福島
2013年07月28日
福島に寄って来た。
モスクワで行ったチャリティー・イベントの募金を陸前高田に届けた帰り道
福島に立ち寄った。
予定外の事だったので、どこに行こうか、何をしようか。。。
全くのノープランw
降り立ったのは陸前高田の玄関口である一関から東京への途中駅

JR福島。
もう本当に何していいか分からなかったし
さっそく日も暮れて来たので、とりあえずゴハン食べなきゃっ!
で、ホテルのコンシェルジュに聞いてみた。
「何か地元の美味しい物が食べたいんですけど、紹介してもらえませんか?」
いくつかのお店と、賑やかな通りがどこかを教えてもらった。

平日と言う事もあって、それほど人通りは多くないけど
飲食店は意外と沢山あって、紹介してもらった店以外でも
入ってみたいと思わせるお店が結構あった。
しかし、一回だけの夕食なので失敗もしたくなく
結局紹介されたお店へw

轟座さん。
とにかくお腹空いた!
とにかくウマいもんが食いたい!!
とにかくせっかく福島に居るんだから、福島の物を!!!
というコンセプトをこの場で作りましたw
ただ、福島のお店だからと言って、
もちろん全部が全部、福島の物を使っている訳じゃない。
これは別に福島が特別な訳じゃないよね。
でもやっぱり福島の物が食べたいので
「店で出してる福島産、全部持って来〜〜〜いっ!」
。。。という気持ちを込めてwいちいち店員さんに聞きました。^^;
「この辺りの特産とかってどれですかね?」
「これって福島産ですか?」
分からない品物については、店員さんもいちいち厨房に聞きに行ってくれた。
さぞ面倒くさい客だと思われたろうなぁ〜。
それなのに、嫌な顔ひとつせずに、丁寧につき合ってくれた。
「面倒くさくってごめんなさい。
でも、出来ればせっかく福島に来たのだから福島で採れた物を食べたいと思って。。。」
そう言うと、満面の笑みで
「ありがとうございます!とても嬉しいです!!」と。(^ー^)
で、この日のメニューはコチラ♪
まずは福島県の郷土料理、イカ人参。

スルメイカと人参を和えた、松前漬けに似た料理。
コレ、お酒に合うねw
こちらは大根サラダ。

まぁ、ただの大根サラダと言ってしまえばそれまでなんだけど
この大根は福島産。
シャキシャキしてて甘くて美味しい♪
エゴマ豚のつくね。

エゴマ豚は正式には「うつくしま エゴマ豚」と言うらしいw
餌にエゴマを与えて育てた、脂身の少ない豚さん。
さっぱりしてるけどコクがあって美味しかった。
エゴマ豚、詳細はコチラ
メヒカリの唐揚げ。

去年福島に行った際、いわきの辺りで頻繁に目にしていた“メヒカリ”という文字。
いわきで採れる土地のお魚と言う事はわかったんだけど
その時は食べられなかったんだよね〜。
その念願のメヒカリをやっと食せた!
意外と油がのってて、とーーっても美味しかった♪
とにかく、ぜーーんぶ美味しかった!

余は満足じゃ。。。( ´З`)=3
宿への帰り道で、こんな店にも立ち寄った。

元ドイツ住みとしては『ダンケシェーン(ドイツ語でありがとう)』
という店名がスルーでけまへんでしたwww
で、見ての通りのアイスクリーム屋さんなんだけど
ミルキーで、これもとっても美味しい。
福島の方から教えてもらった情報によると
あのイッセー尾形が、公演に来る時には必ず立ち寄る店なんだとか。
図らずも名店だったみたいだし
イッセー尾形の一人芝居の大ファンの私としては
同じ店で食べられて大変嬉しい。^^
で、帰り道のコンビニでは福島のお決まりを購入。。。

ご存知(?)酪王カフェオレ。
昨年初めて飲んで美味しいと思ったけど、やっぱり美味しいw
翌日は帰る前に「花見山公園」ってトコにちょこっと寄った。
近場でサクッと行ける所ないかなぁ〜と思って適当に選んで行った所だったんだけど
行ってみて気が付いた。
ここ、毎年春になると見事な桜が各局で放送される花見のメッカやんw

これは駅に貼ってあったポスターだけど、この景色を見れば
思い当たる人も多いはず。
当然ながら、この時期は桜なんか咲いてないけど。。。

てか、むしろ緑ばかりで地味な感じの時期に来ちゃったけど。。。^^;

