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2017年01月01日

日露、明けました。おめでとうございます!

明けまして、おめでとうございます!

日本では門松や注連縄が街を飾っていることと思いますが
ロシア正教会のクリスマスは1月7日。
モスクワではまだまだしばらく、
クリスマス・ツリーのイルミネーションが眩しい季節が続きます。

2016-12-28-1


実は先日まで日本に行ってました。

新居を決め、家電を少し買い、日本での生活がいよいよ現実のモノとなってきました。
足掛け9年を過ごしたモスクワを離れるのは、もちろん寂しいですが
12年ぶりの日本での生活も楽しみです。

今回の一時帰国は、ちょうど日露首脳会談が行われる時期でもあり
日本のテレビではロシア関係を扱う番組が多く、
「へ〜」とか、「ほー」とか、「なんだと!」とか画面に話しかけながら楽しみました。

でも、改めて思うのは、やっぱり日本のロシア情報は偏ってるな、ということです。

顕著だった例としては、
あるテレビ番組では筑波大学のロシア専の教授だかが
「ロシア人には騙される!」
と騒いでいて、まるでロシア人全員が嘘つきであるかのような発言をしていました。
その方、4年間もロシアに住まわれていたそうですが、一体何を見てきたのでしょうか。
もちろんロシア人は人を騙します。でも、日本人だってアメリカ人だって騙す。
ロシア人だからって、ことさら人を騙すようなことはないし、
もしその方がロシアで騙されてばかりいたのなら、
その方自身に問題があったのではないかと思わざるをえません。

ロシア独特の文化のようなものを取り違えて
「騙された」と感じる人もいるかもしれませんが、
ロシアを研究している方が4年間もロシアに住みながら
そのような発言をされることをとても残念に思いました。

日本におけるロシアの専門家がとても限られている中、
メディアでの露出の多い人が、このような偏った発言をすることの罪は大きいと思います。
いや、こういうアンチ・ロシア的な発言をするロシア専門家だからこそ、
メディアが使いたがるのかもしれませんけどね。


日露首脳会談会談の結果については、
メディアでは「進展なし」「ロシア、ゼロ回答」的な論調が多くを占めましたが
記者のみなさんは、本当に今回の会談で北方領土が帰ってくると思っていたのでしょうか。
だとしたら、あまりにも未熟ではないでしょうか。
たくさんのロシア人が生活を築いている場所を
一足飛びに「じゃぁ返すね」なんて、なるはずもないではないですか。

領土交渉の基準としている日ソ共同宣言では
「平和条約締結後に2島を引き渡す」としています。

今回の会談の成果は、少なくともそこに向かう第一歩にはなったのではないでしょうか。
長きに渡り、何の進展もなかった日露関係を鑑みれば
「大きな一歩」と言ってもいいかもしれません。

経済協力に関しても「ロシアに食い逃げされる」論を多く見ましたが、
こちらで話を聞く日本人ビジネスマンの多くは、ロシア人との仕事、
ロシアでのビジネスにやりがいやポテンシャルを感じています。
確かにロシアは特別な国だし、
外国の企業が進出するには、この国独特の難しさはあります。
でも、国を挙げて「協力」すると決められれば、
日本企業にとってはむしろチャンスではないでしょうか。

政治を通さずに見たロシアという国は、
人々は素朴で優しく、ユーモアに富み、文化の裾野は広く、そして深い。
日本でもお馴染みのボルシチやピロシキ、
本場のそれは日本で食べるよりも数倍美味しいです。
旧ソ連の中央アジア諸国の料理は、日本ではあまり食べられないけど、
実は日本人の口によく合うものばかり。

日露が仲良くなれば、
少なくとも民間レベルでは楽しいことがたくさんあるような気がしてなりません。

誤解を恐れずに言えば、4島返還に固執している間に、
多くの元島民の方が亡くなっています。
ビザが緩和されれば、私たち一般人にとっても
ロシアの雄大で手つかずの自然が、一番近い観光地になるかもしれません。


とにかく、もう十分すぎるほどの時間が過ぎました。
「新しいアプローチ」は、できるだけ早く実行されて欲しいと思います。


今年は日露にとって、新しい年となることは間違いありません。
問題はまだまだ山積みではあるけど、この大きな一歩に、期待せずにはいられません。

ずいぶんロシア寄りなことばかり書いたけど、
アンチが大勢を占める中、弱小ブログでこれくらいは書いてもバチは当たらないと思いますw

さて、日露の新年が明けました。おめでとうございます!

