
「冬のモスクワはいつもしんどいんじゃない?」
と、思われる方も多いかもしれないけど、私は意外と冬のモスクワが嫌いじゃない。
まず、真っ白な雪に覆われたモスクワの街はキレイだ。
道ばたのゴミも、犬の落とし物も
デコボコな道路に溜まる汚い水も
全部雪が覆い隠してくれる。
そして何よりも、太陽が出る。
日は短いけれど、その短い時間に
太陽が出て、雪をキラキラと照らして
色がなくなったモスクワの街を明るくしてくれる。
そんな中での零下10℃が毎日続いて
外出の準備が重装備になる面倒くささを考慮しても
中途半端に寒くて、雨が多くて足下が悪い
しかも太陽も出ない秋口の天気よりは、冬の方がよっぽどましだ。
さて、今年の冬。。。
12月も半ばを過ぎたと言うのに、雪らしい雪が降っていない。
降ったかと思っても、すぐに止んでしまい
積もるには至っていない。
昨日も。。。

「おお!いよいよ吹雪いてるぞ!!」
とか思っていたのに、一夜明けたら大した量の雪も積もらず
しかも

道路はご覧の通りの水浸し。。。
本日も日中の気温は零下にならず。

足下はぐしょぐしょ。。。
防水のブーツを履いていても、薄手のものだとつま先が冷え冷えして来る。
これくらいの気温だと、まだまだ雨も降るので傘も手放せない。
つまり、太陽も出ない。
まるで薄暗くて寒い秋が、ずっと続いているみたいだ。
その上。。。
覚えているだろうか。。。
ロシアは、この冬からサマータイムを取りやめた。
つまり、多くの国では10月あたりから
時計を1時間遅らせて、朝の始まりを少し日の出の時間に近づけている。
ロシアはそれを止めた。
理由は、
「時間を変えるのは健康に悪いから」
「お年寄りや動物は特に、時間を変えると体に堪えるから」
という事だったが。。。
もともとそんな理屈に懐疑的であったが、
この度のサマータイム廃止を、緯度の高いモスクワで経験し
今、私がヒシヒシと感じている事は
動物は、日の出と供に起床するものだと言う事。
注:昼行性の動物ね。
想像してみて欲しい。。。
朝8時。

朝9時。

野生に生きる昼行性の動物が、この暗闇に目を覚ますと思いますか?
答えは
NO ですよ。
ドイツに住んでいる時は、毎朝、ベランダにやってくるリスにゴハンをあげる為
夏は5時、
冬は8時に起きていた。
この事の意味する事は、
りっちゃん達は、日の出の時間に合わせて
実にナチュラルにサマータイムを導入していると言う事だ。
おいっ、ぷー
ホントに体に悪いのは、自然の摂理に逆らって
人間のシステムを固持する事だと言う事に気づかんかい、ゴラァっ

。。。とか、誰か進言してくれないでしょうか。。。(ーー;)
そして、前述した様に、今年のモスクワの雪の降らなさ加減は
日照率を思いっきり下げて、やっと夜が空けて来たと思っても

どんより。
ちなみに10時頃。
ちなみに、これは今年の2月、朝9時前。

まぁ、2月ともなれば、少しは夜明けが早くなるので
どんなにどんよりしてても、今の朝9時よりは明るくなるんだけど
それにしても、このクリアな空の色。
これこそ、人間が起きる時間の空ですよ、奥さん!!
そんなわけで、
こんな温くて足下グチャグチャの中、森にも行けず
外出もうざったく。。。
私の頭も冷温停止状態。。。
こんな生温い気温じゃぁ〜、せっかく降った雪も
積もる事なくメルトダウン、汚染水放出ちうです。
今週末には、いよいよ−5℃を下回ってくるとの予報も出ているが
果たして本当にそうなるのか。。。
モスクワのクリスマス・ツリーは
目下、雨とどんより雲の下。

