2015年05月
2015年05月22日
『ロシアについて語るときに私が語る事。。。トイレ!』
以前ちょっとだけお知らせしましたが、
経済ニュースのソーシャルメディア、NewsPicksというサイトで
4週間に一度の連載をさせてもらっています。
少し前の記事で、ロシアのトイレに関するコラムを書いたのですが
実はそれが、ちょっとした手違いで、最終原稿じゃないものが載ってしまいました。
まぁ、そんな事もあろうかと思います。仕方ないです。人間だもの。( ̄ー ̄)
が。。。サイトに載ってしまった記事には、私自身が
「この辺りの説得力が甘いな」
と思っていた部分にツッコミをいれられるコメントを多く頂いてしまいました。
後から手を入れた部分は、まさにそこのところで、
ロシア人の友達とも侃々諤々の話し合いの末に導き出した見解です。
協力してくれた友達の事を考えても、
このままお蔵入りにするのも、ちょっと不本意。。。
もちろん、どっちの記事を読んでも、読者の感想は変わらないかもしれません。
でも、伝えたいものを伝えて、それで同じツッコミが来るなら本望ですw
という訳で、NewsPicksの読者には99%リーチしないとは思いますが
“私のメディア(笑)”で、
書き直した後の記事を備忘録兼ねて、上げておこうと思います。
参考までに、こちらがNewsPicksの記事:
「ロシア、トイレの汚さと「社会主義」の関係」
=====こっからが改訂後の記事の始まり始まり〜=====
『ロシアについて語るときに私が語る事。。。トイレ!』
国際ニュース的にはヤバイ感がハンパないロシアだが、国内では着実に成長している部分も多い。
地下鉄では、ほとんどの路線でWiFiが無料完備されているし、道路には有料駐車スペースが設けられ、二重駐車もなくなった。観光名所でさえろくな案内標識がなったのに、英語表記を伴ったインフォメーションの看板が、いつの間にか街のあちこちに設置されている。全てこの2、3年でのことだ。
西欧化して、ソ連時代のノスタルジアがなくなりつつあるのは、風景としてはもったいない気がするが、生活としては便利になってくれるのはありがたい限り。
中でも私が本当に嬉しい!と感じるのは、トイレ。
ロシアに引っ越して来た当初、私は長時間外出するのがとても嫌だった。
“使えるトイレ”を探すのが大変だったからだ。
この場合の“使えるトイレ”とは、“我慢してでも使える程度には整っているトイレ”ということ。
その頃のモスクワは、既に沢山の外資系のブティックや外食産業が席巻しており、先進国の大都市とそれほど変わらないように見えた。ドイツの中都市から横移動して来た私にとっては、久しぶりの大都会だ。
しかし、トイレだけは違った。モスクワのトイレは、どこへ行っても田舎のボットン便所かそれ以上の臭いが漂っていた。
もちろん、近くにホテルがあったら、迷うことなくホテルのトイレを使わせてもらう。でもそれほど都合よく、いつもホテルが近くにあるとは限らず、次の手段としては「マクドナルドを探せ」と言われていた。
しかし、そのマクドナルドでさえ、温室育ちの私にとっては過酷なものだった。
まず、一般的な公衆トイレがどんな感じだったかというと、
1)臭い。
2)トイレットペーパーはない。
3)便座もない。
4)あっても足跡やその他のマテリアルで汚れている。
5)便器の中も汚い。
6)足元も汚れている。
7)使用済みペーパーを流せない所では、傍にゴミ箱が備え付けられているが、その中も、その周囲もカオス。
ほとんどのマクドナルドでは便座があって、紙は便器に流せたと記憶している。しかし、その他の項目は、マックにおいてもほとんど当てはまり、それは程度の差でしかなかった。
中でも印象に残っているのは、観光名所でもある高級百貨店の「グム」でのこと。1893年に建てられた歴史的建造物で内装も宮殿のように美しい、外資系高級ブティックが並ぶ、ハイソなデパート。
その時の私は、特にトイレに行きたいと感じていた訳ではなかった。しかし当時の状況から、ホテルなどの清潔なトイレがありそうな場所では、用がなくても行っておくのが常になっていた。
グムのトイレにはハイソ・デパートの客らしく、ブランド物のバックを持った綺麗なお姉ちゃん達が並んでいた。そこでも既に臭気は漂ってはいたものの、その時の私は“臭い”というくらいで諦めない程度には逞しくなっていた。
それにここは、腐ってもロシアを代表する高級百貨店だ。多少臭かろうが、街中のマックより酷い状態であるはずがない。そんな風に言い聞かせながら順番を待った。
しかし、いざ、そのドアを開けてみると、それは想像を絶する景色だった。
便座には、当然のように足跡が付いていた。その上に飛び散っている排泄物は液体個体を交えていた。使用済みペーパーを捨てるゴミ箱からは、ゴミが溢れかえっている。便器の中の詳細は自粛するが推して知るべし、である。
さらに驚くのは、よく見るとその個室の中は、ありえない位置が、ありえない物体で汚れていた。足元はもちろん、肩の高さの壁にまでも、ありえない塊がこびり付いて汚れていた。一体全体、何をどう間違えたらこの位置が、この物体で汚れるのか。私の一般常識では皆目見当がつかなかった。