2016-12-28-2


その行く末の大半を、私は日本から見ることになります。
このブログは、あと何回更新するかわかりませんが、
みなさま、今年も宜しくお願いします!

りり拝


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2016年07月25日

最近のロシア産牛肉がマジイケてる件w

このブログでも「ハンバーガー」のカテゴリーが頻出していますが、
こんなにもバーガーを出す店が増えた理由の一つが、
実は「ロシアの牛肉事情」にあるんじゃないか、と思っています。

当地に5年くらい住んでいる人は、多分共感していただけると思うのですが、
かつて、ロシア産の牛肉は、本当に質が悪かった。
もちろん、値段は安くない。
安くない値段の肉を買ってきて、
スジだらけで結局ほとんどの部分が食べられずに捨てるか
もしくは、煮込みまくるかしか選択肢がなかったのです。

せっかく思い切って買ってきても、そんな感じだったので
牛肉は自然に食卓にあがらなくなるか、
もう少しお金を出して、米国産などを購入するかの家庭が多かったんじゃないでしょうか。

ところが、ご存知の通り、ウクライナ問題に端を発し、
2014年から現在まで、ほとんどの欧米諸国から食品は輸入禁止になっています。

制裁直後はいろんな物が手に入りにくくなりました。
ロシアは多くの食品を輸入に頼っていたことを思い知らされた時期です。

しかし、その後、急速に状況は変化しました。

ロシア人の気質の一つに「追い込まれないと何もしない」というのがありますw

もちろん、たくさんある内のほんの一つの気質で
ロシア人全員に当てはまるわけでもありません。

でも、「ロシア人ってどんな人たち?」と聞かれた時に
「追い込まれないと何もしない人たちだね」と言っても、たぶん差し支えないと思います。

これは、言い換えれば

「なんだかんだ言っても、追い込まれたら最後には帳尻を合わす人たち」

ということでもあるわけです。

かくして「制裁」で追い込まれたロシア人たちは、奮起しました(たぶんw)。

制裁後のモスクワのスーパーには、急速にローカル生産の品物が多くなりました。
ほとんど国産オーガニックの商品で埋め尽くされた店も出てきました。

「やれば出来んじゃんっ!!」

と、多くの人がロシアにツッコミを入れました(たぶんw)。

その中でも牛肉は、制裁後、大きく成長した一つだと思います。

今ではモスクワのスーパーの精肉売り場の棚の多くの部分を
ロシア産牛肉が占めています。

2016-06-01-1

そして、その肉は、かつての「捨てるか煮込むか」の肉ではなく、
「焼いて食える肉」になっていたのです。
この場合の「食える」の意味は、
「スジがなくて普通に食肉として成り立っている」という意味ではなく、
「ナニコレ、美味しい!」という意味です。

以前のロシアの肉牛は、

乳牛としてしこたま搾乳された後の使い物にならなくなった老年女子牛が
「牛肉」として出荷されていたそうです。
(男子牛がどういう扱いだったかも気になるところです。。。(。-_-。))
そんなお肉がスジだらけで美味しくなかったのは、なるほどね、という感じです。

現在は、ストレスのかからない広い牧草地で、
食事にもこだわって丁寧に育てられたブラック・アンガス牛が
「国産牛」として、当地でも普通に手に入ります。

きっとハンバーガー屋の流行りは、品質の良い国産牛の流通とも
無関係ではないのではないか、と思うのです。

というわけで、本当はあるレストランを紹介する「導入」として
ちょっとロシアの国産牛事情に触れたのですが
すっかり長くなってしまったので、レストラン情報は次回にします。。。^^;

8年前と比べたら、もちろん激変してるけど
ほんのこの2、3年だけを比べても、相当変化の激しいモスクワからお届けしましたw


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2016年05月31日

KGBも知らなかった!レストラン「Арагви」の真実!!