それでも山の上から見下ろす福島市の景色は壮観だったし


紫陽花はまだ盛りだったし、蓮の花もキレイだった。
改めて、福島は(・∀・)イイっ!!
キレイで美味しい!
でもね、やっぱりそれだけじゃない。
ホテルのエレベーター横には

すごーーーく低いね。
毎日放射線量が測定されて提示されてる。
町を歩けばこんな看板もある。

そしてこんな場所も。。。

どうやら放射線や除染に関する情報を提供している所らしい。

これはたぶん紙芝居。
ちびっ子達にも教えてるんだね。
既に閉まっていたので中に入る事は出来なかったんだけど、覗いてみると。。。


除染作業の進捗状況を細かく提示してある。
タクシーの運ちゃんに少し伺った所に寄ると
もう2年も経つのに、まだ50%くらいしか終わっていない所もあるとか。
しかも一度除染しても、雨が降ったり風が吹いたりすればまた線量が上がる。。。
いたちごっこだと。。。
街中を走っていると、除染で出たゴミが青い袋に入れられて
軒先や庭にいくつも並べられている姿があった。
いつ決まるともわからない中間貯蔵の場所が決まるまで
あの袋達はいつまでもあそこにあるのかもしれない。
また、その基準が本当に厳しく守られるべきかどうかは別として
“除染対象”となっている場所で“除染作業が行われる日”を
何ヶ月も、何年も待っているのは相当なストレスだろうなぁ、と想像した。
こんな過酷な状況の中でも、並々ならぬ努力の末に
厳しい検査をパスして
沢山の美味しい農畜海産物を市場に送り出している皆さんには心から敬意を表したい。
何度でも言うけど
今、日本で一番厳しい検査を通過して出荷されている“福島産”
忌避する理由が一体どこにあるんだろう?
もちろん食べない自由はあるけど、風評をバラまく行為は本当に罪だよ。
福島の人達は、こんなにも努力して、こんなにも勉強してる。
それはきっと、私の様に東京や、福島以外に住んでいる人達が
テレビや新聞で見聞きしただけでは想像もできないことなのかもしれない。
でも、少なくとも彼らは私達よりずっと勉強して、そして福島で生活している。
帰りに駅構内で、こんなものを買いました。

まるで宝石の様に美しいさくらんぼ。
肉厚な実には甘い果汁がたっぷりと含まれていて
久しぶりに食べた日本のさくらんぼの美味しさに幸せな気分になったw
福島に立ち寄って良かった。^^
ところで、先ほどの「除染情報プラザ」の横にはこんな看板があった。

こちらも「除染情報プラザ」と同じ、環境省の運営、
「福島環境再生事務所」
一日も早く、福島の環境が再生されることを祈るばかり。
元に戻すんじゃなくて
前より、もっともっと良い場所になる様に。
だって福島の方達は、私達は、こんなにも沢山の犠牲を払って
福島がどんなに良い場所だったか、
どんなに自然豊かでステキな場所かと言う事を、再認識したんだから。
またお邪魔させてもらいます。
関連記事>『福島に行って来た。』2012年夏の福島訪問記事です。
福島に立ち寄った。
予定外の事だったので、どこに行こうか、何をしようか。。。
全くのノープランw
降り立ったのは陸前高田の玄関口である一関から東京への途中駅

JR福島。
もう本当に何していいか分からなかったし
さっそく日も暮れて来たので、とりあえずゴハン食べなきゃっ!
で、ホテルのコンシェルジュに聞いてみた。
「何か地元の美味しい物が食べたいんですけど、紹介してもらえませんか?」
いくつかのお店と、賑やかな通りがどこかを教えてもらった。

平日と言う事もあって、それほど人通りは多くないけど
飲食店は意外と沢山あって、紹介してもらった店以外でも
入ってみたいと思わせるお店が結構あった。
しかし、一回だけの夕食なので失敗もしたくなく
結局紹介されたお店へw