もはや用を足すとかいう問題ではなく、ドアを開けるノブにも手をつけるのが怖くなり、衣服や荷物がこのトイレのいかなる部分とも接触しないように全神経を注ぎ、一刻も早くその場から立ち去ることだけを考えた。
「ロシアにおけるニタリノフの便座について」という椎名誠の名著をご存知だろうか。1980年代のソ連を旅した時に、著者が見たロシアのトイレの恐ろしいまでに汚い様を、生き生きと描いた傑作だ。
このエッセイに出てくるトイレは、この時のグムのトイレよりも相当酷い筈だが「ああ、あれよりはマシよね。」と諦める事も出来ない程度には十分汚かった。
立て替えたばかりのモスクワの空港の、何もかもが真新しい最新のトイレからも、一瞬にして臭気が漂うまでになってしまっていたことからも、これはもう、ハード(トイレそのもの)の問題ではなく、ソフト(習慣、マインド)の問題であることは明らか。
どんなに機能的なトイレが西側から入ってきても、利用者のマインドは椎名誠がソ連を旅した時から、あまり変わっていないように思えた。
一体そのソフトの根源はどこにあるのか。ロシア人達に聞いてみた。
「ソ連時代には公衆トイレが極端に少なかった。沢山の人が集まるような劇場でも、使えるトイレは一つだけ。必然的にそのトイレは酷く汚れ、それが常態化してしまったのではないか。」
「社会主義の考え方として、トイレが汚くなっても、誰かが掃除するものなので、自分とは関係がないと思っている。」
同じく社会主義的考え方として、便利なこと、心地よいことが“悪”とされてきた背景もあるかもしれない、とも。
つまり、“ソ連の名残”という漠然とした理由以外の答えは返ってこなかった。
ただ、ソ連がどういう国だったかを考えると、少し理解出来るような気がする。
社会主義国家という理想郷を演出するあまり、対外的な国家としての成長ばかりを重視し、市民レベルのインフラ整備や道徳観の向上を疎かにしてきた結果でもあるのかもしれない。
また、働いても働かなくても同じ報酬が得られる社会で、誰も好き好むことのない公衆便所の清掃という仕事が放置されたであろうことは想像に難くない。
“ソ連の名残”というのは漠然としているようで、結構的を得ているのかもしれない。
ちなみに、ロシア人の名誉の為に付け加えておくが、部屋で靴を脱ぐ習慣もあるこの国の、個人のお宅トイレはとても綺麗だ。
そんな“ソ連の名残”もモスクワでは、この数年で消えつつある。なくなってくれても全く惜しくないノスタルジアだ。
もう外出の度にホテルやマックを探す必要はなくなったし、トイレットペーパーの有無を心配する必要もない。トイレのドアを開けるたびに、口で息をするか、鼻で息をするかの究極の選択をする必要も、もう(ほとんど)ない。
本当に、嬉しい限りである。
=================
お付き合い頂き、あざ〜〜っしたっ!
経済ニュースのソーシャルメディア、NewsPicksというサイトで
4週間に一度の連載をさせてもらっています。
少し前の記事で、ロシアのトイレに関するコラムを書いたのですが
実はそれが、ちょっとした手違いで、最終原稿じゃないものが載ってしまいました。
まぁ、そんな事もあろうかと思います。仕方ないです。人間だもの。( ̄ー ̄)
が。。。サイトに載ってしまった記事には、私自身が
「この辺りの説得力が甘いな」
と思っていた部分にツッコミをいれられるコメントを多く頂いてしまいました。
後から手を入れた部分は、まさにそこのところで、
ロシア人の友達とも侃々諤々の話し合いの末に導き出した見解です。
協力してくれた友達の事を考えても、
このままお蔵入りにするのも、ちょっと不本意。。。
もちろん、どっちの記事を読んでも、読者の感想は変わらないかもしれません。
でも、伝えたいものを伝えて、それで同じツッコミが来るなら本望ですw
という訳で、NewsPicksの読者には99%リーチしないとは思いますが
“私のメディア(笑)”で、
書き直した後の記事を備忘録兼ねて、上げておこうと思います。
参考までに、こちらがNewsPicksの記事:
「ロシア、トイレの汚さと「社会主義」の関係」
=====こっからが改訂後の記事の始まり始まり〜=====
『ロシアについて語るときに私が語る事。。。トイレ!』
国際ニュース的にはヤバイ感がハンパないロシアだが、国内では着実に成長している部分も多い。
地下鉄では、ほとんどの路線でWiFiが無料完備されているし、道路には有料駐車スペースが設けられ、二重駐車もなくなった。観光名所でさえろくな案内標識がなったのに、英語表記を伴ったインフォメーションの看板が、いつの間にか街のあちこちに設置されている。全てこの2、3年でのことだ。
西欧化して、ソ連時代のノスタルジアがなくなりつつあるのは、風景としてはもったいない気がするが、生活としては便利になってくれるのはありがたい限り。
中でも私が本当に嬉しい!と感じるのは、トイレ。
ロシアに引っ越して来た当初、私は長時間外出するのがとても嫌だった。
“使えるトイレ”を探すのが大変だったからだ。
この場合の“使えるトイレ”とは、“我慢してでも使える程度には整っているトイレ”ということ。
その頃のモスクワは、既に沢山の外資系のブティックや外食産業が席巻しており、先進国の大都市とそれほど変わらないように見えた。ドイツの中都市から横移動して来た私にとっては、久しぶりの大都会だ。