 スターリン政権下の1938年。
モスクワに初のグルジアレストラン「Aragvi」がオープンした。

 きっかけは、政治家のラヴレンチー・ベリヤ
スターリンの大粛清において、大きな役割を果たしたとして知られる人物だ。

 1920年に、ソ連政府が現在「Арагви (Aragvi)」があるビルに引っ越してきた。
ベリヤのオフィスもそこにあった。
 ある時、ベリヤは、あるカフェテリアのシェフの料理にメロメロになり、そのシェフの元、モスクワで最初のグルジア料理のレストランを開くことを思いついたのだそう。
(ベリヤはグルジア出身)

 かくして「Арагви」は1938年、オープンを果たした。

店はすぐに、共産党政治局員やKGBのスパイ、映画スター、宇宙飛行士など、重要人物が足繁く通う有名店となった。

 2000年初めから、修復のために閉店となっていたが、つい先日、華々しくリニューアル・オープンした。

IMG_3851

 ここまで知っただけでも、「Арагви」がいかに特別なレストランかがわかる。

 が、本題は実はここからだ。


 「Арагви」はスターリン様式の建物の中にあるが、実はこれは革命以前に建てられたホテル「ドレスデン」を基礎に建てられたものなのだそう。

 19世紀、「ドレスデン」は、チェーホフやプーシキン、トロストイも来るような、とてもハイソなホテルだった。

IMG_3922
当時の様子が、地下のバーの奥に描かれている。
建物には「Гостиница Дрезден(ホテル ドレスデン)」の文字が掲げられている。

そのホテルは実は、18世紀に建てられた屋敷の上に建てられたものだった。

 ここまでは、以前から知られていた話。


 修復工事が進行中の2003年。
すべての作業が一旦中止されるような、大発見があった。

18世紀の屋敷の上に建てられた、
19世紀のホテルの上に建てられた、
20世紀に建てられたスターリン建築は、

実は、

17世紀の貴族の家の上に建てられた、
18世紀の屋敷の上に建てられた、
19世紀のホテルの上に建てられた、
20世紀に建てられたスターリン建築だったのだ。

つまり、
一番下と思われていた18世紀の屋敷は、実は17世紀、時代はピョートル1世の前、アレクセイ・ミハイロビッチの時代の貴族の建物を基礎にしていたのだそう。

1世紀ごとに新たな外套を纏い、現在の形になってるなんて。。。

なんという、壮大なマトリョーシカ建築。。。((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
(4ピースのやつな(ーー))

 このことがわかってから、一旦中断された修復工事は、モスクワ市と共同の新たなプロジェクトを組んで、改めて再開することになる。

 プロジェクトでは、レストランと歴史的建造物を共存させ、できるだけオリジナルの形を生かすプランが練られ、残せる部分のアーチや壁は当時のままに、修復が必要なレンガ壁は1600年代の技術を使って塗装されたらしい。

 新しく発見された部分は地下にある。
その地下へ続く階段ホールのアーチや壁は、かつての「Арагви」のまま。
鉄の階段は19世紀の様式をモダンにしたもの。

IMG_3900
「ベリア専用」とされてた場所は、おそらくシャンデリアの奥のバテオ。


地下では、いくつかの小部屋が発見された。

IMG_3907

この部屋の壁は17世紀当時のままに使われている。


IMG_3906

ここも新しく発見された古い部屋。天井のむき出しのレンガは当時のもの。

「もっとスゴイものがある!」と案内されたのは、レストランの外壁。

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嘘か誠か「650年前のもの」と説明を受けた。
だとしたら14世紀まで遡っちゃうんだけど、マジ?
でも案外、まだまだわかってない部分もあって、新しい見解が出てきてるのかもね。。。
ちなみに案内してくれたのは、この店のシェフ。

レストランの地下には、1900年代初め、ドイツの薬局(Аптека/Apotheke)だった当時のインテリアを再現したバーもある。

IMG_3920

ドイツの薬局って、こんなカッコイイのかよ。。。( ꒪⌓꒪)

って、思っちゃうけど、

IMG_3926

こんなにカッコよかったらしい。( ̄ー ̄;)

