ロシア
2012年10月05日
冬時間?夏時間?どっち?!
先日、こんな噂を聞いた。
「今度は“戻る”らしいよ。」
確かに、それが施行された昨年の冬から(少なくとも私の周りでは)非難囂々。
日本人もロシア人も、この前の冬はうんざりしていた。
それは“夏時間(daylight saving)”と言われるシステムが
昨年、突然、ロシアから消滅したから。
この国は、良くも悪くもトップダウンでの決定から施行までの時間が短い。
こんな重要な事、日本で改変しようとしたら数年の議論が必要だろうが
この大国に於いて、それは「鶴の一声」であっという間に変わってしまう。
夏時間システムがロシアからなくなって、何がそんなに大変なのか?
詳細が気になる方は昨年の記事(コチラ)を読んで頂くとして
ざっくり説明すると
昨年行った改変は、正しく言うと夏時間を無くしたのではなく
「夏時間から冬時間(←こっちが基本となる時間帯)に戻さない」というモノ。
改変があるまでのロシアでの時間は
冬時間(基本時間)朝9時@モスクワ→午後3時@日本 時差6時間
夏時間 朝9時@モスクワ→午後2時@日本 時差5時間
この改変が意味するものは、モスクワと日本の時差はずーっと5時間のままと言う事。
それが施行されるとどういう事になるか。。。
つまり、この前の冬がどういう事であったのか、と言うと。。。
この時期、緯度の高い地域では、夜が明ける時間が極端に遅くなる。
モスクワも今現在で既にかなり夜明けが遅くなって来ている。
11月12月というのは本当に悲惨で、改変がある前の時間帯でも
外が明るくなるのが朝9時、とか。。。orz
それが、夏時間に固定されるとなると
今までの冬時間での朝9時は、朝10時(夏時間)にになってしまう。←共に日本時間は午後3時
冬時間があった時でさえ9時でも暗いのに、夏時間で生活すれば
朝9時から明るくなり始めた空は、朝10からしか拝む事が出来ない。
ややこしいけど、解るかな。。。(ーvー;)
つまり、会社や学校に通う人達は、暗いうちに家を出て
暗くなってから家路に着く(日暮れも極端に早い)という、
下手したら全く太陽に当たらない生活になっていたのだ。
半期に一度、時計を動かす手間がなくなったと言う事で
国民から概ね好意的に受け入れられている。。。
等と言う調査報告を目にした事もあるが、
“生の声”を聞く限り、りすりす・リサーチによると概ね
「真っ暗な中で、目なんか覚めねーよっ!」
「この前の冬が、どんなに辛かったか?!」
という、批判的な意見が多かった。
だから私も、半分冗談(でも、半分は超本気)で
「また来年は元に戻すんじゃね?」
とか、嘯いていたら。。。冒頭の噂。。。
「今度は“戻る”らしいよ」と。。。(ーー;)
流石に、いくらなんでも1年で。。。ホントかよ?!
。。。と思ってググってみたら。。。
。。。ありました。。。
「ロシア時間の変更を巡る メドベージェフのサマータイム・ブルース」ロイター(英語)
てか、タイトルがウマ杉。。。www
記事によると、どうやらプーちゃんがこの前の選挙の時に
夏時間制度を復活させる事を公約に掲げていたらしい。
知らんかった。。。
しかも、夏時間廃止時に
11のあるロシアのタイムゾーンを9に減らすという改変も行ったのだが
プーちゃんはそれも元に戻すと言う。。。
ちなみに、昨年、この法律をぶち上げた時の元首はメドベエ。。。
つまりプーちゃんは、メドベエが大きく変えたロシアの時間システムを
全否定。
。。。( ̄ー ̄;)。。。
こりは。。。
もしかして。。。
時間を変えたり変えなかったりする事で
国民の健康や利便性を良くする事を模索している。。。
。。。という事以上の“何か”、が。。。
あったりしたりするのかしらん。。。(ーー;)
ま。。。それより何より。。。
単なる“ヤドカリ”の在露邦人のワタクシとしては
ホントにまた今年から(いつものスケジュールなら今月末)
冬時間に戻るのかしら。。。という事の方が重要。
けど、周囲に聞いてみても“噂”以上の情報はないんだよなぁ。。。
ロシア語検索出来ればもっと確実な情報が取れると思うんだけど。。。
orz←もうロシア語学習投げた人。。。
情報お持ちの方、居たら教えて下さい。m(__)m
Tweet
「今度は“戻る”らしいよ。」
確かに、それが施行された昨年の冬から(少なくとも私の周りでは)非難囂々。
日本人もロシア人も、この前の冬はうんざりしていた。
それは“夏時間(daylight saving)”と言われるシステムが
昨年、突然、ロシアから消滅したから。
この国は、良くも悪くもトップダウンでの決定から施行までの時間が短い。
こんな重要な事、日本で改変しようとしたら数年の議論が必要だろうが
この大国に於いて、それは「鶴の一声」であっという間に変わってしまう。
夏時間システムがロシアからなくなって、何がそんなに大変なのか?
