帰国までと帰国ちうあけましたね。
2011年12月31日

本年も、ありがとうございました。

なんだか、怒濤の1年だった。。。
 
思えば私の年明けは、ローマでの残念カウント・ダウン空港テロだった。

何だか、今年の出来事とは思えない程、遠い事になっている。

その後、311以降は、逆についこの間の事の様。

311以前と以後の間に記憶の壁があるみたいにクッキリと分かれている。

あの日以来、一日たりとも考えなかった日はない。

今まで確かだったと思っていた物が、全て不確かになり

闇雲に信じていた事を「信頼」だと思っていた事に気づき

世界一安心安全な日本の、その安心と安全がハリボテで出来ていたとも気づかされた。

ありとあらゆる価値観が大きく変わった。

フクイチの収束宣言がされたばかりだが、

何が収束したのか、その意味を理解出来る人は少ないと思う。

原発も、津波も、地震も、何一つ収束していない。

本当に大変なのは、おそらくこれからだろう。

同時に、震災に関する興味の温度差が
これから先、もっともっと広がっていくだろう。

今日(12/31)の朝日新聞の35面。
こんな記事が掲載されていた。

1231_1

紙面の半分以上を使って、大きく載せている。

撮る 故郷伝えるため
陸前高田出身の写真家・上田聡さん
復興支援「母もしたはず」


 がれきにちょこんと座ったぬいぐるみ。頭はないけど、たぶん、テディベア。あの瞬間が訪れるまで、誰かに優しく抱かれていたはずだった。
 渋谷区に住む写真家・上田聡さん(36)が3月15日、故郷の陸前高田で撮った1枚だ。母の美代子さん(当時57)が津波に飲まれたと見られる場所にあった。
 瓦礫の中、周囲には泥を払ったぬいぐるみや写真がぽつぽつと置かれていた。「自衛隊や消防団の方が、『誰かの思い出が詰まってるから』と並べてくれたんでしょうね。」
 あれから9ヶ月。故郷で撮った写真を手に、上田さんは国内外を飛び回る。被災地の悲しみと復旧の現状を伝え、支援の輪を広げる為に。「もし母が生きていれば、故郷のために何かをしていたはずだから」

 母は上田さんと6歳年下の弟がまだ幼い頃に離婚し、女手一つで2人を育てた。介護ヘルパーとして働き詰めの日々。それでも、家に帰れば「学校はどう?」「宿題は?」と何かと心配してくれた。
 「それが煙たかった。それに、何もない田舎から早く抜け出したかった」。流行のファッションや音楽、何より「東京」に憧れた。
 高校を中退し、アルバイトで金をためて上京した。イベント制作会社でのアルバイトをきっかけに、ファッションショーの設営から企画、動画や写真の撮影と幅広く腕を磨いていった。
 そうした仕事は、なかなか母に理解されなかった。地に足をつけた仕事なの?たまの電話はささいな事で口げんかになった。
 そろそろ親孝行がしたい。生活にゆとりが出て来た30歳の頃、そんな気持ちが芽生えた。帰郷するたびに外食や買い物に連れ出した。一度家族旅行に行かないか。そう言うと、母は「疲れるからいいわよ」と照れた。
 約束をかなえる前に3月11日を迎えた。

 地震のあと、丸2日かけて東京から陸前高田へ。あの時、母の車は市街地で渋滞に巻き込まれ、ぎりぎりで津波を逃れた車の2台後ろにあったと知人から聞いた。
 遺体は、あのテディベアから7キロほど離れた場所で見つかった。「人の役にたちなさい」と言い続けた母。死に顔は寝顔のように安らかに見えた。
 故郷のために、写真を撮り続けようと決めた。
 4、5年前にCDジャケットやファッション誌に向けて撮り始め、生業した写真は、報道が扱う様なテーマとは無縁だった。それが今年は一切の仕事を断り、貯金を切り崩して故郷の様子を撮り続けた。
 陸前高田にはほぼ1月1回のペースで通いながら、写真展を始めた。仕事仲間のイタリア人の紹介でローマから始め、東京、マカオ、モスクワ、ロンドン、ドイツ・デュッセルドルフ……。これまでに約30カ所を巡った。
 震災情報が少ない海外から、多く依頼を受ける。「原発事故が起きたフクシマを除けば、もう大丈夫だと思い込んでいた。」「まだまだ大変なのですね」。そんな言葉とともに支援を申し出てくれる人たちと、被災地の団体の橋渡し役を担う。
 講演を頼まれると、壇上からこう語りかける。
 「明日、大切な人がいなくなってしまうと想像してみてください。そんな方が被災地にはたくさんいるんです」
 どこか落ち着かない空気が都会を包む年の瀬。上田さんは30日も港区の事務所で写真集づくりに没頭した。被災地の学校や図書館に配り、津波の怖さを後の世代まで伝えるために。
 いつか、笑顔であふれる写真展を開き、復興を遂げた故郷の姿を世界に伝えたい。
 「微力でも、自分にできることをやり続けます。いつ何が起きても、後悔しないように
(中川文如)


