ヤァ、ヤァ、ヤァ!ポールが開いたよ♪続)アメリカとわたし。
2012年03月27日

アメリカとわたし。

私の世代が若い頃、「海外」と言えば、多くの場合「アメリカ」を指していた。
ドラマでは「奥様は魔女」や「バイオニック・ジェイミー」「マイアミ・バイス」を見て
海外旅行と言えば、ハワイやグアム、西海岸を指し
80年代の洋楽ブームの時はFM東京、横浜FM
小林克也の「ベスト・ヒット・USA」をチェックして
a-ha、ABBA、マドンナやカルチャークラブ、
デッド・オア・アライブもスティングやクラプトンも
全部アメリカの音楽だと思って聞いていた。
(米出身者:正解はマドンナのみ^^;)

もちろん、一部の知的で“ツウ”な方々は
海外といえば「おフランス」
フランス映画に、フランス文学、シャンソンをたしなむ、という人も居ただろう。
しかし、私のようなミーハー、ちゃらんぽらん、無知、で
“ナウ”な“ヤング”を自称したいイタい若者は、多かれ少なかれ
こんな風に思っていたんじゃないだろうか。

まぁ、今考えれば、諸々残念過ぎる訳だが。。。orz

そんな私が、初めて海外での生活をする事になったのも、アメリカ。
西海岸やニューヨーク、マイアミ等のきらびやかな場所とはほど遠い
“ディープ・サウス”と言われる、ほとんどの人には言ってもどこにあるのか分からない
アラバマ州という所。
ヘレン・ケラー、ナット・キング・コールやライオネル・リッチー等の出身地で
KKKを構成する州の一つで、私が居た頃も黒人系の教会が放火されていたりしていた。
私が小さい頃から見ていた、所謂“アメリカ”とはあまりにも違う
あまり豊かでない州の、小さな一都市だった。

それでも、初めてのアメリカ暮らしは私にとって十分アメリカらしさを体験させてくれ
テレビで見るアイドル的なアメリカだけでなく、生のアメリカも好きだと思えた。

必ず帰ってくると誓ってアメリカを離れた数年後
私は就職して、私の経歴から言えばまぁまぁの給料を得て
その心地よさから離れられずに、仕事に不満をもちつつ何となく過ごすという
なんともダサい毎日をおくっていた。

そんな時に運良く手に入れられたのが、所謂“グリーンカード”
同名で映画にもなった事がある、米国永住権。
毎年行われる一般公募からの抽選で当たる、宝くじ形式の永住権だ。

この永住権は、名前の通り永住する為の権利だからして
永住する気のない人には不要と判断され
米国を半年以上手続きなしに離れたり、米国に住まずに保持したりする事は不可能に近い。

しかし、永住権を得たこの年、ドイツ行きも決定しており
ドイツに行くのであれば、どう考えても状況は永住権放棄が妥当だった。
それでも、私はとにかく永住権収得の手続きを進め
出来る所まで保持し続けることを試み
米国の銀行口座を作ったり、毎年確定申告をしたりと
米国に住む意思があるというアリバイ作りをし、
再入国許可証を取って、半年以上米国を留守にしても再び入国出来る“かも”しれない
心もとないが、腐ってもオフシャルな手続きを踏んだり、
ステイタス変更の為に、ドイツから一人アメリカに行って
知らない土地を右往左往しながら、入国管理局や公証役場を往復し
弁護士に相談に乗ってもらい。。。と。。。
心の中では「住める訳ない。」「そんな可能性ないよね。」と思いながら
それでも、一度手に入れた「アコガレの国」での生活権を維持する為に
様々な手続きと“工作”をしていた。

しかし、ロシア転勤が決まった時、もう限界、と思った。
こちらへ引っ越して来てからは、永住権保持の為の努力は一つもせず
次回米国へ入国する時、移民ではなく、旅行者として入国すれば
それで全ては終わる。。。勝手にそう思っていた。