詳細が気になる方は昨年の記事(コチラ)を読んで頂くとして
ざっくり説明すると
昨年行った改変は、正しく言うと夏時間を無くしたのではなく
「夏時間から冬時間(←こっちが基本となる時間帯)に戻さない」というモノ。
改変があるまでのロシアでの時間は
冬時間(基本時間)朝9時@モスクワ→午後3時@日本 時差6時間
夏時間 朝9時@モスクワ→午後2時@日本 時差5時間
この改変が意味するものは、モスクワと日本の時差はずーっと5時間のままと言う事。
それが施行されるとどういう事になるか。。。
つまり、この前の冬がどういう事であったのか、と言うと。。。
この時期、緯度の高い地域では、夜が明ける時間が極端に遅くなる。
モスクワも今現在で既にかなり夜明けが遅くなって来ている。
11月12月というのは本当に悲惨で、改変がある前の時間帯でも
外が明るくなるのが朝9時、とか。。。orz
それが、夏時間に固定されるとなると
今までの冬時間での朝9時は、朝10時(夏時間)にになってしまう。←共に日本時間は午後3時
冬時間があった時でさえ9時でも暗いのに、夏時間で生活すれば
朝9時から明るくなり始めた空は、朝10からしか拝む事が出来ない。
ややこしいけど、解るかな。。。(ーvー;)
つまり、会社や学校に通う人達は、暗いうちに家を出て
暗くなってから家路に着く(日暮れも極端に早い)という、
下手したら全く太陽に当たらない生活になっていたのだ。
半期に一度、時計を動かす手間がなくなったと言う事で
国民から概ね好意的に受け入れられている。。。
等と言う調査報告を目にした事もあるが、
“生の声”を聞く限り、りすりす・リサーチによると概ね
「真っ暗な中で、目なんか覚めねーよっ!」
「この前の冬が、どんなに辛かったか?!」
という、批判的な意見が多かった。
だから私も、半分冗談(でも、半分は超本気)で
「また来年は元に戻すんじゃね?」
とか、嘯いていたら。。。冒頭の噂。。。
「今度は“戻る”らしいよ」と。。。(ーー;)
流石に、いくらなんでも1年で。。。ホントかよ?!
。。。と思ってググってみたら。。。
。。。ありました。。。
「ロシア時間の変更を巡る メドベージェフのサマータイム・ブルース」ロイター(英語)
てか、タイトルがウマ杉。。。www
記事によると、どうやらプーちゃんがこの前の選挙の時に
夏時間制度を復活させる事を公約に掲げていたらしい。
知らんかった。。。
しかも、夏時間廃止時に
11のあるロシアのタイムゾーンを9に減らすという改変も行ったのだが
プーちゃんはそれも元に戻すと言う。。。
ちなみに、昨年、この法律をぶち上げた時の元首はメドベエ。。。
つまりプーちゃんは、メドベエが大きく変えたロシアの時間システムを
全否定。
。。。( ̄ー ̄;)。。。
こりは。。。
もしかして。。。
時間を変えたり変えなかったりする事で
国民の健康や利便性を良くする事を模索している。。。
。。。という事以上の“何か”、が。。。
あったりしたりするのかしらん。。。(ーー;)
ま。。。それより何より。。。
単なる“ヤドカリ”の在露邦人のワタクシとしては
ホントにまた今年から(いつものスケジュールなら今月末)
冬時間に戻るのかしら。。。という事の方が重要。
けど、周囲に聞いてみても“噂”以上の情報はないんだよなぁ。。。
ロシア語検索出来ればもっと確実な情報が取れると思うんだけど。。。
orz←もうロシア語学習投げた人。。。
情報お持ちの方、居たら教えて下さい。m(__)m
2012年06月23日
やっぱりロシアだ、恐ロシア。。。
思いっきりブログ放置ちう。。。なう。。。(ーー;)
。。。
実は。。。
今週の日曜日から、再び日本に来ている。。。
先月半ばから2週間程一時帰国したばかりなのに。。。
先々週から、VISA更新の手続きを行っていた。
いつもなら数日間で終了し、何の問題もなく滞在が続けられていたのだが
今回は少々様子が違った。。。
更新手続きに“結婚証明書”を提出せよ、と言って来たのだ。
はぁぁぁぁぁ?????
今更結婚証明ですかぁ????
既に2回更新手続きを行い、いずれもそんな書類を要求された事もなく
最初からずーーーっと同じステイタスでVISA取ってるのに
いまさら けっこんしょうめいっ?!
。。。これは絶対にいぢわるされているに違いねぃ。。。(ーー)
こういう時、ロシアで物を言うのは
チョコレート&シャンパン
という黄金セットである。
しかし、どうやらそれも今回は受け付けない模様。。。
じゃぁさ。。。ちょっと多めに積めばいいんじゃん?
。。。これもロシアでは常套手段。
でも、それもダメ。。。
なんで?
どうして??
この時すでに、私のVISA有効期限は残す所5日。
今から奴らの言う通り、結婚証明を用意しようとすれば
1)日本の誰かに戸籍謄本を取って来てもらう
2)その書類を公証役場でアポスティーユしてもらう
3)FedEx等のクーリエで送ってもらう
4)在モス日本大使館に書類持ってって、結婚証明出してもらう
5)更新手続きスタートぉ〜♪
。。。どう楽観的に考えても絶対に間に合わない。。。
さらに残された5日間の中には、ガッツリ土日が入っている事や
VISAが切れれば、私は不法滞在になってしまう事等を考えれば
残された道は、ただ一つ。
そう。。。
国外退去。( ̄ー ̄;)
ええ。。。タダイマ、一時帰国ちう。。。改め、国外退去ちう、なう!
。。。で、ございます。。。orz
先週の金曜日にチケットを取って
土曜日にモスクワを出て
日曜日に日本に着いて
月曜日に戸籍謄本とアポスティーユを取って:(;゙゚'ω゚')
火曜日にVISA申請に行く予定が、ロシアからの招待状が届いていないと分かりΣ(; ゚∀)ゲッ!!
水曜日に明日には招待状(電文)がロシア大使館に届く“はず”との連絡があり( ´゚д゚`)エー
木曜日に恐る恐る申請書を提出、電文の招待状も無事照合してもらえε-(・∀・;)ホッ
金曜日にVISAを取りに行き
土曜日に「あーーー!ブログ書かなきゃっ!!(><)」←イマココ(ー∀ー;)
日曜日に荷物の整理等々
月曜日の早朝の便でモスクワへ帰ります。。。
。。。orz。。。
しかしながら、まだVISA更新の全てが終わった訳ではない。
実を言うと、今回のVISAは3ヶ月有効のもの。
これからモスクワに帰って、結婚証明書を発行してもらい
改めて当初のカテゴリーのVISAを申請する。
いや、しかし、そもそも一体何故こんな事になったのか?!
