ツンデレ
2011年10月25日
ロシア人との勝負。
初めてロシア人に接した人で
「ロシア人笑わない、恐い。」
という印象を持つ人は少なくないと思う。
私がロシアに来る前に居た、ドイツと言う国でも(地域にもよるけど)
人々は非常に無愛想だった。
「ハロー」と挨拶をしても、無視される事もあったし
スーパーのレジでは、物を投げつけるように扱われた事もある。
それまでの私にとって「外国人」の多くのイメージが
異様に愛想の良い「アメリカ人」から得たものであった事もあって
最初の頃は相当凹んだもんだ。
なんて愛想のない国だ、と。
住んでいるうちに、そんな愛想のない人々にも慣れて来て
それがドイツ人ってもんだ、って割り切る事もできて来た。
そんな私がモスクワに来て、最初に感じた人々の印象は
「ドイツ人みたい」
スーパーのレジのオバさんはもちろんの事
そこそこのレストランに行っても従業員の愛想は、良いとは言えない感じだった。
ドイツ人で相当慣らした私でもそう感じるのだから
サービス業で異常な程の愛想と丁寧さが“当たり前化”してしまった日本から
ロシアに来た人達は、私よりも多くのショックを受けたとしても不思議ではない。
この無愛想さは、ロシアのアパートの入口に必ず居る、と言っても過言ではない
“管理人のオバちゃん(おじちゃん)”にも言える事。
いや、むしろこのジャンルの人達の愛想の悪い率は
※他のジャンルと比べても高いのではないかと思われる。(※当社比(ーvー))
しかし、アパートの入口の管理人と言えば、ほぼ毎日顔を合わせる相手。
愛想が悪いからと言って、こちらも愛想を悪くしていては
毎日不快な気持ちになってしまう。
そんな時、私はこれを「勝負」と受け取る。
いくら無視されても、いくら不機嫌そうでも
アパートを出る時、入る時、顔を合わせるときは何時でも“笑顔”で
「こんにちは!」
と、話しかける。
この時の笑顔は、“とびきり”の笑顔だ。
こちらの目をジッ。。。と見たまま無視されても怯んではいけない。
こちらも目を見つめ返し、“笑顔”で声を掛け続けるのだ。
前に住んでいたアパートにも、何人かいる管理人のうちの一人で
一切挨拶に応えようとしない、愛想0のオバハンがおった。
しかし私は、来る日も来る日も笑顔での挨拶を欠かさず
オバハンに接していた。
ある時から、オバハンは、軽く会釈をする様になった。
それでも、声に出して挨拶し返してくれる訳ではないけど。。。
そんな事を続けていたある日、
両手に大きな荷物を抱えてアパートの入口に近づく私を
そのオバハンが目に留めた。
すると、どうだろう。。。。
相変わらず、眉間に深いシワを寄せて、思いっきり恐い顔をして私を睨みつけたまま
アパートの入り口のドアの鍵を開けて(普段は自分で開けなければならない)
私を出迎えてくれたのだ!
それからも、彼女は相変わらず挨拶は会釈のみで強面も崩さなかったが
私は「この勝負、勝った!」と、小さくガッツポーズをしたもんだ。
この戦法は、馴染みのスーパーのレジでも、レストランでも有効である。
諦めずに笑顔せ接しているうちに、
大抵の人はいつの間にか笑顔で答えてくれる様になる。(経験済み)
ちなみに、このアパートの管理人のオバハンは、今の所、最強の相手。
最後まで、彼女を笑顔にする事は出来なかった。
それでも、彼女に対する“恐い”という思いや、嫌な感じは一切なくなったけどね♪
しかし、街中で人々を観察してみると
愛想がない=不親切/冷たい
という事ではない事がわかる。
地図を握りしめて道に迷っていれば、
めっちゃ恐い顔をして
「どこに行きたいんだ?」とか
「住所は分かってるのか?」とか言い出して地図を見始め
ごちゃごちゃと話していると、どこからともなく
これまた強面のロシア人がやって来て
「そっちじゃないよ、あっち側だよ」とか言い出し
それでも分からないと、
何か不幸でもあったのかと思しき面構えのおっちゃんが、横から
「ちょっと地図を見せろ」と口を出す。
一見、どう見ても恐ろしいロシア人に絡まれてる図であるが
全員がおせっかいなまでに親切。
こんなに人が集まっても、
結局目的地がどこにあるのか分からずに終わる事もあるのが
またロシアらしいっちゃぁ〜ロシアらしいんだけど。。。(^^;)
結局の所。。。
ロシア人は、悪意があって笑わない訳ではなく
愛想笑いなんて出来ない程シャイだったり
見ず知らずの人に笑いかける事に慣れていないだけ、なのだ。
考えてみれば、愛想笑い、なんてもんはサービスの一つだったりする訳だし
この国の歴史を見てみれば、人々がそんなサービスとは無縁だった長き期間がある。
「笑顔」という外国産のサービスが、この国の人々にとって「当たり前」になるには
時間が掛かって「当たり前」なのだ。
実際、私が初めてモスクワを訪れた3年前と比べても
人々は色んな所で笑顔を見せる様になってるし
今や、“そこそこレストラン”では“そこそこ笑顔”が見られる。
一方、そんな笑顔という建前のサービスをナチュラルに導入出来ない人々の中には
都会人にはない素朴な「助け合い」の精神が、まだ宿っているのだと思う。
だからこそ、
強面(笑顔のない、ある意味ナチュラルな顔)だけど超〜親切!