しかし、トイレだけは違った。モスクワのトイレは、どこへ行っても田舎のボットン便所かそれ以上の臭いが漂っていた。
もちろん、近くにホテルがあったら、迷うことなくホテルのトイレを使わせてもらう。でもそれほど都合よく、いつもホテルが近くにあるとは限らず、次の手段としては「マクドナルドを探せ」と言われていた。
しかし、そのマクドナルドでさえ、温室育ちの私にとっては過酷なものだった。
まず、一般的な公衆トイレがどんな感じだったかというと、
1)臭い。
2)トイレットペーパーはない。
3)便座もない。
4)あっても足跡やその他のマテリアルで汚れている。
5)便器の中も汚い。
6)足元も汚れている。
7)使用済みペーパーを流せない所では、傍にゴミ箱が備え付けられているが、その中も、その周囲もカオス。
ほとんどのマクドナルドでは便座があって、紙は便器に流せたと記憶している。しかし、その他の項目は、マックにおいてもほとんど当てはまり、それは程度の差でしかなかった。
中でも印象に残っているのは、観光名所でもある高級百貨店の「グム」でのこと。1893年に建てられた歴史的建造物で内装も宮殿のように美しい、外資系高級ブティックが並ぶ、ハイソなデパート。
その時の私は、特にトイレに行きたいと感じていた訳ではなかった。しかし当時の状況から、ホテルなどの清潔なトイレがありそうな場所では、用がなくても行っておくのが常になっていた。
グムのトイレにはハイソ・デパートの客らしく、ブランド物のバックを持った綺麗なお姉ちゃん達が並んでいた。そこでも既に臭気は漂ってはいたものの、その時の私は“臭い”というくらいで諦めない程度には逞しくなっていた。
それにここは、腐ってもロシアを代表する高級百貨店だ。多少臭かろうが、街中のマックより酷い状態であるはずがない。そんな風に言い聞かせながら順番を待った。
しかし、いざ、そのドアを開けてみると、それは想像を絶する景色だった。
便座には、当然のように足跡が付いていた。その上に飛び散っている排泄物は液体個体を交えていた。使用済みペーパーを捨てるゴミ箱からは、ゴミが溢れかえっている。便器の中の詳細は自粛するが推して知るべし、である。
さらに驚くのは、よく見るとその個室の中は、ありえない位置が、ありえない物体で汚れていた。足元はもちろん、肩の高さの壁にまでも、ありえない塊がこびり付いて汚れていた。一体全体、何をどう間違えたらこの位置が、この物体で汚れるのか。私の一般常識では皆目見当がつかなかった。
もはや用を足すとかいう問題ではなく、ドアを開けるノブにも手をつけるのが怖くなり、衣服や荷物がこのトイレのいかなる部分とも接触しないように全神経を注ぎ、一刻も早くその場から立ち去ることだけを考えた。
「ロシアにおけるニタリノフの便座について」という椎名誠の名著をご存知だろうか。1980年代のソ連を旅した時に、著者が見たロシアのトイレの恐ろしいまでに汚い様を、生き生きと描いた傑作だ。
このエッセイに出てくるトイレは、この時のグムのトイレよりも相当酷い筈だが「ああ、あれよりはマシよね。」と諦める事も出来ない程度には十分汚かった。
立て替えたばかりのモスクワの空港の、何もかもが真新しい最新のトイレからも、一瞬にして臭気が漂うまでになってしまっていたことからも、これはもう、ハード(トイレそのもの)の問題ではなく、ソフト(習慣、マインド)の問題であることは明らか。
どんなに機能的なトイレが西側から入ってきても、利用者のマインドは椎名誠がソ連を旅した時から、あまり変わっていないように思えた。
一体そのソフトの根源はどこにあるのか。ロシア人達に聞いてみた。
「ソ連時代には公衆トイレが極端に少なかった。沢山の人が集まるような劇場でも、使えるトイレは一つだけ。必然的にそのトイレは酷く汚れ、それが常態化してしまったのではないか。」
「社会主義の考え方として、トイレが汚くなっても、誰かが掃除するものなので、自分とは関係がないと思っている。」
同じく社会主義的考え方として、便利なこと、心地よいことが“悪”とされてきた背景もあるかもしれない、とも。
つまり、“ソ連の名残”という漠然とした理由以外の答えは返ってこなかった。
ただ、ソ連がどういう国だったかを考えると、少し理解出来るような気がする。
社会主義国家という理想郷を演出するあまり、対外的な国家としての成長ばかりを重視し、市民レベルのインフラ整備や道徳観の向上を疎かにしてきた結果でもあるのかもしれない。
また、働いても働かなくても同じ報酬が得られる社会で、誰も好き好むことのない公衆便所の清掃という仕事が放置されたであろうことは想像に難くない。
“ソ連の名残”というのは漠然としているようで、結構的を得ているのかもしれない。
ちなみに、ロシア人の名誉の為に付け加えておくが、部屋で靴を脱ぐ習慣もあるこの国の、個人のお宅トイレはとても綺麗だ。
そんな“ソ連の名残”もモスクワでは、この数年で消えつつある。なくなってくれても全く惜しくないノスタルジアだ。
もう外出の度にホテルやマックを探す必要はなくなったし、トイレットペーパーの有無を心配する必要もない。トイレのドアを開けるたびに、口で息をするか、鼻で息をするかの究極の選択をする必要も、もう(ほとんど)ない。
本当に、嬉しい限りである。
=================
お付き合い頂き、あざ〜〜っしたっ!