全くもって理解不能。。。
まぁ理解不能な感じがロシア的とも言えるが。。。(ーー;)
調べても出てこないし。。。
今、なんとなく分かっているのは
プーちゃんのヤロオが「賄賂をなくそう!」って方針を強化しているため
テメエの周辺も漏れなくなくせよ。。。(ーー)凸
“積んで解決”が出来なくなった。
しかも、VISAそのものの発行に対しても厳しくしていると言う。。。
適用されたのは、ほんの2週間前。
つまり、私がVISA申請の手続きを始めた週から。
その他の変更があるのかどうか、詳細はまだ分からない。
でも、とにかく、駐在員の配偶者という立場でVISAを更新する場合
今まで要求される事がなかった結婚証明書が必要であると言う事。
しかし、ロシアさんは
外国から沢山企業に来てもらいたいとか
観光客も沢山呼び込みたいとか、言ってた様に記憶していますが
あれは寝言ですか?!
少なくとも、何の予告もなく、いきなりこんな変更するなんて事したら
その寝言は、寝言のままに終わるでしょうな。。。
流石はロシアだ。(ーー#)
東京では昨日、大規模な反原発デモがあった。
ロシアでも、この前の不正選挙(疑惑)に怒った善良な市民による
反プーちゃんデモが今も行われている。
次回のデモには、私もすこぶる参加の意欲がわいて来た事は
想像に難くないでしょう。。。
ロッシー ビス プーチナヽ(`Д´#)ノ !!(プーちゃんなきロシアを!!)
↑
練習してみた。。。w
==========
「ロシアのオッサンの唄」のルゥ兄さんからも報告がありました。
夏休みに家族を呼び寄せようとしたら、やはり出生証明(戸籍謄本)出せと言われたそうな。。。(ーー;)
『招聘状が不便になった…』
Tweet
。。。
実は。。。
今週の日曜日から、再び日本に来ている。。。
先月半ばから2週間程一時帰国したばかりなのに。。。
先々週から、VISA更新の手続きを行っていた。
いつもなら数日間で終了し、何の問題もなく滞在が続けられていたのだが
今回は少々様子が違った。。。
更新手続きに“結婚証明書”を提出せよ、と言って来たのだ。
はぁぁぁぁぁ?????
今更結婚証明ですかぁ????
既に2回更新手続きを行い、いずれもそんな書類を要求された事もなく
最初からずーーーっと同じステイタスでVISA取ってるのに
いまさら けっこんしょうめいっ?!
。。。これは絶対にいぢわるされているに違いねぃ。。。(ーー)
こういう時、ロシアで物を言うのは
チョコレート&シャンパン
という黄金セットである。
しかし、どうやらそれも今回は受け付けない模様。。。
じゃぁさ。。。ちょっと多めに積めばいいんじゃん?
。。。これもロシアでは常套手段。
でも、それもダメ。。。
なんで?
どうして??
この時すでに、私のVISA有効期限は残す所5日。
今から奴らの言う通り、結婚証明を用意しようとすれば
1)日本の誰かに戸籍謄本を取って来てもらう
2)その書類を公証役場でアポスティーユしてもらう
3)FedEx等のクーリエで送ってもらう
4)在モス日本大使館に書類持ってって、結婚証明出してもらう
5)更新手続きスタートぉ〜♪
。。。どう楽観的に考えても絶対に間に合わない。。。
さらに残された5日間の中には、ガッツリ土日が入っている事や
VISAが切れれば、私は不法滞在になってしまう事等を考えれば
残された道は、ただ一つ。
そう。。。
国外退去。( ̄ー ̄;)
ええ。。。タダイマ、一時帰国ちう。。。改め、国外退去ちう、なう!
。。。で、ございます。。。orz
先週の金曜日にチケットを取って
土曜日にモスクワを出て
日曜日に日本に着いて
月曜日に戸籍謄本とアポスティーユを取って:(;゙゚'ω゚')
火曜日にVISA申請に行く予定が、ロシアからの招待状が届いていないと分かりΣ(; ゚∀)ゲッ!!
水曜日に明日には招待状(電文)がロシア大使館に届く“はず”との連絡があり( ´゚д゚`)エー
木曜日に恐る恐る申請書を提出、電文の招待状も無事照合してもらえε-(・∀・;)ホッ
金曜日にVISAを取りに行き
土曜日に「あーーー!ブログ書かなきゃっ!!(><)」←イマココ(ー∀ー;)
日曜日に荷物の整理等々
月曜日の早朝の便でモスクワへ帰ります。。。
。。。orz。。。
しかしながら、まだVISA更新の全てが終わった訳ではない。
実を言うと、今回のVISAは3ヶ月有効のもの。
これからモスクワに帰って、結婚証明書を発行してもらい
改めて当初のカテゴリーのVISAを申請する。
いや、しかし、そもそも一体何故こんな事になったのか?!
全くもって理解不能。。。
まぁ理解不能な感じがロシア的とも言えるが。。。(ーー;)
調べても出てこないし。。。
今、なんとなく分かっているのは
プーちゃんのヤロオが「賄賂をなくそう!」って方針を強化しているため
テメエの周辺も漏れなくなくせよ。。。(ーー)凸
“積んで解決”が出来なくなった。
しかも、VISAそのものの発行に対しても厳しくしていると言う。。。
適用されたのは、ほんの2週間前。
つまり、私がVISA申請の手続きを始めた週から。
その他の変更があるのかどうか、詳細はまだ分からない。
でも、とにかく、駐在員の配偶者という立場でVISAを更新する場合
今まで要求される事がなかった結婚証明書が必要であると言う事。
しかし、ロシアさんは
外国から沢山企業に来てもらいたいとか
観光客も沢山呼び込みたいとか、言ってた様に記憶していますが
あれは寝言ですか?!
