ご報告です。「ツナミの涙 2014」コレが噂のオーガニック・コスメ/NATURA SIBERICA
2014年03月11日

3年目の冬。〜陸前高田から〜

 3年目の冬。
更地となった土地に、所々でボコボコと土が盛られ、嵩上げがされている。それはまるで、1000ピースで完成するパズルの小さな一握りを、大きな台紙の上に散蒔いたような風景だ。撒かれたピースの数が少な過ぎて、ピースとピースの隙間が大き過ぎて、そのパズルがどんな絵を作り上げるのか、想像するのは難しい。
その風景の真ん中には瓦礫処理の施設が作られ、大きくトタンがそこを囲んでいる。盛り土の周辺には重機が、更地の中に敷かれた道路では大きなトラックが行き交う。そこはかつて、風光明媚な松原が海岸線を覆い、内陸に向けて広がる平地の上にはローカル線の駅や、商店街、役所や公民館など、人々の営みがあった場所だ。その場所は今、商店も住居もなく、行き交うトラックが砂埃を巻き上げて、視界を曇らせているだけの巨大な工事現場となっている。

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 被災地域から山側の高台へ目を移すと、そこでは仮設店舗を構えたまま、新しい街が出来始めている。スーパーもドラッグストアも、100円ショップもあり、生活するに足る全ての店が揃っている。食堂へ行けば従業員は笑顔で迎えてくれるし、そのテーブルは多くの客で埋まっていた。夜になれば若者がカラオケを楽しんでいる。
ただ、日常が戻って来たのかと言えば、それは違う。非日常に慣れて来た、非日常が日常になってしまっただけだという。

 いつまでも仮設の飲食店で食事をするのが嫌だと言う住民の男性がいる。
外食というのは、“特別な行事”だ。特別な雰囲気や環境を求めて外食するのに、いつまでも仮の店舗で食事をするのは嫌だ、と。確かにその通りかもしれない。私のように、年にたった数回程度被災地を訪れる者にとっては、仮設店舗の飲食店も現地の今を知る事の出来る場所として貴重ではあるが、外食がいつも簡易な建物の食堂ではうんざりするかもしれない。食事が出来れば良いという人もいるだろうが、少し特別な時に、少し贅沢に、贅沢じゃなくても家では食べないような美味しい料理を、良い雰囲気で食べたいというのは、ごく普通の欲求だ。被災地だから仕方がない、と思える時期はもう過ぎている。
「非日常である事を受容してはいけない。」男性は言う。
苛立つ気持ちは、本当の意味での日常を早く取り戻したいという強い意思でもある。

 それに、仮設の住宅も店舗も、建てられた土地には元々の持ち主がいる。
それは学校の校庭だったり、個人の宅地だったり、いつまでも非常事態時の施設に明け渡しておける場所ではない。土地の所有者だって被災している場合も多い。それでも、期限が迫る度に使用期間が延長され、利用者達はいつかは出なければならないという不安を抱えながらも、その状況を甘受している。

 そんな仮設を出られない理由も各人各様。
災害公営住宅はまだ計画している数の7%(2014年3月現在)しか完成していないものの、新しいアパート等は建設され、住む場所がない訳ではない。単純に資金がない人、家賃が不要なため、出来るだけ長く仮設住宅に居る事で蓄えを増やしたい人も居るという。
 お年寄りの中には、仮設住宅で新たに築いたコミュニティーから再び離れるのを嫌がっている人達も居るという。被災して元々のご近所と離れてしまい、仮設住宅でやっと新しい繋がりが出来始めた所で、また新たな場所で新たな繋がりを形成しなければならないと思うと、やるせない気持ちになるのも理解出来る。

 外から見ているだけではわからない、住民たちの葛藤は多い。
突然降り掛かって来た悲劇が強要する復興というブロセスが、彼らの肩に重くのしかかったまま、その内側では何かが少しずつ歪められているような図が見え隠れする。時間が経てば経つ程、パズルのピースがどこに置かれるのが正しいのか、見えなくなりそうだ。

 希望がない訳ではない。
若者は町を出て行き、お年寄りは毎日のように亡くなっている。人口が減っているのは間違いない。一方で、震災前にゼロだった移住者が、わずかながら増えているという。その多くは震災がきっかけでこの地を訪れた若者だ。地方が抱える過疎化問題は、陸前高田に於いても例外ではない。震災とは関係なく若者が流出していた。
「今がそれを解決出来るチャンスと捉えている。」そう話す彼は、震災がきっかけでこの町に帰って来た地元NPOで働く若者だ。
移住して来た人達が語る陸前高田の魅力は“人”だという。ボランティアや視察で、たまたまこの土地に入って、たまたま出会ったおじいちゃんやおばあちゃんがとても親切で好きになり、その人達にまた会いにくる。山が綺麗、海が綺麗、と土地の美しさに気づき始めるのはその後だ、と。彼らの中には、独自の復興活動をしている人もいる。
若い力が、新しい陸前高田を創ろうとしている。

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 震災から3年の月日が流れ、被災地では誰もが共有出来る問題や悩みが薄れるに従って、他者とは共有し得ない個々の問題に変わって来ている。それは、年齢や性別、家族構成や立場によって本当に様々だ。置かれている立場によって、町の問題や将来の見え方も違う。それでも、そういうものを超えて、今は自分たち自身がなんとかしなければならない段階に来ているのだという思いは、会う人会う人全ての言葉の端々から感じられた。

 復興の道のりは、“今まで”よりも“これから”の方が長い。
パズルをうまく完成させるには、全体の絵を想像する人、どこからピースを置くか考える人、ピースを上手く置いて、隣のピースと具合良くはめる人が必要だ。その過程では、きっといくつもの“ピースの置き違え”があるのかもしれない。きっと何度も悩みながら、喜んだり、落胆したりしながら、少しずつパズルの絵が完成していくのかもしれない。それでもなんとか納得出来るパズルを作り上げるには、行政だけではなく、住民自身が深く関わらなければならないであろう事を、改めて感じた。
 そんな中で、外から応援したい私たちが携われる作業はとても少ないように思える。
住民達はきっとその事を知っている。
だからこそ、自分たちで頑張らなければとも思うのだろう。

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  では、私たちに出来る事はなんなんだろう。
それはきっと、パズルが出来る過程を見守る事。
パズルを作る人達に、見てますよ、頑張ってますね、って伝える 事。
そして、多くを犠牲にしながら、前例のない復興という問題に対面し解決してきた知識を、後世に無駄なく残すことではないだろうか。
だってこれは、誰の身にも起こりえることなんだから。

復興への道のりが、少しでも短くなる事を祈って。

2014年3月11日

りり拝

取材時:2013年12月
(このレポートはスイスのケアチームジャパン様のご協力により書かせて頂きました。)


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