2015年05月18日
ウマいパスタ屋☆Пипл&Паста
このエリアもレストランが大変充実していますね。
ツベットノイの
Пипл&Паста(People & Pasta)

店内はあまり広くないので、少人数で行くのがお勧め。

カウンターで注文して、ナンバープレートを受け取り席で待つ。
自分の番号が厨房から呼ばれたら取りに行く、というスタイル。

ソースとパスタが別々に選べて、今回の私のチョイスは

エビとほうれん草のトマトクリーム(430Rub)にフィットチーネ。
ソースの味もいいし、エビはプリプリで量もそれなりに入ってる。
パスタはモチモチで良い感じの歯ごたえ。
パスタそのものが美味しいし、ソースがよく絡んでなお良し。

2013年にハンブルグで生まれたお店らしいが
2008年までドイツに住んでいて、
ドイツで食べたパスタは、
デロデロのグデグデという思い出しかない私にとって
このような高品質ホームメイドパスタがドイツで生まれたとは大変胸熱である。(T−T)
狭いのが玉に瑕だけど、また行きたい♪
りす2つ〜

==========
Пипл&Паста(People & Pasta)

Tsvetnoy Boulevard 25-1
+7 495 699 77 12
Metro: ツベットノイ・ブルバー
もう一軒あった:
Derbenevskaya Embankment7, bldg. 8
Business center "Novospasskiy Dvor"
+7 495 980 80 99
こっちはパベレツカヤ駅が近いのかな。
ツベットノイの
Пипл&Паста(People & Pasta)