少なくとも、何の予告もなく、いきなりこんな変更するなんて事したら
その寝言は、寝言のままに終わるでしょうな。。。
流石はロシアだ。(ーー#)
東京では昨日、大規模な反原発デモがあった。
ロシアでも、この前の不正選挙(疑惑)に怒った善良な市民による
反プーちゃんデモが今も行われている。
次回のデモには、私もすこぶる参加の意欲がわいて来た事は
想像に難くないでしょう。。。
ロッシー ビス プーチナヽ(`Д´#)ノ !!(プーちゃんなきロシアを!!)
↑
練習してみた。。。w
==========
「ロシアのオッサンの唄」のルゥ兄さんからも報告がありました。
夏休みに家族を呼び寄せようとしたら、やはり出生証明(戸籍謄本)出せと言われたそうな。。。(ーー;)
『招聘状が不便になった…』
2012年03月31日
ジゼル、を見た。
また行って来た
ボリショイ劇場(新館)。
今回の演目は、バレエの王道とも言える「ジゼル」
全くバレエの知識のない私でも、その名前だけは知っている。
ドイツでも地元の劇場で「ジゼルが上演されるよ」という情報があれば
「きゃぁ〜、見たい♥」という女子の声盛り上がる中
私も
「へえ〜、ジゼルかぁ〜、見たいねー。」
なぁ〜んて良いながら、一度も見に行ってないし
しかもストーリーなんてじぇ〜んじぇん知らん。(ーvー;)
前回のバレエ観劇デビューにて、
バレエを楽しむのに、ストーリーを知る事が如何に大切かを学びましたでござる。。。
もちろん、何も知らずに、ダンスだけを楽しむと言う事もできる。
しかし、ストーリーを知れば楽しさ倍増。
と言う訳で、今回はキチンとお勉強してから行きましたよ。
。。。先に言っておきますが。。。
今回、笑いどころ、一切ありませんのであしからず。(^^;)
体の弱い村娘のジゼルはお向かいさんのロイスと結婚の約束をした仲。
ジゼルとアルブレヒト(ロイス)
ジゼルに思いを寄せる森番のヒラリオンは、ロイスの事を面白く思っていない。
。。。またこのパターンか。。。(ーー;)
ある日、ヒラリオンはロイスの家から剣を見つけ、そこに刻まれた紋章から
ロイスが村人ではなく、アルブレヒト伯爵である事を知る。
公爵一行が狩りの途中で、村に立ち寄った秋の日。
ヒラリオンは剣を持ち出し、
「ロイス!お前、ホントはアルブレヒト公爵なんだろ?!」
と、迫り正体をバラす。。。
公爵一行の中には、アルブレヒトの婚約者パディルト令嬢もおり
正体がばれたアルブレヒトはパディルトの手に口づけをし
ジゼルは2人が婚約している事を知る。
ショックを受けたジゼルは狂乱。
元々体が弱い事もあって、そのまま死亡。。。
お前のせいだ!
と、ヒラリオンを殺そうとするお門違いなアルブレヒト。。。
皆に止められて退場。。。という一幕目。
二幕目は、結婚を前に亡くなってしまって精霊となった乙女達の章。
精霊達の踊りは幻想的だった。
彼女達は裏切った男達を見つけると死ぬまで踊り続けさせる。
まずは、ヒラリオンを死ぬまで踊らせて沼に突き落とし
次にアルブレヒトを殺そうとするが。。。
精霊となったジゼルにアルブレヒトは命を助けられる。。。終。
この展開、前回のバヤデルカと似てるよね〜。
素朴で美しい一般人に惹かれるバカ男が
地位も名誉もあって、おまけに美しい女とも関係を持つ。
結局傷つくのは、一般人の女の子で
裏切られても尚、男に思いを寄せる。。。
バレエって、こんなんばっかでっか?(ーー)凸
これがこの時代の男性諸君のロマンなんでせうか?(ーー#)
まじ、アフォやろ、おまいらっ!!!
。。。という感情は置いておいて。。。^^;
バレエ自体はとっても面白かった。
特に、前半の楽しげな踊りから一転して
ジゼルが傷ついて行く様子は、思わず目がウルウルしてしまうような表現力。
精霊となって踊る後半は、
フワリフワリと、まるで無重力のような不思議な空気感が
森の中の神秘的な雰囲気と、ジゼルの可憐さを増幅させてる。
そして、最後はまたしても「これでもかっ」って位のカーテンコール。
もう、客電も付いちゃって、みんな席離れてるのに
隅から。。。
隅まで。。。
ご挨拶。
本当にファンを大切にしてるよね。
このジゼル役の子は、ジゼルの当り役って言われてるんだって。
名前失念。。。(ーー;)
ま、私の場合、他を見ていないので比べようがないんだけど
“踊り”としても“芝居”としても、楽しめた。
もっと色々見てみたいね〜♪
。。。と、いいつつ。。。高いんだよなぁ。。。チケット。。。(ーー;)
Tweet
ボリショイ劇場(新館)。
今回の演目は、バレエの王道とも言える「ジゼル」
全くバレエの知識のない私でも、その名前だけは知っている。
ドイツでも地元の劇場で「ジゼルが上演されるよ」という情報があれば
「きゃぁ〜、見たい♥」という女子の声盛り上がる中
私も
「へえ〜、ジゼルかぁ〜、見たいねー。」
なぁ〜んて良いながら、一度も見に行ってないし
しかもストーリーなんてじぇ〜んじぇん知らん。(ーvー;)
前回のバレエ観劇デビューにて、
バレエを楽しむのに、ストーリーを知る事が如何に大切かを学びましたでござる。。。
もちろん、何も知らずに、ダンスだけを楽しむと言う事もできる。
しかし、ストーリーを知れば楽しさ倍増。
と言う訳で、今回はキチンとお勉強してから行きましたよ。
。。。先に言っておきますが。。。
今回、笑いどころ、一切ありませんのであしからず。(^^;)
体の弱い村娘のジゼルはお向かいさんのロイスと結婚の約束をした仲。
ジゼルとアルブレヒト(ロイス)
ジゼルに思いを寄せる森番のヒラリオンは、ロイスの事を面白く思っていない。
。。。またこのパターンか。。。(ーー;)
ある日、ヒラリオンはロイスの家から剣を見つけ、そこに刻まれた紋章から
ロイスが村人ではなく、アルブレヒト伯爵である事を知る。
公爵一行が狩りの途中で、村に立ち寄った秋の日。
ヒラリオンは剣を持ち出し、
「ロイス!お前、ホントはアルブレヒト公爵なんだろ?!」
と、迫り正体をバラす。。。
公爵一行の中には、アルブレヒトの婚約者パディルト令嬢もおり
正体がばれたアルブレヒトはパディルトの手に口づけをし
ジゼルは2人が婚約している事を知る。
ショックを受けたジゼルは狂乱。
元々体が弱い事もあって、そのまま死亡。。。
お前のせいだ!