という、一見矛盾した様な、恐いのか嬉しいのか分からない状態が発生するのだ。
もちろん、強面の人が“本当に恐い”事だってあるけど
ロシア人の気質は、
実はおせっかいなまでに親切だけど、不必要には笑わないって感じなのだと思う。
それが証拠に、一度心を許した相手には、笑顔で話しかけて来るし
その笑顔はきっと“本物”なのだ。
その事が分かるのに、さして時間は掛からなかった。
ロシア人はかくも単純で(いい意味で)分かり易い。
ドイツ人の愛想のなさは、むしろもっと排他的な感じがするし、分かり難い。。。
一度その事が分かってしまえば、意味なく恐い顔で対応されても
こちらは“笑顔”で「勝負を挑む」ってのが、楽しいプロセスの一つとなるのだ。
こうなって来ると、この強面親切な、ロシア的「ツンデレ」が
なくなって欲しくない。。。とか思ったりして。。。(^^;)
「ロシア人笑わない、恐い。」
という印象を持つ人は少なくないと思う。
私がロシアに来る前に居た、ドイツと言う国でも(地域にもよるけど)
人々は非常に無愛想だった。
「ハロー」と挨拶をしても、無視される事もあったし
スーパーのレジでは、物を投げつけるように扱われた事もある。
それまでの私にとって「外国人」の多くのイメージが
異様に愛想の良い「アメリカ人」から得たものであった事もあって
最初の頃は相当凹んだもんだ。
なんて愛想のない国だ、と。
住んでいるうちに、そんな愛想のない人々にも慣れて来て
それがドイツ人ってもんだ、って割り切る事もできて来た。
そんな私がモスクワに来て、最初に感じた人々の印象は
「ドイツ人みたい」
スーパーのレジのオバさんはもちろんの事
そこそこのレストランに行っても従業員の愛想は、良いとは言えない感じだった。
ドイツ人で相当慣らした私でもそう感じるのだから
サービス業で異常な程の愛想と丁寧さが“当たり前化”してしまった日本から
ロシアに来た人達は、私よりも多くのショックを受けたとしても不思議ではない。
この無愛想さは、ロシアのアパートの入口に必ず居る、と言っても過言ではない
“管理人のオバちゃん(おじちゃん)”にも言える事。
いや、むしろこのジャンルの人達の愛想の悪い率は
※他のジャンルと比べても高いのではないかと思われる。(※当社比(ーvー))
しかし、アパートの入口の管理人と言えば、ほぼ毎日顔を合わせる相手。
愛想が悪いからと言って、こちらも愛想を悪くしていては
毎日不快な気持ちになってしまう。
そんな時、私はこれを「勝負」と受け取る。
いくら無視されても、いくら不機嫌そうでも
アパートを出る時、入る時、顔を合わせるときは何時でも“笑顔”で
「こんにちは!」
と、話しかける。
この時の笑顔は、“とびきり”の笑顔だ。
こちらの目をジッ。。。と見たまま無視されても怯んではいけない。
こちらも目を見つめ返し、“笑顔”で声を掛け続けるのだ。
前に住んでいたアパートにも、何人かいる管理人のうちの一人で
一切挨拶に応えようとしない、愛想0のオバハンがおった。
しかし私は、来る日も来る日も笑顔での挨拶を欠かさず
オバハンに接していた。
ある時から、オバハンは、軽く会釈をする様になった。
それでも、声に出して挨拶し返してくれる訳ではないけど。。。
そんな事を続けていたある日、
両手に大きな荷物を抱えてアパートの入口に近づく私を
そのオバハンが目に留めた。
すると、どうだろう。。。。
相変わらず、眉間に深いシワを寄せて、思いっきり恐い顔をして私を睨みつけたまま
アパートの入り口のドアの鍵を開けて(普段は自分で開けなければならない)
私を出迎えてくれたのだ!