私も深く心に刻んだよ。。。

明日からは、新しい一年。 
私の様な人間に何が出来るか分からないけど
忘れないし、出来る事を模索していきたい。

もちろん、モスクワも頑張ります。




オマケ。。。
2011年7月7日付、読売新聞の欧州衛星版。

yomiuri_riri

拙ブログながら、こうして取り上げて頂けるのも
ミナミナ様方のおかげと、常日頃から深く感謝しております。
こんなフツーなワタクシメに白羽の矢を当てて下さり
丁寧に取材して下さった
読売新聞モスクワ支局の寺口さんにも、多謝でございます。

いつも書いていますが、私が伝える情報よりも
読んで下さる皆さんから得る情報や、言葉から
私はより多くの物を得ています。

本当に、本当にありがとうございます。
来年もどうぞ、よろしくお願いいたします。

りすりす通信モスクワ支局 平記者:りり


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この記事へのコメント
1. Posted by でーなな@神奈川県川崎市   2011年12月31日 17:00
 新聞に載るとは、お見事です!

 12月生まれでしたか。小生も
同じ12月ですが、射手座です。

 大学の、卒業時期などから
推定してみると、世代的には
小生より大体3〜4年くらい
若い世代の人かな〜。 (笑)
2. Posted by りり   2011年12月31日 21:38
でーななさん、
おお!射手座同士でございましたか?!
しかし、ワタクシの年齢については推測が甘いかもしれませんよ〜。
大学等の年号は、年齢を推測するのにあまり役立たないと思って“工作”せずに載せたのでwww

来年も、どうぞよろしくお願いします!^^
3. Posted by waysea   2011年12月31日 23:13
5 りりさん
本当に去年と今年の年末はまったく違ったものになりました。夢なら覚めてほしいです。。。。

りっちゃん見たさに「りすりす」へお邪魔して、
3月のりりさんの記事を見て、私もカミングアウトできました。有難うございました!

被災地のりっちゃんたちは、ご飯食べてるでしょうか?どうしてるのかな、気になります。ウチのベランダにうるさく来ていた鳩たちが、この春以降ピタッっと来なくなりました。初めは喜んでいたのですが、今は怖いです。(プリン名でコメント&tweetしたら、小鳥が激減しているとのretweet多し)

読売新聞の記事工作、笑いました〜。○さまかわいそー(笑)りりさん、芸能人だったんですか?!すごいわ!読売新聞、あまりにもあまりなので、親の代から60年以上のお付き合いを止めたんですが、この記事欧州版なんですね!読みたいです!

いつもりりさんとりっちゃん、おへらさまにお世話になっております。来年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。<(_ _)>

○さまと良い年をお迎えくださいませ
4. Posted by kazu   2012年01月01日 01:24
謹賀新年:謹んで新年をお祝いします
ロシアに興味がありここのプログにきました。
今年もプログを読ませてもらいます。
5. Posted by yuki   2012年01月01日 02:02
りりさん、日本に帰国中なのですね。私は昨日ベイエリアに戻りました!完全すれ違いだったようでお会いできなくて残念。

モスクワに比べれば日本の冬なんて寒くないかもしれませんね。私は完全に逆で、日本の冬が辛かったです。(ベイエリアに戻ってきてほっとしました)

今年は原発関連の記事ではりりさんも大変なことだったと思いますが、あそこで止めずに続けていただき感謝です。

来年はお会いしたいですね。

読売新聞記事の「年齢詐称」は「不詳でしょ?」と思わず突っ込みたくなりました。
来年もよろしくお願いします!
6. Posted by りり   2012年01月01日 03:42
wayseaさん、
こちらこそ、ありがとうございます。(;_;)
原発の問題は、難しくなる一方で、
最近は思っている事は沢山あるんだけど、何をどう伝えて良いのか分からない状態になっています。