今回のアメリカ旅行は、実はただの旅行ではなく“所用”があっての旅だった。
なので、出来れば、万が一にもイミグレーションで入国を拒否される。。。
なんて事態は避けたかった。
普通に考えれば、私は移民の権利を放棄し、旅行者として入国し
お金を落として、今の生活の場所へ戻るという事をしたい訳なので
米国側に入国を拒否する理由はないのだが。。。
そして、これがただの旅行であれば、
何も調べずにシレ〜っとイミグレの列に並ぶのみだったのだが。。。

つまり、ここで問題なのは
様々な状況と統合してみれば、私の永住権はもう効力を失っている“筈”なのだが
正式な返却手続きをしていないので、
権利を維持したまま旅行者として入国しようとしていると捉えられる可能性がある
という事。
まぁ、例えそのように捉えられたとしても
その行為自体が永住権を放棄していると見なされる“筈”であるのだが。。。
一見正しいと思われるロジックが、正しく機能しないのが
アメリカらしさだったりもするんだな、これが。。。(ーー;)


“筈”に次ぐ“筈”で、私が入国出来ない事で関係者に迷惑を掛ける訳にもいかないので
ここは念のため、在モス米国大使館に問い合わせてみる事にした。
もちろん、“大使館”という組織が如何に使えないモノであるかは承知の上。
それが例えアメリカの大使館であろうとも、
この手のたぐいの喫緊性のない情報サービスにおいて、
彼らが有能かつ親切である訳がない。

結果は。。。

予想を超える程の“予想通り”。

<<1回目の問い合わせ(メール)>>
ワタシ、永住権保有者でんねん。
でも、もう要りませんねん。
でも、正式な放棄手続きとってませんねん。
今回、お宅の国、訪問したいんだけど、何か問題ある?
ちなみに、日本人ね。
ちなみに、日本人旅行者は普通ビザ免除でESTA登録だけで入国できんねん。
ちなみに、もうESTA登録出来てん。
どうなの???

〜1回目の回答〜
お問い合わせありがとうございます。
米国ビザの申請ですね。
ビザの申請は米国大使館にて、これこれこういう申請書に記入の上、手続き下さい。
申請料と発行に掛かる日数は。。。。
不明な点があれば、ご遠慮なくお問い合わせください。

。。。

不明だらけです。。。(ーー;)


<<2回目の問い合わせ(メール)>>
下記の通りの回答頂いたんですけど〜
知りたいのは米国ビザの収得方法でねーのよ。
この前も言ったけど〜、アタシ、ニッポンジンね。
ニッポンジン、ビザ、普通要らないね。
だけど、アタシ、先に述べたような理由あるね。
それで、普通のステイタスのニッポンジンと同じくESTA登録だけで問題あんの?
という問い合わせね。
どうよ?

〜2回目の回答〜
お問い合わせありがとうございます。
日本人の方は、米国入国の際、ビザが免除されるプログラムとなっております。
しかしながら、ESTAの登録は必要となりますのでWebでお手続き下さい。
不明な点があれば、ご遠慮なくお問い合わせ下さい。

。。。

まったく話が噛み合いません。。。
ESTAはもう取れたって言ってんのに。。。(ーー;)


<<3回目の問い合わせ(電話)>>
1回目の問い合わせの内容。

〜3回目の回答〜
確認して参りましたが、おそらくアナタのケースでは
ESTA登録をして、プリントアウトして持参していけば
入国には問題はない“筈”です。
もし心配でしたら、こちらのメールアドレスに、再度お問い合わせ下さい。

と、今まで問い合わせたのとは別のメールアドレスを貰う。

せっかく問題ない、と言われたので
ここでそうっとしておいて、あくまでも問題がない体で入国チャレンジしたい所だが
念には念を入れ、教えて頂いたメールアドレスに“確認”のメール。

という訳で。。。
<<4回目の問い合わせ(メール)>>
かくかくシカジカで〜、大使館の人と電話で話したんだけどぉ〜
問題ないって言われた訳ぇ〜。
でぇ〜、もし不安だったらぁ〜、
こっちでもっかい確認して、って言われたのでぇ〜
メールしてみてるんだけどぉ〜
実際どうなん??