店内はあまり広くないので、少人数で行くのがお勧め。

カウンターで注文して、ナンバープレートを受け取り席で待つ。
自分の番号が厨房から呼ばれたら取りに行く、というスタイル。

ソースとパスタが別々に選べて、今回の私のチョイスは

エビとほうれん草のトマトクリーム(430Rub)にフィットチーネ。
ソースの味もいいし、エビはプリプリで量もそれなりに入ってる。
パスタはモチモチで良い感じの歯ごたえ。
パスタそのものが美味しいし、ソースがよく絡んでなお良し。

2013年にハンブルグで生まれたお店らしいが
2008年までドイツに住んでいて、
ドイツで食べたパスタは、
デロデロのグデグデという思い出しかない私にとって
このような高品質ホームメイドパスタがドイツで生まれたとは大変胸熱である。(T−T)
狭いのが玉に瑕だけど、また行きたい♪
りす2つ〜


==========
Пипл&Паста(People & Pasta)

Tsvetnoy Boulevard 25-1
+7 495 699 77 12
Metro: ツベットノイ・ブルバー
もう一軒あった:
Derbenevskaya Embankment7, bldg. 8
Business center "Novospasskiy Dvor"
+7 495 980 80 99
こっちはパベレツカヤ駅が近いのかな。


2015年05月14日
肉まんっ!@モスクワ
オープンする前から、気になってた店がありまして。。。
なぜなら、店先にでっかい蒸籠が置いてあったのですよ。
こんなのっ!

この蒸籠の中身は。。。

肉まん!しかも、かなりデカイ!!
中華まんの「Пян-Се(ピャンセ)」

スタンダード150rub. で、牛、豚、キャベツ。
キムチは190run. で、キャベツの代わりにキムチ。
サーモンは150rub.、ベジタリアン130rub.。。。
中でも食べられるけど、この日はスタンダードをお持ち帰りで。

感じの良いお兄ちゃんが、丁寧に袋に入れてくれる。

おおお!!カップヌードルあるやんけっ!!
。。。と思って値段を聞いたら240rubでした。。。(。-_-。)
お店の奥を覗くと、冷蔵庫にストックが。。。

もしかしたらコレ、蒸す前のヤツ売ってくれんのかもしれない。
美味しかったら次回聞いてみよう。。。
と、思いつつ帰路へ。
で、翌日チンして食した結果。

ウマいっ!※( ゚∀゚)
※もちろん個人的感想です。一緒に買った友達の「残念だった」との感想もご参考に。
肉汁もたっぷり、ニンニクも効いてて、美味しい♪
ちょっとデカすぎて、私には半分で十分。
次回は是非キムチを買ってみようと心に誓いました。( ̄ー ̄)
認定店です。


==========
Пян-Се(ピャンセ)
ул. Тверская 27/2
メトロ:マヤコフスカヤ
なぜなら、店先にでっかい蒸籠が置いてあったのですよ。
こんなのっ!

この蒸籠の中身は。。。

肉まん!しかも、かなりデカイ!!
中華まんの「Пян-Се(ピャンセ)」

スタンダード150rub. で、牛、豚、キャベツ。
キムチは190run. で、キャベツの代わりにキムチ。
サーモンは150rub.、ベジタリアン130rub.。。。
中でも食べられるけど、この日はスタンダードをお持ち帰りで。

感じの良いお兄ちゃんが、丁寧に袋に入れてくれる。

おおお!!カップヌードルあるやんけっ!!
。。。と思って値段を聞いたら240rubでした。。。(。-_-。)
お店の奥を覗くと、冷蔵庫にストックが。。。

もしかしたらコレ、蒸す前のヤツ売ってくれんのかもしれない。
美味しかったら次回聞いてみよう。。。
と、思いつつ帰路へ。
で、翌日チンして食した結果。

ウマいっ!※( ゚∀゚)
※もちろん個人的感想です。一緒に買った友達の「残念だった」との感想もご参考に。
肉汁もたっぷり、ニンニクも効いてて、美味しい♪
ちょっとデカすぎて、私には半分で十分。
次回は是非キムチを買ってみようと心に誓いました。( ̄ー ̄)
認定店です。



==========
Пян-Се(ピャンセ)
ул. Тверская 27/2
メトロ:マヤコフスカヤ


risurisu_journal at 22:00│ブログランキング|Permalink│Comments(2)│TrackBack(0)│
mixiチェック
│カフェ・レストラン | 中華/アジアン

2015年05月11日
戦勝70周年記念パレード@モスクワ
9日に行われた今年の戦勝記念パレード、色々と予想外でした。
この場所(マヤコフスカヤ近辺)からパレード観戦するのは、今年で6回目なんだけど
こんなこと、初めて。。。
まず、ツベルスカヤに出ようと近くまで行ってみると、物凄い人、人、人。
確かに今年は、数日前から市内全体が高揚してる感じがあったし
人出が例年以上に多かった。
見学者はいつも以上に多いことは予想出来たけど、
ツベルスカヤから人が溢れる程なんて、どんだけ?!