と、ヒラリオンを殺そうとするお門違いなアルブレヒト。。。
皆に止められて退場。。。という一幕目。
二幕目は、結婚を前に亡くなってしまって精霊となった乙女達の章。
精霊達の踊りは幻想的だった。
彼女達は裏切った男達を見つけると死ぬまで踊り続けさせる。
まずは、ヒラリオンを死ぬまで踊らせて沼に突き落とし
次にアルブレヒトを殺そうとするが。。。
精霊となったジゼルにアルブレヒトは命を助けられる。。。終。
この展開、前回のバヤデルカと似てるよね〜。
素朴で美しい一般人に惹かれるバカ男が
地位も名誉もあって、おまけに美しい女とも関係を持つ。
結局傷つくのは、一般人の女の子で
裏切られても尚、男に思いを寄せる。。。
バレエって、こんなんばっかでっか?(ーー)凸
これがこの時代の男性諸君のロマンなんでせうか?(ーー#)
まじ、アフォやろ、おまいらっ!!!
。。。という感情は置いておいて。。。^^;
バレエ自体はとっても面白かった。
特に、前半の楽しげな踊りから一転して
ジゼルが傷ついて行く様子は、思わず目がウルウルしてしまうような表現力。
精霊となって踊る後半は、
フワリフワリと、まるで無重力のような不思議な空気感が
森の中の神秘的な雰囲気と、ジゼルの可憐さを増幅させてる。
そして、最後はまたしても「これでもかっ」って位のカーテンコール。
もう、客電も付いちゃって、みんな席離れてるのに
隅から。。。
隅まで。。。
ご挨拶。
本当にファンを大切にしてるよね。
このジゼル役の子は、ジゼルの当り役って言われてるんだって。
名前失念。。。(ーー;)
ま、私の場合、他を見ていないので比べようがないんだけど
“踊り”としても“芝居”としても、楽しめた。
もっと色々見てみたいね〜♪
。。。と、いいつつ。。。高いんだよなぁ。。。チケット。。。(ーー;)
2012年02月09日
トイレについて語ろう。
一時帰国する度に思うんだけど、
日本って本当に公衆トイレがキレイ!
モスクワに住み始めて
とにかく、最初にアタマを悩ませたのは
外出時のトイレ。
その汚さたるや、尋常ではない。
もちろん、それなりのお値段のレストラン等に行けば
清潔なトイレが用意されている事が多いのだが
マクドナルドから
果ては高級デパートのGUMのトイレまで
不特定多数の人(お金を使わなくても入れる環境)が集まる場所のトイレは
それはそれは、オゾマシイ事になっている。。。
詳しく書くと、恐らくドン引きされる可能性が大なので
それは椎名誠のエッセイに任せて(←超オススメ)
例えば
便座がない、とか
便器内があんまりキレイじゃない、とかは当たり前。
あり得ない場所に、あり得ないモノがくっ付いてて
肌がどこに触れるかはもちろん
衣服がトイレ内のあらゆる場所から距離を保っている事を確認せずにいられない。
とか
便座はあるけど、
便座クリーナーで拭いたくらいじゃ納得出来ない程汚い。
とか
そもそも、トイレに入った瞬間から
口から息をするか
息を止めるかの
究極の二者択一を迫られ
結局どちらも選べずに我慢する。
とか。。。そんな感じ。。。(ーー)
それに比べて日本のトイレと来たら。。。
例えばここは、高速道路のサービス・エリアのトイレ。
観葉植物に、白木?
どっかのホテルですか?!
洗面所では
どこにも直接触れる事無く
石けんが出て、お水も出て
超〜〜〜〜清潔♪
そしてこの機能的な作り。
赤いランプが使用中で青が空き。
一目瞭然、いちいちドアの前まで行って確かめる必要がない!
個室の中は
落ち着いたダークカラーの木目使いがモダンな雰囲気を醸し出し
トイレットペーパーの収納も抜群。
小さなお子様用に、便座のアダプターもご用意してございます。。。
そして
杖をご利用のお客様は、こちらにてお預かり致しますので
ごゆるりと、御用をお足し下さいませ。
(ーvー)
とかなんとか、コンパニオンのおねぃさんが案内してくれそうだ。
しかし、そんな完璧な日本のトイレも
きっと外部からの侵入によって脅かされているのであろう。。。
と、思わせるブツが扉を閉めた裏側に。。。
この注意書き。。。
このイラスト。。。(((( ;゚д゚)))
左側はともかく
(検便の採便インストラクションで推奨されてたりするポーズだよね(^^;))
右側の格好で用を足す日本人なんて
まずいねーっしょ?!