 ところで、冒頭に載せた、ホテル・ドレスデンだったころの絵が、このバーの奥に描いてあるのだが、今の風景と照らし合わせると、また面白い。

IMG_3924

IMG_2265

建物の左奥に、今も昔も変わらぬ教会がある。

が、教会の高さと比べると、ビルがすごく高くなってる。
その教会を軸に見てみると、かつて「Гостиница Дрезден(ホテル ドレスデン)」と掲げられていた場所に現在も、このレストランや銀行などの他のテナントも看板を掲げていることがわかる。

つまり、ビルは上に(実は横にも)拡大され、かつての1階は今の地下。

「薬局、こんな地下にあったんか?!」

と思ったけど、あのバーがあるフロアが当時は1階だったのだ。


 そしてもう一つ。

レストランに入らなくても見られる貴重な場所が、このビルの裏にある。

IMG_2276

ツベルスカヤ通りをビル沿いにちょっと歩いた鉄の門から、このビルの裏側に入ることができるのだが、そこにあるこのボッロ〜い壁や窓枠。
これも、17世紀のもの。

 ものすごいスピードでいろんなモノが新しくなっていく、こんなモスクワの真ん中で、まだ知られていなかったこんな部分があったなんて、なんだかちょっとワクワクする。
 もしかしたらこの街には、もっともっと面白くて貴重なモノが眠ってるのかもしれないw


 次回は、本場グルジア帰りのワタシが、「Aragvi」のグルジア料理を厳しい目でレポートします。( ̄ー ̄)

参考:

==========
Арагви
TVERSKAYA, 6/2


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2016年05月09日

戦争に勝った日、でした。

 日本で8月15日の終戦記念日を迎える機会が少なくなって10年。
 ここ8年は、5月9日を終戦の日として意識させられている。

 ヨーロッパにとっての戦勝記念日(5月8日)、ロシア時間の5月9日だ。
先日もお伝えした通り、というか、ここで伝えるまでもなく、5月9日の戦勝記念日の軍事パレードは、(たぶん)日本でも報道された(?)通り。

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 戦争が終わった日、この国では「戦勝」の記念日とされている。

 初めて戦勝記念の軍事パレードを見た時、馴染みの道が、いかつい軍用機の隊列で埋め尽くされ、その迫力と轟音に圧倒された。

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 20階にも満たない建物のすぐ上空を、一つの繋がったオブジェクトのように一糸乱れぬ距離を保って飛ぶ戦闘機に、単純に感動した。

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 それらが通る場所は、どこも人で溢れかえっていた。歓声をあげ、戦車から顔を出す軍人たちに向かって手を振っていた。誇らしげに笑顔で手を振り返す軍人たち。今、戦地から帰ってきたような光景だった。映画を見ているような非現実感と、どうしようもない違和感で一杯になった。

 ああ、私は敗戦国の民だった。

 たぶんこの時、生まれて初めて“実感”したんだと思う。
 変な言い方だけど、新鮮だった。
 戦勝を祝う人々の中で、自分の中に芽生えた違和感を辿っていったら、「立ち入り禁止」の張り紙にぶち当たるように「敗戦国民」と書いてあったのだ。
 その張り紙の奥に、戦勝を祝い、歓喜する人々が見え、私は、時に一緒にワクワクしながら、そして我に返って打ちのめされながら、ちょっと距離をおいて「戦勝記念日」を、毎年楽しんでいる。

 いつもの通り、沿道にはたくさんの人が集まってた。
 単純にお祭りを楽しむ人、愛国心に浸る人、過去の栄光を語る人。多くの人の顔は明るい。
 
 戦勝国であるソ連(ロシア)の戦死者は2.7千万人で、参戦国の中で桁違いに多い。一家に一人ぐらいは犠牲者がいた計算になる。(日本は300万人くらい)
 強いロシアを祝うだけじゃない、複雑な思いを抱えてる人も多いことは、この数日間のロシア人がポストしたSNSのコメントを見ていればわかる。

 悪魔のようなリーダーの元で得た「勝利」は、明るくて陽気な、今のロシア人のアイデンティにも、きっと大きく影響してるんだろう。



 Ніколи знову

 SNSのコメントで、何回か目にした。

IMG_2187


 Ніколи знову(Never again)、もう、二度と。


 沿道にいた人たちの表情だけではわからない、たくさんの想いも、この日、沿道に出てこなかったたくさんの人たちがいたことも、心に留めておきたいと思う。


これはウクライナ語だそうです。でも、ロシア人がウクライナの方のポストをシェアしたものの中にありました。
もう二度と戦争をしたくない気持ちは、みんな同じですね。(追記:5/11)