それからも、彼女は相変わらず挨拶は会釈のみで強面も崩さなかったが
私は「この勝負、勝った!」と、小さくガッツポーズをしたもんだ。
この戦法は、馴染みのスーパーのレジでも、レストランでも有効である。
諦めずに笑顔せ接しているうちに、
大抵の人はいつの間にか笑顔で答えてくれる様になる。(経験済み)
ちなみに、このアパートの管理人のオバハンは、今の所、最強の相手。
最後まで、彼女を笑顔にする事は出来なかった。
それでも、彼女に対する“恐い”という思いや、嫌な感じは一切なくなったけどね♪
しかし、街中で人々を観察してみると
愛想がない=不親切/冷たい
という事ではない事がわかる。
地図を握りしめて道に迷っていれば、
めっちゃ恐い顔をして
「どこに行きたいんだ?」とか
「住所は分かってるのか?」とか言い出して地図を見始め
ごちゃごちゃと話していると、どこからともなく
これまた強面のロシア人がやって来て
「そっちじゃないよ、あっち側だよ」とか言い出し
それでも分からないと、
何か不幸でもあったのかと思しき面構えのおっちゃんが、横から
「ちょっと地図を見せろ」と口を出す。
一見、どう見ても恐ろしいロシア人に絡まれてる図であるが
全員がおせっかいなまでに親切。
こんなに人が集まっても、
結局目的地がどこにあるのか分からずに終わる事もあるのが
またロシアらしいっちゃぁ〜ロシアらしいんだけど。。。(^^;)
結局の所。。。
ロシア人は、悪意があって笑わない訳ではなく
愛想笑いなんて出来ない程シャイだったり
見ず知らずの人に笑いかける事に慣れていないだけ、なのだ。
考えてみれば、愛想笑い、なんてもんはサービスの一つだったりする訳だし
この国の歴史を見てみれば、人々がそんなサービスとは無縁だった長き期間がある。
「笑顔」という外国産のサービスが、この国の人々にとって「当たり前」になるには
時間が掛かって「当たり前」なのだ。
実際、私が初めてモスクワを訪れた3年前と比べても
人々は色んな所で笑顔を見せる様になってるし
今や、“そこそこレストラン”では“そこそこ笑顔”が見られる。
一方、そんな笑顔という建前のサービスをナチュラルに導入出来ない人々の中には
都会人にはない素朴な「助け合い」の精神が、まだ宿っているのだと思う。
だからこそ、
強面(笑顔のない、ある意味ナチュラルな顔)だけど超〜親切!
という、一見矛盾した様な、恐いのか嬉しいのか分からない状態が発生するのだ。
もちろん、強面の人が“本当に恐い”事だってあるけど
ロシア人の気質は、
実はおせっかいなまでに親切だけど、不必要には笑わないって感じなのだと思う。
それが証拠に、一度心を許した相手には、笑顔で話しかけて来るし
その笑顔はきっと“本物”なのだ。
その事が分かるのに、さして時間は掛からなかった。
ロシア人はかくも単純で(いい意味で)分かり易い。
ドイツ人の愛想のなさは、むしろもっと排他的な感じがするし、分かり難い。。。
一度その事が分かってしまえば、意味なく恐い顔で対応されても
こちらは“笑顔”で「勝負を挑む」ってのが、楽しいプロセスの一つとなるのだ。
こうなって来ると、この強面親切な、ロシア的「ツンデレ」が
なくなって欲しくない。。。とか思ったりして。。。(^^;)