その事を物語る様に、注意書きは中国語と韓国語でしか書いてない。
嗚呼。。。
日本でもついにこんな注意書きが必要な時代になってしまったのね。。。(T_T)
観光客に沢山来てもらうのは良い事だが
その事によって、日本の良い部分が脅かされるのは
あまり喜ばしい事ではない。
日本は、是非とも、マナーの悪い外国人に対して
このような啓蒙活動をもっと積極的に行い
今まで、トイレが汚れても、汚しても当たり前、気にしない、
という文化で育って来た海外の方々に
文化としての日本人のマナーの良さを学んで頂く機会をバラまき
外国人の皆さんに
「日本のトイレの使い方マナー」
も、お土産として持って帰って頂きたいものです。
そして、一つ提案があります。
この注意書きに
是非ともロシア語を入れて頂きたいのでぃっす。b(ーー;)
どんなにロシアが近代化して来て
美しいトイレが街に現れたとしても
使う方のマナーが即していなければ、
新品のトイレも一瞬で、次の人が使えない程のダメージを与える事も可能です。
これも先日の記事に書いた
ロシアのハードとソフト※の関係に当てはまる事なんだけど。。。
※金にモノを言わせて最新鋭のモノ(ハード)を導入しても
使う方の知識やモラル(ソフト)が伴っていなければ
どんなにすばらしいものも無用の長物である。
今のロシアは、まさにそんな感じだ、というワタシの私見。
出来たばかりのシェレメチボ空港の、真新しいトイレが
鼻が曲がる程臭かったり
便座の上に、足跡とともに変なもんがくっ付いてたり
便座がぶっ壊れてたりするのは
まさにロシア人のソフトの問題。
昨今、日本へ旅行するロシア人も大分増えている様だし
私としては、ぜひとも、あの注意書きにロシア語も入れて頂きたいのだ。
。。。手遅れになるまえに。。。(ーー;)
てか。。。
そもそもロシア国内でこのイラストをトイレに貼付けて欲すぃ。。。orz
Tweet
日本って本当に公衆トイレがキレイ!
モスクワに住み始めて
とにかく、最初にアタマを悩ませたのは
外出時のトイレ。
その汚さたるや、尋常ではない。
もちろん、それなりのお値段のレストラン等に行けば
清潔なトイレが用意されている事が多いのだが
マクドナルドから
果ては高級デパートのGUMのトイレまで
不特定多数の人(お金を使わなくても入れる環境)が集まる場所のトイレは
それはそれは、オゾマシイ事になっている。。。
詳しく書くと、恐らくドン引きされる可能性が大なので
それは椎名誠のエッセイに任せて(←超オススメ)
例えば
便座がない、とか
便器内があんまりキレイじゃない、とかは当たり前。
あり得ない場所に、あり得ないモノがくっ付いてて
肌がどこに触れるかはもちろん
衣服がトイレ内のあらゆる場所から距離を保っている事を確認せずにいられない。
とか
便座はあるけど、
便座クリーナーで拭いたくらいじゃ納得出来ない程汚い。
とか
そもそも、トイレに入った瞬間から
口から息をするか
息を止めるかの
究極の二者択一を迫られ
結局どちらも選べずに我慢する。
とか。。。そんな感じ。。。(ーー)
それに比べて日本のトイレと来たら。。。
例えばここは、高速道路のサービス・エリアのトイレ。
観葉植物に、白木?
どっかのホテルですか?!
洗面所では
どこにも直接触れる事無く
石けんが出て、お水も出て
超〜〜〜〜清潔♪
そしてこの機能的な作り。
赤いランプが使用中で青が空き。
一目瞭然、いちいちドアの前まで行って確かめる必要がない!
個室の中は
落ち着いたダークカラーの木目使いがモダンな雰囲気を醸し出し
トイレットペーパーの収納も抜群。
小さなお子様用に、便座のアダプターもご用意してございます。。。
そして
杖をご利用のお客様は、こちらにてお預かり致しますので
ごゆるりと、御用をお足し下さいませ。
(ーvー)
とかなんとか、コンパニオンのおねぃさんが案内してくれそうだ。
しかし、そんな完璧な日本のトイレも
きっと外部からの侵入によって脅かされているのであろう。。。
と、思わせるブツが扉を閉めた裏側に。。。
この注意書き。。。
このイラスト。。。(((( ;゚д゚)))
左側はともかく
(検便の採便インストラクションで推奨されてたりするポーズだよね(^^;))
右側の格好で用を足す日本人なんて
まずいねーっしょ?!