西側のクリスマス(25日)前に


雪の下のツリーになるのか。。。

ま。。。ロシア的クリスマスは、年が明けた※1月7日なので
まだ猶予はあるのだけど。。。(ーー;)
※ロシア正教のクリスマスね。
「冬のモスクワはいつもしんどいんじゃない?」
と、思われる方も多いかもしれないけど、私は意外と冬のモスクワが嫌いじゃない。
まず、真っ白な雪に覆われたモスクワの街はキレイだ。
道ばたのゴミも、犬の落とし物も
デコボコな道路に溜まる汚い水も
全部雪が覆い隠してくれる。
そして何よりも、太陽が出る。
日は短いけれど、その短い時間に
太陽が出て、雪をキラキラと照らして
色がなくなったモスクワの街を明るくしてくれる。
そんな中での零下10℃が毎日続いて
外出の準備が重装備になる面倒くささを考慮しても
中途半端に寒くて、雨が多くて足下が悪い
しかも太陽も出ない秋口の天気よりは、冬の方がよっぽどましだ。
さて、今年の冬。。。
12月も半ばを過ぎたと言うのに、雪らしい雪が降っていない。
降ったかと思っても、すぐに止んでしまい
積もるには至っていない。
昨日も。。。

「おお!いよいよ吹雪いてるぞ!!」
とか思っていたのに、一夜明けたら大した量の雪も積もらず
しかも

道路はご覧の通りの水浸し。。。
本日も日中の気温は零下にならず。

足下はぐしょぐしょ。。。
防水のブーツを履いていても、薄手のものだとつま先が冷え冷えして来る。
これくらいの気温だと、まだまだ雨も降るので傘も手放せない。
つまり、太陽も出ない。
まるで薄暗くて寒い秋が、ずっと続いているみたいだ。
その上。。。
覚えているだろうか。。。
ロシアは、この冬からサマータイムを取りやめた。
つまり、多くの国では10月あたりから
時計を1時間遅らせて、朝の始まりを少し日の出の時間に近づけている。
ロシアはそれを止めた。
理由は、
「時間を変えるのは健康に悪いから」
「お年寄りや動物は特に、時間を変えると体に堪えるから」
という事だったが。。。
もともとそんな理屈に懐疑的であったが、
この度のサマータイム廃止を、緯度の高いモスクワで経験し
今、私がヒシヒシと感じている事は
動物は、日の出と供に起床するものだと言う事。
注:昼行性の動物ね。
想像してみて欲しい。。。
朝8時。

朝9時。

野生に生きる昼行性の動物が、この暗闇に目を覚ますと思いますか?
答えは
NO ですよ。
ドイツに住んでいる時は、毎朝、ベランダにやってくるリスにゴハンをあげる為
夏は5時、
冬は8時に起きていた。
この事の意味する事は、
りっちゃん達は、日の出の時間に合わせて
実にナチュラルにサマータイムを導入していると言う事だ。
おいっ、ぷー

ホントに体に悪いのは、自然の摂理に逆らって
人間のシステムを固持する事だと言う事に気づかんかい、ゴラァっ


。。。とか、誰か進言してくれないでしょうか。。。(ーー;)
そして、前述した様に、今年のモスクワの雪の降らなさ加減は
日照率を思いっきり下げて、やっと夜が空けて来たと思っても

どんより。
ちなみに10時頃。
ちなみに、これは今年の2月、朝9時前。

まぁ、2月ともなれば、少しは夜明けが早くなるので
どんなにどんよりしてても、今の朝9時よりは明るくなるんだけど
それにしても、このクリアな空の色。
これこそ、人間が起きる時間の空ですよ、奥さん!!
そんなわけで、
こんな温くて足下グチャグチャの中、森にも行けず
外出もうざったく。。。
私の頭も冷温停止状態。。。
こんな生温い気温じゃぁ〜、せっかく降った雪も
積もる事なくメルトダウン、汚染水放出ちうです。
今週末には、いよいよ−5℃を下回ってくるとの予報も出ているが
果たして本当にそうなるのか。。。
モスクワのクリスマス・ツリーは
目下、雨とどんより雲の下。

西側のクリスマス(25日)前に


雪の下のツリーになるのか。。。

ま。。。ロシア的クリスマスは、年が明けた※1月7日なので
まだ猶予はあるのだけど。。。(ーー;)
※ロシア正教のクリスマスね。