轟座さん。
とにかくお腹空いた!
とにかくウマいもんが食いたい!!
とにかくせっかく福島に居るんだから、福島の物を!!!
というコンセプトをこの場で作りましたw
ただ、福島のお店だからと言って、
もちろん全部が全部、福島の物を使っている訳じゃない。
これは別に福島が特別な訳じゃないよね。
でもやっぱり福島の物が食べたいので
「店で出してる福島産、全部持って来〜〜〜いっ!」
。。。という気持ちを込めてwいちいち店員さんに聞きました。^^;
「この辺りの特産とかってどれですかね?」
「これって福島産ですか?」
分からない品物については、店員さんもいちいち厨房に聞きに行ってくれた。
さぞ面倒くさい客だと思われたろうなぁ〜。
それなのに、嫌な顔ひとつせずに、丁寧につき合ってくれた。
「面倒くさくってごめんなさい。
でも、出来ればせっかく福島に来たのだから福島で採れた物を食べたいと思って。。。」
そう言うと、満面の笑みで
「ありがとうございます!とても嬉しいです!!」と。(^ー^)
で、この日のメニューはコチラ♪
まずは福島県の郷土料理、イカ人参。

スルメイカと人参を和えた、松前漬けに似た料理。
コレ、お酒に合うねw
こちらは大根サラダ。

まぁ、ただの大根サラダと言ってしまえばそれまでなんだけど
この大根は福島産。
シャキシャキしてて甘くて美味しい♪
エゴマ豚のつくね。

エゴマ豚は正式には「うつくしま エゴマ豚」と言うらしいw
餌にエゴマを与えて育てた、脂身の少ない豚さん。
さっぱりしてるけどコクがあって美味しかった。
エゴマ豚、詳細はコチラ
メヒカリの唐揚げ。

去年福島に行った際、いわきの辺りで頻繁に目にしていた“メヒカリ”という文字。
いわきで採れる土地のお魚と言う事はわかったんだけど
その時は食べられなかったんだよね〜。
その念願のメヒカリをやっと食せた!
意外と油がのってて、とーーっても美味しかった♪
とにかく、ぜーーんぶ美味しかった!

余は満足じゃ。。。( ´З`)=3
宿への帰り道で、こんな店にも立ち寄った。

元ドイツ住みとしては『ダンケシェーン(ドイツ語でありがとう)』
という店名がスルーでけまへんでしたwww
で、見ての通りのアイスクリーム屋さんなんだけど
ミルキーで、これもとっても美味しい。
福島の方から教えてもらった情報によると
あのイッセー尾形が、公演に来る時には必ず立ち寄る店なんだとか。
図らずも名店だったみたいだし
イッセー尾形の一人芝居の大ファンの私としては
同じ店で食べられて大変嬉しい。^^
で、帰り道のコンビニでは福島のお決まりを購入。。。

ご存知(?)酪王カフェオレ。
昨年初めて飲んで美味しいと思ったけど、やっぱり美味しいw
翌日は帰る前に「花見山公園」ってトコにちょこっと寄った。
近場でサクッと行ける所ないかなぁ〜と思って適当に選んで行った所だったんだけど
行ってみて気が付いた。
ここ、毎年春になると見事な桜が各局で放送される花見のメッカやんw

これは駅に貼ってあったポスターだけど、この景色を見れば
思い当たる人も多いはず。
当然ながら、この時期は桜なんか咲いてないけど。。。

てか、むしろ緑ばかりで地味な感じの時期に来ちゃったけど。。。^^;

それでも山の上から見下ろす福島市の景色は壮観だったし


紫陽花はまだ盛りだったし、蓮の花もキレイだった。
改めて、福島は(・∀・)イイっ!!
キレイで美味しい!
でもね、やっぱりそれだけじゃない。
ホテルのエレベーター横には