と思って、さらに無理やり進んでみるとなんと、
ツベルスカヤの沿道が全て閉鎖されていた。
サドバヤや、ノービィアルバートの沿道は解放されてるようだったので
ツベルスカヤからパレード通過予定のサドバヤ方面へ出ようとするも
向こう側へ渡る通路も全て閉鎖。
もう八方塞がり。
仕方がないので、比較的空の開けた近所の公園に行って
せめて飛行機だけでも見ようと待機。
その公園には、多分同じような考えで待機してる人が集まってた。

結構低い所を飛んでる。
来ました。
リハーサルで飛んでたルートがいつもより東よりだったので
本番もそのルートを飛ぶと信じて陣取った位置が正解だった。

世界最大の輸送機だそうな。
もう少し横から見たいけど、

こんな低い位置を飛んでるので、大きなビルがひしめく街中では

ちょうど良く開けた場所を探すのは結構大変。


なので、若干見にくい真下だけど、まぁヨシ。


これ、毎年やってるけど空中給油のデモ。
これでアメリカまで飛んでいけるんだって。

ロシア・カラーの飛行機。
そして、ビルの向こうから

「フロ」!。。。じゃなくてw

70周年の文字。
「7」がミグで「0」がスホーイだと、取材でモスクワに来ていた
軍事オタクロシア軍事研究第一人者の小泉悠先生に教えていただきました。(。-_-。)
ロシア・カラーのスモークは。。。

ちょうどこの位置から吹き始め。

ここより北で見てたら、危うくスモーク吹く前のただの飛行機しか見れなかった。^^;
さて、飛行機が飛んでしばらくすると、
いよいよ戦車がクレムリンから街中をうねって来るのだが。。。

これがパレード初公開のヤルス(核弾頭積めるやつ)???

こっちは上しか見えないけど、なんか戦車だよね〜。(´∀`;)
以上。
ツベルスカヤから一本入った道沿いの木に登って撮りました。(ーー;)
まぁ、毎年見てるからいいんだけど。。。
今年(こそ)が最後かなぁ〜、と思うとちょっと残念。
さて、今年はこれで終わらなかった。
戦車が通り過ぎて、解放されたツベルスカヤ通りに集まってきたのは

ナショナリスト達のデモ行進!!

。。。じゃなくて。。。

戦没者(参戦者)遺族の大行進です。

みんな遺影を持って、クレムリンに向かって歩いてる。

50万人以上の人が参加したのだとか。
第二次世界大戦で、ロシアの犠牲者は2000万人以上と最大数。
本当にたくさんの人が、あの戦争で誰かを失ってるんだなと
この行進を見て、改めて実感する。
正直、終結とは言え、戦争の記念日に“盛り上がる”ってのは、今でも違和感がある。
それはもちろん、私が敗戦国の人間で、
戦争の記念日はずっと、祝うものではなく、祈るものであったからな訳だけど。
毎年この日のロシアは、物凄く盛り上がるお祭りだ。
とりわけ今年は、かなり早い段階から街中は戦勝記念モードだったし
ロシア勝利の象徴である、オレンジと黒のゲオルギーリボンは
いつが境かはわからないが、クリミア併合以降のどっかから
日常的に良く目にするようになったな、とは感じていた。


ゲオルギーリボンを付ける人と、ゲオルギー柄の車。
ナショナリズムは確実に高まっている。
この遺影を抱えた人たちが、スターリンのした事を、その戦術をどう捉えながら
または、どう消化させながら行進しているのかはわからないけど
それでも、再び大切な誰かを、戦争で失うことなんか願っちゃいないはず。

プーちゃんもまた、父親の遺影を持って行進した一人。
祝う記念日も、祈る記念日も、
もうこれ以上、世界のどこででも増えないことを願うばかりだ。
この場所(マヤコフスカヤ近辺)からパレード観戦するのは、今年で6回目なんだけど
こんなこと、初めて。。。
まず、ツベルスカヤに出ようと近くまで行ってみると、物凄い人、人、人。
確かに今年は、数日前から市内全体が高揚してる感じがあったし
人出が例年以上に多かった。
見学者はいつも以上に多いことは予想出来たけど、
ツベルスカヤから人が溢れる程なんて、どんだけ?!