〜4回目の回答〜
ESTAで許可されるかどうか、結果を待つべきだと思います。
当方で知る限りにおいて、あなたは永住権放棄の手続きをする必要があります。
詳細は、Department of Homeland Security(国家安全局?)へお問い合わせ下さい。

。。。

スゴロクで言う所の。。。

「振り出しへ戻る」だ。。。


関係者の皆々、スマヌ。
ワタシはこれ以上の問い合わせをして、終わりなきスパイラルにハマる事を拒否する。
経験上言わせてもらえば、この手の役所にクソ真面目に問い合わせをして
良い結果が出た試しはない。
もはやESTA以上の手続きを取らずに
シレ〜〜っとイミグレに並ぶというギャンブルをする事以外
ワタシに道は残されていない。
万が一。。。
入国を拒否されたら。。。
そのままカリブの島へ飛び、
ピニャコラーダの一杯でも飲んで
砂浜でビーチベッドに寝転びながら
リッチな米人のナンパを待ちながら黒こげとなった後
冬のモスクワへと帰還することになろう。。。( ̄ー ̄;)

。。。という訳で、グリーンカード保持者かもしれないワタシは
一世一代のギャンブルをすべく
パスポートとESTAのプリントアウトを携えて
ニューヨーク、ジョン・F・ケネディ空港へと立ったのだ。


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この記事へのコメント
1. Posted by yuki   2012年03月28日 16:30
あはは、アメリカらしい対応で笑えました。
そうなんですよ、回りに回って「振り出し」というパターン、案外多いんですww


2. Posted by kazu   2012年03月28日 17:44
5  私も海外といえばアメリカでした。ドラマは「スパイ大作戦」「刑事コジャック」「ジョン&パンチ」に夢中になって観ていました子供の頃はアメリカにあこがれていましたね。    
 アラバマ州に住んでいたそうですがアラバマといえば映画「アラバマ物語」を思い出します。主役のグレゴリー・ペックが印象に残っていますが、りすりすさんが住んでいた時もこの映画と同じような世界でしたか?
3. Posted by りり   2012年03月29日 02:42
yukiたん、
ええ。。。もう、何もかもが想像通りで
むしろ“懐かしい”。。。
。。。ってゆーのは、今だから言える事。^^;
問題が解決しない、もしくは悪化する、という結果であれば
「振り出し」になる度に、ハラワタが煮えくり返るんですよね〜。。。www
ビバ!変わらないアメリカ!!(ー∀ー;)
4. Posted by りり   2012年03月29日 03:12
kazuさん、
アメリカドラマ、あの頃は沢山放映してましたよね。
私も大好きでした。

「アラバマ物語」は大好きな映画で、DVDもシナリオ本も持ってます♪
グレゴリー・ペックの“理想の父”な感じと、スカウトの純粋で可愛い所が、重い問題を優しく暖かく語っていると思います。

流石に私が住んでいた時は、既にあんな感じではありませんでした。
通っていた大学は白人より黒人の方が多い所だったので、そういう思想の白人は入ってこれない雰囲気もあったと思います。
それでも、まだKKKが存在しているんだよ、って話とか、黒人に限らず、私達アジア人も、どこどこに行くと危ないよ、とかって話はたまに聞きましたね。
まぁ、その程度は、全米のどこに行っても。。。てか、欧州でもありがちですけどね。
それよりも、表面的ではあるのかもしれませんが、差別する事が恥、と思う人が多かった様に思います。
みんなが心の底からそのように思える世界が、早く来ます様に!
5. Posted by kazu   2012年03月29日 06:04
5 回答ありがとうございます。コメントを読む限り、アラバマでは快適に生活していたと察します。私も差別のない世界になることを願っています。
話は変わりますが、りすりすさんはアラバマに住み現在はモスクワに住みロシアからアメリカに旅行している記事を読むと冷戦時代が遠い出来事になったと感じます。80年代には考えられないことですね。

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