すごーーーく低いね。
毎日放射線量が測定されて提示されてる。
町を歩けばこんな看板もある。

そしてこんな場所も。。。

どうやら放射線や除染に関する情報を提供している所らしい。

これはたぶん紙芝居。
ちびっ子達にも教えてるんだね。
既に閉まっていたので中に入る事は出来なかったんだけど、覗いてみると。。。


除染作業の進捗状況を細かく提示してある。
タクシーの運ちゃんに少し伺った所に寄ると
もう2年も経つのに、まだ50%くらいしか終わっていない所もあるとか。
しかも一度除染しても、雨が降ったり風が吹いたりすればまた線量が上がる。。。
いたちごっこだと。。。
街中を走っていると、除染で出たゴミが青い袋に入れられて
軒先や庭にいくつも並べられている姿があった。
いつ決まるともわからない中間貯蔵の場所が決まるまで
あの袋達はいつまでもあそこにあるのかもしれない。
また、その基準が本当に厳しく守られるべきかどうかは別として
“除染対象”となっている場所で“除染作業が行われる日”を
何ヶ月も、何年も待っているのは相当なストレスだろうなぁ、と想像した。
こんな過酷な状況の中でも、並々ならぬ努力の末に
厳しい検査をパスして
沢山の美味しい農畜海産物を市場に送り出している皆さんには心から敬意を表したい。
何度でも言うけど
今、日本で一番厳しい検査を通過して出荷されている“福島産”
忌避する理由が一体どこにあるんだろう?
もちろん食べない自由はあるけど、風評をバラまく行為は本当に罪だよ。
福島の人達は、こんなにも努力して、こんなにも勉強してる。
それはきっと、私の様に東京や、福島以外に住んでいる人達が
テレビや新聞で見聞きしただけでは想像もできないことなのかもしれない。
でも、少なくとも彼らは私達よりずっと勉強して、そして福島で生活している。
帰りに駅構内で、こんなものを買いました。

まるで宝石の様に美しいさくらんぼ。
肉厚な実には甘い果汁がたっぷりと含まれていて
久しぶりに食べた日本のさくらんぼの美味しさに幸せな気分になったw
福島に立ち寄って良かった。^^
ところで、先ほどの「除染情報プラザ」の横にはこんな看板があった。

こちらも「除染情報プラザ」と同じ、環境省の運営、
「福島環境再生事務所」
一日も早く、福島の環境が再生されることを祈るばかり。
元に戻すんじゃなくて
前より、もっともっと良い場所になる様に。
だって福島の方達は、私達は、こんなにも沢山の犠牲を払って
福島がどんなに良い場所だったか、
どんなに自然豊かでステキな場所かと言う事を、再認識したんだから。
またお邪魔させてもらいます。
関連記事>『福島に行って来た。』2012年夏の福島訪問記事です。
2012年10月11日
福島に行って来た。
8月の一時帰国の時、震災後初めての福島にも行って来た。
拠点にしたいわき市の中心部は、驚く程普通の地方都市の風景だった。
滞在したホテルも沢山の人が泊まっていたし
飲食店もみんな賑わってて、場所によっては並ばなければ行けない程。
そこだけ見る限りでは、本当に何もなかったかの様。
ここまで来てみたのはいいけど
これで何か分かるのかな。。。?
本当にそう思った。
もしかしたら、ただの観光になっちゃうかもしれない。。。
けど、それはそれでいいか、とも思ったけど。。。
とにかく沿岸部を走ってみた。

最初に見えたのは、やっぱり津波の被害。


壊れた護岸や、瓦礫、緑に覆われて少し判りにくくなっている建物の基礎部分。
岩手や宮城でも見た風景。
けど、いわきから国道6号線を北上して行く間
その道路の側には家があり商店があり、明らかに生活があった。
震災の被害状況は、その道を走っているだけでは確認出来なかった。
かといって、それが海から離れている訳でもなく
右に少し入れば、そこはすぐに海。
そこで初めて、被害があった事がわかる。
少なくとも、私が走ったエリアはそうだった。
決してこの辺りの津波の被害を軽視する訳じゃないけれど
今年何度か訪れた、気仙沼以北の沿岸部の壊滅具合とは大きな差を感じた。
けど、そのままどんどん北上して行くと、目に見える被害のない家々にも
人の気配が無くなって行った。
それでも、あまりにも有名になったJヴィレッジの少し手前では
普通にコンビニが営業していて、結構客が入っていた。
原発や火力発電の作業員の方が多かったのかもしれない。
この辺りの空間線量はさほど高くない。
しかし、この後、突然数値が上がり始めた。
それもそのはず、その地域はほんの数日前(8/10)に
立ち入りが解除されたばかりの場所で、除染作業が始まったばかり。
道路脇で作業員の方々がニュースですっかりお馴染みの作業をしていた。
しかし。。。と、改めて思う。
途方もない作業だな。。。
人気のない町では、時折パトロールカーを見かけた。
地元ナンバーでない私は、止められて職質を受けた。
聞くと、やはり犯罪が多いと言う。
ボランティアでもパトロールをしてる方がいて、留守の町を守っている、と。
怒られるかと思いきや、アレやコレやと快くお話をして下さった。
そんな話をしているうちに、前方からボラのパトロールが。。。
除染の方といい、パトロールの方といい、暑い中本当にご苦労様だよね。
「海岸の方の道から行けば第二原発のすぐ横まで行けるよ。」
そう言われて、行ける所まで行ってみた。
建屋が見える。