その事を物語る様に、注意書きは中国語と韓国語でしか書いてない。
嗚呼。。。
日本でもついにこんな注意書きが必要な時代になってしまったのね。。。(T_T)
観光客に沢山来てもらうのは良い事だが
その事によって、日本の良い部分が脅かされるのは
あまり喜ばしい事ではない。
日本は、是非とも、マナーの悪い外国人に対して
このような啓蒙活動をもっと積極的に行い
今まで、トイレが汚れても、汚しても当たり前、気にしない、
という文化で育って来た海外の方々に
文化としての日本人のマナーの良さを学んで頂く機会をバラまき
外国人の皆さんに
「日本のトイレの使い方マナー」
も、お土産として持って帰って頂きたいものです。
そして、一つ提案があります。
この注意書きに
是非ともロシア語を入れて頂きたいのでぃっす。b(ーー;)
どんなにロシアが近代化して来て
美しいトイレが街に現れたとしても
使う方のマナーが即していなければ、
新品のトイレも一瞬で、次の人が使えない程のダメージを与える事も可能です。
これも先日の記事に書いた
ロシアのハードとソフト※の関係に当てはまる事なんだけど。。。
※金にモノを言わせて最新鋭のモノ(ハード)を導入しても
使う方の知識やモラル(ソフト)が伴っていなければ
どんなにすばらしいものも無用の長物である。
今のロシアは、まさにそんな感じだ、というワタシの私見。
出来たばかりのシェレメチボ空港の、真新しいトイレが
鼻が曲がる程臭かったり
便座の上に、足跡とともに変なもんがくっ付いてたり
便座がぶっ壊れてたりするのは
まさにロシア人のソフトの問題。
昨今、日本へ旅行するロシア人も大分増えている様だし
私としては、ぜひとも、あの注意書きにロシア語も入れて頂きたいのだ。
。。。手遅れになるまえに。。。(ーー;)
てか。。。
そもそもロシア国内でこのイラストをトイレに貼付けて欲すぃ。。。orz
2011年12月31日
本年も、ありがとうございました。
なんだか、怒濤の1年だった。。。
思えば私の年明けは、ローマでの残念カウント・ダウンと空港テロだった。
何だか、今年の出来事とは思えない程、遠い事になっている。
その後、311以降は、逆についこの間の事の様。
311以前と以後の間に記憶の壁があるみたいにクッキリと分かれている。
あの日以来、一日たりとも考えなかった日はない。
今まで確かだったと思っていた物が、全て不確かになり
闇雲に信じていた事を「信頼」だと思っていた事に気づき
世界一安心安全な日本の、その安心と安全がハリボテで出来ていたとも気づかされた。
ありとあらゆる価値観が大きく変わった。
フクイチの収束宣言がされたばかりだが、
何が収束したのか、その意味を理解出来る人は少ないと思う。
原発も、津波も、地震も、何一つ収束していない。
本当に大変なのは、おそらくこれからだろう。
同時に、震災に関する興味の温度差が
これから先、もっともっと広がっていくだろう。
今日(12/31)の朝日新聞の35面。
こんな記事が掲載されていた。
紙面の半分以上を使って、大きく載せている。
撮る 故郷伝えるため
陸前高田出身の写真家・上田聡さん
復興支援「母もしたはず」
がれきにちょこんと座ったぬいぐるみ。頭はないけど、たぶん、テディベア。あの瞬間が訪れるまで、誰かに優しく抱かれていたはずだった。
渋谷区に住む写真家・上田聡さん(36)が3月15日、故郷の陸前高田で撮った1枚だ。母の美代子さん(当時57)が津波に飲まれたと見られる場所にあった。
瓦礫の中、周囲には泥を払ったぬいぐるみや写真がぽつぽつと置かれていた。「自衛隊や消防団の方が、『誰かの思い出が詰まってるから』と並べてくれたんでしょうね。」
あれから9ヶ月。故郷で撮った写真を手に、上田さんは国内外を飛び回る。被災地の悲しみと復旧の現状を伝え、支援の輪を広げる為に。「もし母が生きていれば、故郷のために何かをしていたはずだから」
母は上田さんと6歳年下の弟がまだ幼い頃に離婚し、女手一つで2人を育てた。介護ヘルパーとして働き詰めの日々。それでも、家に帰れば「学校はどう?」「宿題は?」と何かと心配してくれた。
「それが煙たかった。それに、何もない田舎から早く抜け出したかった」。流行のファッションや音楽、何より「東京」に憧れた。
高校を中退し、アルバイトで金をためて上京した。イベント制作会社でのアルバイトをきっかけに、ファッションショーの設営から企画、動画や写真の撮影と幅広く腕を磨いていった。
そうした仕事は、なかなか母に理解されなかった。地に足をつけた仕事なの?たまの電話はささいな事で口げんかになった。
そろそろ親孝行がしたい。生活にゆとりが出て来た30歳の頃、そんな気持ちが芽生えた。帰郷するたびに外食や買い物に連れ出した。一度家族旅行に行かないか。そう言うと、母は「疲れるからいいわよ」と照れた。
約束をかなえる前に3月11日を迎えた。
地震のあと、丸2日かけて東京から陸前高田へ。あの時、母の車は市街地で渋滞に巻き込まれ、ぎりぎりで津波を逃れた車の2台後ろにあったと知人から聞いた。
遺体は、あのテディベアから7キロほど離れた場所で見つかった。「人の役にたちなさい」と言い続けた母。死に顔は寝顔のように安らかに見えた。
故郷のために、写真を撮り続けようと決めた。
4、5年前にCDジャケットやファッション誌に向けて撮り始め、生業した写真は、報道が扱う様なテーマとは無縁だった。それが今年は一切の仕事を断り、貯金を切り崩して故郷の様子を撮り続けた。
陸前高田にはほぼ1月1回のペースで通いながら、写真展を始めた。仕事仲間のイタリア人の紹介でローマから始め、東京、マカオ、モスクワ、ロンドン、ドイツ・デュッセルドルフ……。これまでに約30カ所を巡った。
震災情報が少ない海外から、多く依頼を受ける。「原発事故が起きたフクシマを除けば、もう大丈夫だと思い込んでいた。」「まだまだ大変なのですね」。そんな言葉とともに支援を申し出てくれる人たちと、被災地の団体の橋渡し役を担う。
講演を頼まれると、壇上からこう語りかける。
「明日、大切な人がいなくなってしまうと想像してみてください。そんな方が被災地にはたくさんいるんです」
どこか落ち着かない空気が都会を包む年の瀬。上田さんは30日も港区の事務所で写真集づくりに没頭した。被災地の学校や図書館に配り、津波の怖さを後の世代まで伝えるために。
いつか、笑顔であふれる写真展を開き、復興を遂げた故郷の姿を世界に伝えたい。