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2016年03月30日

まだまだ続くよ、制裁は♪

 ロシアも欧米も、今やIS対応でてんやわんや。メディアもすっかりウクライナ放置の感ですが、欧米のロシアに対する制裁は、まだまだ続いています。

 その制裁の期限延長をオバマさんが決めたのが、今月の初め。額面通りなら、今年いっぱいは続きそうだ。

 さて、先日、友達からこんな話を聞いた。

「日本の友達から
“制裁で物がなくなって、モスクワのスーパーが潰れている”
って、地方局のテレビで言ってたらしい。」

いつの放送なのかわからないけど、モスクワ住人からしてみれば、
「マジ?!いつ??どこのスーパー????つーか、それソースなに?w」

という感じだ。

 ここまで大げさな話じゃなくても、「西側の制裁でロシアは大変だ!」ってなぐあいの報道は見たことがある。

 まぁ、今のロシアが大変か大変じゃないかといえば、たぶん、大変だ。

 現地通貨のルーブルは暴落し、物価は物によっては3割4割当たり前くらいに上がっている。
 ロシア人にとって、気軽な旅行先だったエジプトもトルコも行けなくなった(前者はシナイ半島での旅客機墜落テロ疑惑、後者はトルコによるロシア機撃墜きっかけ)。
 いずれにしても、海外旅行を控える人は多くなっているし、嗜好品や贅沢品を控えて節約しているという記事も良く見かけるし、肌感覚でも「そうだろうな」と思う。

 しかし、いずれの問題も、欧米主導の制裁ではなく、原油価格の下落や、中東不安(IS)に起因してる。

 もちろん、制裁により、今まで普通に買えていた物が買えなくなったことも事実。
 でも、だからと言ってスーパーが潰れたり、食べ物がなくて困ってるなんてことはない。

 だいたい、それほどまでに食べ物がなくなったら、辛抱強いロシア人も、さすがに暴動くらい起こしそうなもんだ。

 しかし、現実はさにあらず。


 記事では「2015年には83%だった支持率が、2016年に10%(73%)落ちた。」と書いてあるが、これだけ色々なことがあってなお73%なんて、全然高いよね。
 調査会社レワダセンターのこのデータを見ても、もっと経済が安定していた2013年の支持率(60%台)より今の支持率(81%)の方が高い。
 これは一部、ナショナリズムの高まりということで理由付けできそうだけど、やっぱり一般市民にとっては毎日の生活が何よりも大切。そういう意味では、ロシアは意外とうまいこと西側の制裁に対応してるんだと思う。

 輸入元を別の国に振り替えることも対応策の一つだけど、制裁発動以来、国内の生産をものすごく上げてるんじゃないかって気がしていた。
 以前、NewsPicksに寄稿した記事にも書いたが、例えば、牛乳などロシア産乳製品ブランドがものすごく増えた。

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ズラーーーッと並ぶ国内産牛乳。地元スーパーのPB商品も。

 実際、モスクワでの乳製品の国内産マーケットシェアは、現在90%に達しているらしい。(すごい!)
 また、スーパーのアズブカフクサではPB(自社ブランド)の野菜も出てきたし、オーガニックの地元産野菜を売る店も増えてきたな〜、と思っていたら、やはりモスクワ州では、2020年までに州内の野菜を地元産に切り替えるという計画まである。(すげぇっっっ!!)

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国内産オーガニック食品を取り扱うモスクワでも注目のLAVKALAVKA

 つーか、もともと農業の国なのに、むしろなんで今までやらなかったの?

とも思うが、今までは安穏と輸入に頼ってきた(頑張ればロシアでも作れる)物を、制裁で追い詰められたのをキッカケに、いよいよ本気を出し始めた。。。というあたり。。。なんともロシア人らしくて、ちょっと笑ってしまう。

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硬くて煮込み以外の選択肢はなかった国産牛肉も、品質上げてきた。

 外交的には何かと難儀だけど、この国のポテンシャルは、まだまだ高いよ♪


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