りっちゃん達をはじめ、森の動物達がどうなっているのか、
どうなっていくのかも心配です。
鳩さん達の事も気になりますね。。。

でも、今年も色々勉強して、思う事を伝えて行きたいと思います。

私、芸能関係にはいましたが、芸能人じゃないですよ〜。^^;

確かに読売新聞、震災以降は特にあんまりですよね。
大きく括ると、各新聞社の体質ってあると思いますが、個々の記事って結局記者に依存する事も大きいんですよね。

また色々意見を聞かせて下さい。
こちらこそ、今年もどうぞよろしくお願いいたします。
wayseaさんにとって、ステキな2012年となりますように!
7. Posted by りり   2012年01月01日 03:51
yukiさ〜〜ン!!
FBの方で見ていたので、yukiさんの日本での多忙っぷり、
ちょうどほとんど入れ違いのスケジュールなこと、確認しておりましたよ〜。
相当お疲れだと思うので、しっかり休んで下さいね。
今年はまたぜひオフしたいですよね♪

私も日本寒いよ〜。^^;
日本の方が風が強いし、家の中がとにかく寒い!!

yukiさんにも、そんな風に言って頂けるなんて。。。(T_T)
私も感謝です。
今年も止めません。問題は難解になって行くばかりですが。。。

“年齢不詳”と最初はしていたのですが、敢えて“年齢詐称”としました。
実際の私は、多分見た目に判断出来ない“不詳”ではないと思うので
そろそろ“詐称”させて頂きマッス!という意味を込めて。。。(ー∀ー;)

こちらこそ、今年もなにとぞヨロシクお願いします!!
8. Posted by りり   2012年01月01日 03:53
kazuさん、
もしかして、裏でコメントを頂いてる、kazuさんですか?
もしそうだったら、いつもありがとうございます。
違ってたら失礼しました!^^;

今年も興味を持って頂ける記事を書ける様に、頑張ります。
またおヒマな時は、ぜひ覗いてみて下さいね。

kazuさんの2012年が、沢山の喜びにあふれています様に。。。^^
9. Posted by toma   2012年01月02日 14:43
あけましておめでとうございます。

いつもいつも、りりさんのブログで、笑ったり、大いに共感したり、感心したり・・・
それにしても、3・11以前と以後、本当に、世界が一変した気がします。
明らかに、あそこで、なにかが途切れた気がしています。
これから、長い放射能との戦いがあるのでしょう。
覚悟を決めて、出来る限りのことをしていかないといけないと思っています。

大変お疲れ様の帰国だったようですが、帰国中もお忙しいのですね。
日本の正月を満喫できる状態ではないのでしょうか?
せっかくですので、忙しいながらも日本を満喫していってください。
自然だけは豊かな国なんですよね。
10. Posted by りり   2012年01月03日 12:01
tomaさん、
放射線の事は、実は色んな意見を聞けば聞く程、どうとらえて良いのか混乱して来ています。
全く汚染がない状態がベストであるのは間違いないのですが、それはもう不可能です。私達全員がある程度の放射線を引き受けなければいけないのは明確です。
でも、立場や環境が違えば、引き受け方や量も違うのだろうとも思うし。。。
原発に反対する気持ちにはビタ一文揺らぎはないのですが、一部の限りなく汚染0を目指す人たちにも少し危うさを感じ始めているのです。
もう少し気持ちがまとまったら、この辺りも少し記事に書いてみたいと思っています。

年末年始の一時帰国はスゴく忙しないですが、普通に売っている野菜がおいしかったり、コンビニに目新しい飲み物が売っていたり、そんなちっちゃい事に、めちゃめちゃ感動して、それなりに楽しんでします♪
感動出来るハードルが低く出来るのは、あまり便利でない国で生活する人の特権ですね。^^

いつもtomaさんの撮る美しい空、ニャンコ&ワンコのカワエエ写真や森の様子に癒され、折々に残してくれる貴重なご意見に励まされています。本当にありがとうございます。
本年も何卒、よろしくお願いします。
自然豊かで美味しい日本の為に、何が出来るのか
ぜひ、情報交換させて下さい。

tomaさんとご家族にとって、幸せな2012年になります様に!

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