あれが福島第二原発。
一見草むらに見えるこの場所にも、良く見ると建物の基礎だけが残っている。
こんなに原発に近い所に、なんらかの建物があったんだ。。。


第二原発(左)と反対側の景色(右)
この辺りは津波で流されてしまっているけど、
すぐ裏手では、震災の被害をあまり受けてなさそうな家々を沢山通り過ぎて来た。


原発事故さえなければ、今頃は元の生活に近い物を取り戻せていたのかもしれない。
戻れる場所が存在しているのに戻れない事の辛さってのは
一体どんななんだろう。。。
津波で町ごと根こそぎもって行かれてしまった人。
家も町も残っているのにいつ帰れるのかわからない人。
1年半以上前の出来事は、その人達にとっては現在も続いてるんだよね。
けど、暗い気持ちにばかりなった訳じゃない。
確かにこの辺りはパトロールの車と作業員のバス、
立ち入り禁止境界の警備の警官を除いては、ほとんど人気がない。
けど、田んぼ脇の水路を覗けば

ザリガニ。
原っぱには

健康そうだったよ。
野性味溢れるニャンコ。
道を走れば。。。オヨヨヨヨ。。。


まだ、ヨチヨチした感じ。。。危ないよ〜、早く渡って〜^^;
。。。と思ったら

何の鳥??
道の反対側にお母さんが待ってたのね♪
人が居なくなっても、命はここで生きてる。
蝉も鳴かなくなった(放射能のせいで)とかいう書き込みを目にした事もあるけど
ここは蝉どころではない。
沢山の命が力強く生きてる。
この土地が「もうダメ」な筈ない、と思った。
それに、ここより少しだけ南下した場所では
既に私の想像を遥かに超えて賑わってた。
例えばここは、いわき市四倉の道の駅。


少なくとも私が訪れた週末は多くの観光客が来ていた。
地元産の野菜は、どれも美味しそうで、良く売れてるようだった。
私も大好きなトマトを買って食べたけど、味が濃くて美味しかった。