と思って、さらに無理やり進んでみるとなんと、
ツベルスカヤの沿道が全て閉鎖されていた。
サドバヤや、ノービィアルバートの沿道は解放されてるようだったので
ツベルスカヤからパレード通過予定のサドバヤ方面へ出ようとするも
向こう側へ渡る通路も全て閉鎖。
もう八方塞がり。
仕方がないので、比較的空の開けた近所の公園に行って
せめて飛行機だけでも見ようと待機。
その公園には、多分同じような考えで待機してる人が集まってた。

結構低い所を飛んでる。
来ました。
リハーサルで飛んでたルートがいつもより東よりだったので
本番もそのルートを飛ぶと信じて陣取った位置が正解だった。

世界最大の輸送機だそうな。
もう少し横から見たいけど、

こんな低い位置を飛んでるので、大きなビルがひしめく街中では

ちょうど良く開けた場所を探すのは結構大変。


なので、若干見にくい真下だけど、まぁヨシ。


これ、毎年やってるけど空中給油のデモ。
これでアメリカまで飛んでいけるんだって。

ロシア・カラーの飛行機。
そして、ビルの向こうから

「フロ」!。。。じゃなくてw

70周年の文字。
「7」がミグで「0」がスホーイだと、取材でモスクワに来ていた
ロシア・カラーのスモークは。。。

ちょうどこの位置から吹き始め。

ここより北で見てたら、危うくスモーク吹く前のただの飛行機しか見れなかった。^^;
さて、飛行機が飛んでしばらくすると、
いよいよ戦車がクレムリンから街中をうねって来るのだが。。。

これがパレード初公開のヤルス(核弾頭積めるやつ)???

こっちは上しか見えないけど、なんか戦車だよね〜。(´∀`;)
以上。
ツベルスカヤから一本入った道沿いの木に登って撮りました。(ーー;)
まぁ、毎年見てるからいいんだけど。。。
今年(こそ)が最後かなぁ〜、と思うとちょっと残念。
さて、今年はこれで終わらなかった。
戦車が通り過ぎて、解放されたツベルスカヤ通りに集まってきたのは

ナショナリスト達のデモ行進!!

。。。じゃなくて。。。

戦没者(参戦者)遺族の大行進です。

みんな遺影を持って、クレムリンに向かって歩いてる。

50万人以上の人が参加したのだとか。
第二次世界大戦で、ロシアの犠牲者は2000万人以上と最大数。
本当にたくさんの人が、あの戦争で誰かを失ってるんだなと
この行進を見て、改めて実感する。
正直、終結とは言え、戦争の記念日に“盛り上がる”ってのは、今でも違和感がある。
それはもちろん、私が敗戦国の人間で、
戦争の記念日はずっと、祝うものではなく、祈るものであったからな訳だけど。
毎年この日のロシアは、物凄く盛り上がるお祭りだ。
とりわけ今年は、かなり早い段階から街中は戦勝記念モードだったし
ロシア勝利の象徴である、オレンジと黒のゲオルギーリボンは
いつが境かはわからないが、クリミア併合以降のどっかから
日常的に良く目にするようになったな、とは感じていた。


ゲオルギーリボンを付ける人と、ゲオルギー柄の車。
ナショナリズムは確実に高まっている。
この遺影を抱えた人たちが、スターリンのした事を、その戦術をどう捉えながら
または、どう消化させながら行進しているのかはわからないけど
それでも、再び大切な誰かを、戦争で失うことなんか願っちゃいないはず。