「微力でも、自分にできることをやり続けます。いつ何が起きても、後悔しないように」
私も深く心に刻んだよ。。。
明日からは、新しい一年。
私の様な人間に何が出来るか分からないけど
忘れないし、出来る事を模索していきたい。
もちろん、モスクワも頑張ります。
オマケ。。。
2011年7月7日付、読売新聞の欧州衛星版。
拙ブログながら、こうして取り上げて頂けるのも
ミナミナ様方のおかげと、常日頃から深く感謝しております。
こんなフツーなワタクシメに白羽の矢を当てて下さり
丁寧に取材して下さった
読売新聞モスクワ支局の寺口さんにも、多謝でございます。
いつも書いていますが、私が伝える情報よりも
読んで下さる皆さんから得る情報や、言葉から
私はより多くの物を得ています。
本当に、本当にありがとうございます。
来年もどうぞ、よろしくお願いいたします。
りすりす通信モスクワ支局 平記者:りり
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思えば私の年明けは、ローマでの残念カウント・ダウンと空港テロだった。
何だか、今年の出来事とは思えない程、遠い事になっている。
その後、311以降は、逆についこの間の事の様。
311以前と以後の間に記憶の壁があるみたいにクッキリと分かれている。
あの日以来、一日たりとも考えなかった日はない。
今まで確かだったと思っていた物が、全て不確かになり
闇雲に信じていた事を「信頼」だと思っていた事に気づき
世界一安心安全な日本の、その安心と安全がハリボテで出来ていたとも気づかされた。
ありとあらゆる価値観が大きく変わった。
フクイチの収束宣言がされたばかりだが、
何が収束したのか、その意味を理解出来る人は少ないと思う。
原発も、津波も、地震も、何一つ収束していない。
本当に大変なのは、おそらくこれからだろう。
同時に、震災に関する興味の温度差が
これから先、もっともっと広がっていくだろう。
今日(12/31)の朝日新聞の35面。
こんな記事が掲載されていた。
紙面の半分以上を使って、大きく載せている。
撮る 故郷伝えるため
陸前高田出身の写真家・上田聡さん
復興支援「母もしたはず」
がれきにちょこんと座ったぬいぐるみ。頭はないけど、たぶん、テディベア。あの瞬間が訪れるまで、誰かに優しく抱かれていたはずだった。
渋谷区に住む写真家・上田聡さん(36)が3月15日、故郷の陸前高田で撮った1枚だ。母の美代子さん(当時57)が津波に飲まれたと見られる場所にあった。
瓦礫の中、周囲には泥を払ったぬいぐるみや写真がぽつぽつと置かれていた。「自衛隊や消防団の方が、『誰かの思い出が詰まってるから』と並べてくれたんでしょうね。」
あれから9ヶ月。故郷で撮った写真を手に、上田さんは国内外を飛び回る。被災地の悲しみと復旧の現状を伝え、支援の輪を広げる為に。「もし母が生きていれば、故郷のために何かをしていたはずだから」
母は上田さんと6歳年下の弟がまだ幼い頃に離婚し、女手一つで2人を育てた。介護ヘルパーとして働き詰めの日々。それでも、家に帰れば「学校はどう?」「宿題は?」と何かと心配してくれた。
「それが煙たかった。それに、何もない田舎から早く抜け出したかった」。流行のファッションや音楽、何より「東京」に憧れた。
高校を中退し、アルバイトで金をためて上京した。イベント制作会社でのアルバイトをきっかけに、ファッションショーの設営から企画、動画や写真の撮影と幅広く腕を磨いていった。
そうした仕事は、なかなか母に理解されなかった。地に足をつけた仕事なの?たまの電話はささいな事で口げんかになった。
そろそろ親孝行がしたい。生活にゆとりが出て来た30歳の頃、そんな気持ちが芽生えた。帰郷するたびに外食や買い物に連れ出した。一度家族旅行に行かないか。そう言うと、母は「疲れるからいいわよ」と照れた。
約束をかなえる前に3月11日を迎えた。
地震のあと、丸2日かけて東京から陸前高田へ。あの時、母の車は市街地で渋滞に巻き込まれ、ぎりぎりで津波を逃れた車の2台後ろにあったと知人から聞いた。
遺体は、あのテディベアから7キロほど離れた場所で見つかった。「人の役にたちなさい」と言い続けた母。死に顔は寝顔のように安らかに見えた。
故郷のために、写真を撮り続けようと決めた。
4、5年前にCDジャケットやファッション誌に向けて撮り始め、生業した写真は、報道が扱う様なテーマとは無縁だった。それが今年は一切の仕事を断り、貯金を切り崩して故郷の様子を撮り続けた。
陸前高田にはほぼ1月1回のペースで通いながら、写真展を始めた。仕事仲間のイタリア人の紹介でローマから始め、東京、マカオ、モスクワ、ロンドン、ドイツ・デュッセルドルフ……。これまでに約30カ所を巡った。
震災情報が少ない海外から、多く依頼を受ける。「原発事故が起きたフクシマを除けば、もう大丈夫だと思い込んでいた。」「まだまだ大変なのですね」。そんな言葉とともに支援を申し出てくれる人たちと、被災地の団体の橋渡し役を担う。
講演を頼まれると、壇上からこう語りかける。
「明日、大切な人がいなくなってしまうと想像してみてください。そんな方が被災地にはたくさんいるんです」
どこか落ち着かない空気が都会を包む年の瀬。上田さんは30日も港区の事務所で写真集づくりに没頭した。被災地の学校や図書館に配り、津波の怖さを後の世代まで伝えるために。
いつか、笑顔であふれる写真展を開き、復興を遂げた故郷の姿を世界に伝えたい。
「微力でも、自分にできることをやり続けます。いつ何が起きても、後悔しないように」
(中川文如)
私も深く心に刻んだよ。。。
明日からは、新しい一年。
私の様な人間に何が出来るか分からないけど
忘れないし、出来る事を模索していきたい。
もちろん、モスクワも頑張ります。
オマケ。。。
2011年7月7日付、読売新聞の欧州衛星版。
拙ブログながら、こうして取り上げて頂けるのも
ミナミナ様方のおかげと、常日頃から深く感謝しております。
こんなフツーなワタクシメに白羽の矢を当てて下さり
丁寧に取材して下さった
読売新聞モスクワ支局の寺口さんにも、多謝でございます。
いつも書いていますが、私が伝える情報よりも
読んで下さる皆さんから得る情報や、言葉から
私はより多くの物を得ています。
本当に、本当にありがとうございます。
来年もどうぞ、よろしくお願いいたします。
りすりす通信モスクワ支局 平記者:りり