ちゃんと検査してますよ〜
そして、ここは「いわき・ら・ら・ミュウ」というフードテーマパーク。

駐車場を探す程の来場者。


美味しそうな魚介が、東京では信じられない値段で売ってる。
もちろん、その場で食べる事も出来る。


レストランは並ばなきゃいけない程。
震災の影響は何もない様に見えるけど、ここでもちゃんと気にしてる。

「環境放射線測定値」0.07とか。。。東京より低いんじゃね?
当然だけどね。
けど、凄く線量低いんだよ。
いわきの中心地もこんなもん。
てか、少なくともJヴィレッジ以南の辺りまでは
ほとんど気になる数値は出なかった。
除染の効果と時間経過による減少かもしれないけど
想像してたよりも、ずっと低い。
何事もなかったかのような生活の中でも
みんな気を使って、気にかけて、良くわかってるんだって思った。
その上で普通に生活してるんだ。
お寿司屋の板さんだって「○○はこの辺りのはダメだ!」って言う。
居酒屋のご主人だって「××は三陸のです。」って言う。
安全なモノを提供している自信があるから、
ダメな物も良い物もハッキリ言うんじゃないかな。
農産物だって同じだよね。
農家さんのもの凄い努力の末、
桃なんてほとんど基準値以下で今年の売れ行きは好調だったとか。
私も日本滞在中に何度か食べたけど、本当に美味しかった。
梨が出回る時期まで居られなかったのが悔やまれたw
被災地の桃売れてます。産経ニュース
福島は沢山の「ウリ」があるんだなぁ、って思った。
この人達のこの努力。
そして、かなり色々と開発されて来た除染の技術。
なによりも、山と田畑の風景に奇麗な海。
「うつくしま ふくしま」というキャッチフレーズに偽りはない。
これらをもってすれば、福島が復興しない訳がない。
まだまだ、全てが安全な訳じゃない。
けど、福島が危険な訳でもない。
だいたい。。。
福島はデカいよ。
東京と神奈川と埼玉を足したくらい、デカいよ。
正直、移動するの大変だよ、デカくて。^^;
それなのに、福島の農産物を「福島産」というだけで忌避するの
改めて、なんて愚かなんだろう、と思った。
事故前から0ベクレルの生活なんてありえなかったのに
それを今、追求する事にどれくらいの意味があるんだろう。
あの日から、原発も放射能も、みんな沢山勉強して来たと思う。
今だから解る事もあるし、勉強しなきゃいけない事はまだまだ沢山出て来ると思う。
東電も腹立つし、国も頼りにならない。
けど、それらの責任の追及だけをしていたら、間に合わない。
だから、ちゃんと勉強したい。自分の頭で考えたい。
今の自分を否定する事を恐れずに、少しでも“正解”に近づく作業をしていたい。
大変だけど。面倒だけど。
それは、今まで無関心であった私達の、一つの責任の取り方でもあるんじゃないだろうか。
そう考えた、福島旅行だった。
1年と7ヶ月によせて。
※訪問地の線量は一番大きい所でも2μSv/hを超えた所はありませんでした。
もちろん、地上1m程度計測での数値が低い場所でも、
草むらやゴミの貯まった場所では跳ね上がったりします。
それでも、数時間滞在するには問題のない数値でした。
当然ですよね。だから人が入れるんです。
拠点にしたいわき市の中心部は、驚く程普通の地方都市の風景だった。
滞在したホテルも沢山の人が泊まっていたし
飲食店もみんな賑わってて、場所によっては並ばなければ行けない程。
そこだけ見る限りでは、本当に何もなかったかの様。
ここまで来てみたのはいいけど
これで何か分かるのかな。。。?
本当にそう思った。
もしかしたら、ただの観光になっちゃうかもしれない。。。
けど、それはそれでいいか、とも思ったけど。。。
とにかく沿岸部を走ってみた。

最初に見えたのは、やっぱり津波の被害。


壊れた護岸や、瓦礫、緑に覆われて少し判りにくくなっている建物の基礎部分。
岩手や宮城でも見た風景。
けど、いわきから国道6号線を北上して行く間
その道路の側には家があり商店があり、明らかに生活があった。
震災の被害状況は、その道を走っているだけでは確認出来なかった。
かといって、それが海から離れている訳でもなく
右に少し入れば、そこはすぐに海。
そこで初めて、被害があった事がわかる。
少なくとも、私が走ったエリアはそうだった。
決してこの辺りの津波の被害を軽視する訳じゃないけれど
今年何度か訪れた、気仙沼以北の沿岸部の壊滅具合とは大きな差を感じた。
けど、そのままどんどん北上して行くと、目に見える被害のない家々にも
人の気配が無くなって行った。
それでも、あまりにも有名になったJヴィレッジの少し手前では
普通にコンビニが営業していて、結構客が入っていた。
原発や火力発電の作業員の方が多かったのかもしれない。
この辺りの空間線量はさほど高くない。
しかし、この後、突然数値が上がり始めた。
それもそのはず、その地域はほんの数日前(8/10)に
立ち入りが解除されたばかりの場所で、除染作業が始まったばかり。
道路脇で作業員の方々がニュースですっかりお馴染みの作業をしていた。
しかし。。。と、改めて思う。
途方もない作業だな。。。
人気のない町では、時折パトロールカーを見かけた。
地元ナンバーでない私は、止められて職質を受けた。
聞くと、やはり犯罪が多いと言う。
ボランティアでもパトロールをしてる方がいて、留守の町を守っている、と。
怒られるかと思いきや、アレやコレやと快くお話をして下さった。
そんな話をしているうちに、前方からボラのパトロールが。。。
除染の方といい、パトロールの方といい、暑い中本当にご苦労様だよね。
「海岸の方の道から行けば第二原発のすぐ横まで行けるよ。」
そう言われて、行ける所まで行ってみた。
建屋が見える。