プーちゃんもまた、父親の遺影を持って行進した一人。
祝う記念日も、祈る記念日も、
もうこれ以上、世界のどこででも増えないことを願うばかりだ。


2015年05月08日
戦勝記念日、観戦マニュアル
なんだか今年は色々と例年と違うようで。。。
その全容が何となくわかったので、まとめ。
まず、赤の広場のパレードは10時からで例年通り。
これは一般の人は見れません。
戦車は緑ラインのジナモ駅の向こうから、
レニングラードスキー・プロスペクトを南下してくるところから見る事ができる。
そのスタートが朝の7時。
そのままツベルスカヤを通って赤の広場に集まるのが10時。
で、そっからセレモニーが始まる。
上空を戦闘機が飛び出すのが10:45。
いつもなら、戦車通る道とほぼ同じルートを上空に取るはず。
赤の広場でのパレードが終了すると、例年通りのルートで
ノービィーアルバートから、サドバヤを北上、
マヤコフスカヤでツベルスカヤを左折して、
朝来た方向、ジナモの先へと戻っていく。
早起きして、赤の広場へ向かっていく戦車を見るのが見易いかも。
とはいえ、交通規制も早朝からあるので、前回の記事などを参考の上、
見たい人は、なるべく早く活動を開始する事をお勧めします。
ツベルスカヤはプーシキン広場以南は封鎖されるらしいので注意。

マヤコフスカヤ駅前の広場からの景色。今年は旗が立てられている。
パレードは、戦車200台、戦闘機は150機、1万4千人以上の軍人で行われる。
また、なんでツベルスカヤ沿いの駅が午後2時から封鎖されるんだろう?
。。。と思っていたら
「Immortal Regiment March」が3時からツベルスカヤで行われるらしい。
戦没者遺族など数千人が遺影を持って行進するっぽい。
他にも、戦争食が食べられたり、カラオケやコンサートのイベント
夜10時には16の場所から花火が打ち上げられる。
まぁ、とにかく人が凄いのと、
ご存知のように、昨今のロシアはナショナリズム高まってます。
ロシア(旧ソ連)にとって
栄光の勲章の象徴であるオレンジと黒のゲオルギーリボンなんか、
これまでは、この時期以外はそれほど目にすることもなかったけど
ウクライナ以降は割と多く目にするようになったし。。。

戦勝記念日の旗や軍帽を売る女性。防止に付いてるのがゲオルギー・リボン
何よりも、パレードを見に来るのは普段モスクワにいる人以外も多いので
やっぱり気をつけるに越したことはない。
特に初めての人は色々と注意しながら楽しんでくださいマシ♪
参考:
A Guide to Celebrating Victory Day in Moscow
How to Watch the Victory Parade in Moscow
その全容が何となくわかったので、まとめ。
まず、赤の広場のパレードは10時からで例年通り。
これは一般の人は見れません。
戦車は緑ラインのジナモ駅の向こうから、
レニングラードスキー・プロスペクトを南下してくるところから見る事ができる。
そのスタートが朝の7時。
そのままツベルスカヤを通って赤の広場に集まるのが10時。
で、そっからセレモニーが始まる。
上空を戦闘機が飛び出すのが10:45。
いつもなら、戦車通る道とほぼ同じルートを上空に取るはず。
赤の広場でのパレードが終了すると、例年通りのルートで
ノービィーアルバートから、サドバヤを北上、
マヤコフスカヤでツベルスカヤを左折して、
朝来た方向、ジナモの先へと戻っていく。
早起きして、赤の広場へ向かっていく戦車を見るのが見易いかも。
とはいえ、交通規制も早朝からあるので、前回の記事などを参考の上、
見たい人は、なるべく早く活動を開始する事をお勧めします。
ツベルスカヤはプーシキン広場以南は封鎖されるらしいので注意。

マヤコフスカヤ駅前の広場からの景色。今年は旗が立てられている。
パレードは、戦車200台、戦闘機は150機、1万4千人以上の軍人で行われる。
また、なんでツベルスカヤ沿いの駅が午後2時から封鎖されるんだろう?
。。。と思っていたら
「Immortal Regiment March」が3時からツベルスカヤで行われるらしい。
戦没者遺族など数千人が遺影を持って行進するっぽい。
他にも、戦争食が食べられたり、カラオケやコンサートのイベント
夜10時には16の場所から花火が打ち上げられる。
まぁ、とにかく人が凄いのと、
ご存知のように、昨今のロシアはナショナリズム高まってます。
ロシア(旧ソ連)にとって
栄光の勲章の象徴であるオレンジと黒のゲオルギーリボンなんか、
これまでは、この時期以外はそれほど目にすることもなかったけど
ウクライナ以降は割と多く目にするようになったし。。。

戦勝記念日の旗や軍帽を売る女性。防止に付いてるのがゲオルギー・リボン
何よりも、パレードを見に来るのは普段モスクワにいる人以外も多いので
やっぱり気をつけるに越したことはない。
特に初めての人は色々と注意しながら楽しんでくださいマシ♪
参考:
A Guide to Celebrating Victory Day in Moscow
How to Watch the Victory Parade in Moscow