あれが福島第二原発。
一見草むらに見えるこの場所にも、良く見ると建物の基礎だけが残っている。
こんなに原発に近い所に、なんらかの建物があったんだ。。。


第二原発(左)と反対側の景色(右)
この辺りは津波で流されてしまっているけど、
すぐ裏手では、震災の被害をあまり受けてなさそうな家々を沢山通り過ぎて来た。


原発事故さえなければ、今頃は元の生活に近い物を取り戻せていたのかもしれない。
戻れる場所が存在しているのに戻れない事の辛さってのは
一体どんななんだろう。。。
津波で町ごと根こそぎもって行かれてしまった人。
家も町も残っているのにいつ帰れるのかわからない人。
1年半以上前の出来事は、その人達にとっては現在も続いてるんだよね。
けど、暗い気持ちにばかりなった訳じゃない。
確かにこの辺りはパトロールの車と作業員のバス、
立ち入り禁止境界の警備の警官を除いては、ほとんど人気がない。
けど、田んぼ脇の水路を覗けば

ザリガニ。
原っぱには

健康そうだったよ。
野性味溢れるニャンコ。
道を走れば。。。オヨヨヨヨ。。。


まだ、ヨチヨチした感じ。。。危ないよ〜、早く渡って〜^^;
。。。と思ったら

何の鳥??
道の反対側にお母さんが待ってたのね♪
人が居なくなっても、命はここで生きてる。
蝉も鳴かなくなった(放射能のせいで)とかいう書き込みを目にした事もあるけど
ここは蝉どころではない。
沢山の命が力強く生きてる。
この土地が「もうダメ」な筈ない、と思った。
それに、ここより少しだけ南下した場所では
既に私の想像を遥かに超えて賑わってた。
例えばここは、いわき市四倉の道の駅。


少なくとも私が訪れた週末は多くの観光客が来ていた。
地元産の野菜は、どれも美味しそうで、良く売れてるようだった。
私も大好きなトマトを買って食べたけど、味が濃くて美味しかった。

ちゃんと検査してますよ〜
そして、ここは「いわき・ら・ら・ミュウ」というフードテーマパーク。

駐車場を探す程の来場者。


美味しそうな魚介が、東京では信じられない値段で売ってる。
もちろん、その場で食べる事も出来る。


レストランは並ばなきゃいけない程。
震災の影響は何もない様に見えるけど、ここでもちゃんと気にしてる。

「環境放射線測定値」0.07とか。。。東京より低いんじゃね?
当然だけどね。
けど、凄く線量低いんだよ。
いわきの中心地もこんなもん。
てか、少なくともJヴィレッジ以南の辺りまでは
ほとんど気になる数値は出なかった。
除染の効果と時間経過による減少かもしれないけど
想像してたよりも、ずっと低い。
何事もなかったかのような生活の中でも
みんな気を使って、気にかけて、良くわかってるんだって思った。
その上で普通に生活してるんだ。
お寿司屋の板さんだって「○○はこの辺りのはダメだ!」って言う。
居酒屋のご主人だって「××は三陸のです。」って言う。
安全なモノを提供している自信があるから、
ダメな物も良い物もハッキリ言うんじゃないかな。
農産物だって同じだよね。
農家さんのもの凄い努力の末、
桃なんてほとんど基準値以下で今年の売れ行きは好調だったとか。
私も日本滞在中に何度か食べたけど、本当に美味しかった。
梨が出回る時期まで居られなかったのが悔やまれたw
被災地の桃売れてます。産経ニュース
福島は沢山の「ウリ」があるんだなぁ、って思った。
この人達のこの努力。
そして、かなり色々と開発されて来た除染の技術。
なによりも、山と田畑の風景に奇麗な海。
「うつくしま ふくしま」というキャッチフレーズに偽りはない。
これらをもってすれば、福島が復興しない訳がない。
まだまだ、全てが安全な訳じゃない。
けど、福島が危険な訳でもない。
だいたい。。。
福島はデカいよ。
東京と神奈川と埼玉を足したくらい、デカいよ。
正直、移動するの大変だよ、デカくて。^^;
それなのに、福島の農産物を「福島産」というだけで忌避するの
改めて、なんて愚かなんだろう、と思った。
事故前から0ベクレルの生活なんてありえなかったのに
それを今、追求する事にどれくらいの意味があるんだろう。
あの日から、原発も放射能も、みんな沢山勉強して来たと思う。
今だから解る事もあるし、勉強しなきゃいけない事はまだまだ沢山出て来ると思う。
東電も腹立つし、国も頼りにならない。
けど、それらの責任の追及だけをしていたら、間に合わない。
だから、ちゃんと勉強したい。自分の頭で考えたい。
今の自分を否定する事を恐れずに、少しでも“正解”に近づく作業をしていたい。
大変だけど。面倒だけど。
それは、今まで無関心であった私達の、一つの責任の取り方でもあるんじゃないだろうか。
そう考えた、福島旅行だった。
1年と7ヶ月によせて。
※訪問地の線量は一番大きい所でも2μSv/hを超えた所はありませんでした。
もちろん、地上1m程度計測での数値が低い場所でも、
草むらやゴミの貯まった場所では跳ね上がったりします。
それでも、数時間滞在するには問題のない数値でした。
当然ですよね。だから人が入れるんです。
2011年08月13日
いつ学ぶのか?
"Secrecy, once accepted, becomes an addiction."
ぶっちゃけ、一度受け入れたら、中毒になるんだ。
広島と長崎に落とされた原爆を作った科学者の一人
エドワード・テラーが言った言葉です。
夏がくれば、好むと好まざると、日本人なら誰もが思い出す原爆と終戦。
原爆の歴史は、アメリカに取っては検閲とプロパガンダの歴史である
と、英国紙ガーディアンに寄せられた記事にあります。
==========
軍は、映像記録を止めさせただけではなく、
レポーター達の爆撃された地域への立ち入りを禁止したのです。
ピューリツァー賞受賞のジャーナリスト、ジョージ・ウェラーは、
何とかして長崎に入る事が出来ました。
しかし、彼の記事はマッカーサーによって抹殺されました。
オーストラリアのWilfred Burchett は、
どうにか爆撃後間もない長崎に入ることができ
"a warning to the world", "atomic plague"
「世界に警告」、「核の疫病」
と、レポートを残しています。
一方軍はWilliam Laurenceという、
ニューヨークタイムズの記者を使って独自の展開を広げます。
彼は忠実に米国政府の立場を取り、
「日本人の言う“症状”に真実味を持たない」と報告しました。
悲しくも、彼はこのプロパガンダでピューリツァー賞を受賞したのです。
彼は又、米陸軍から給料を受けている人でもありました。
Greg Mitchellは何十年にも渡って、
広島長崎の歴史と余波について書いている人です。
と言っています。
彼が何年にも渡って探し続けていた、
軍のフィルムの中にはこんなシーンがあります。
若い男性の背中が真っ赤に生々しく負傷し治療を受けている。
しかし、彼は生き延びた。
Michell氏は現在82歳のタニグチ スミテルさんが、
福島の事を受けて新聞にコメントを寄せているのを見つけた。
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この記事のタイトルは
From Hiroshima to Fukushima: Japan's atomic tragedies
広島から福島へ:日本の原子力の悲劇
リードには
In 1945, the US suppressed reports of its A-bombs.
In 2011, Japan censors Fukushima's radiation. When will we learn?
1945年、アメリカは原爆のレポートを抑制させた。
2011年、日本は福島の放射線の検閲をした。
私達はいつ学ぶのか?
と、ある。
一体、本当にいつ学ぶんだろう?
大手メディアの世論調査でさえ
「脱原発」を希望している人が70%を超えているというニュースも見た。
原発がなかったら福島の経済はどうなるんだ?!
今まで無責任に恩恵だけを預かって来た都会の人間が「脱原発」なんて笑わせる!
。。。みたいな発言もあったけど
その福島県が「脱原発」を表明したね。
そろそろ上っ面だけじゃなくて、一つの議題に対してとことん議論を深化させ
一般国民が判断材料と出来る様な番組なんかも出て来てるんだろうか。。。
私の知る限りは、出て来てないんだが。。。
世間が反原発の方向に向いたからって、迎合するだけの報道、放送をするんじゃなく
メディアとして、今何が出来るのか(特にキー局で)ちゃんと考えて欲しい。
今まで放置・容認して来た責任を、取りあえずは棚に上げてるの許してるんだからさ。
一人一人が自分の意見を持てる材料を、もっともっと出してもらわないと。
だって、「今」でしょ学ぶの。
「今」学ばないと、いつ学の?
休暇に来たと思ったら、酷い(多分)食中毒で苦しんでる最中(ーー;)
なかなか繋がらないネット環境で、たまたま目に出来た記事を読んで思った事。
災害後、事故後、5ヶ月目。
もっともっと前に進みたいと思ふ今日この頃。
そんな訳で、パソコン&カメラとフル装備で来たにも関わらず、思った様にブログ更新も出来ず。。。
しかし近々、旅行記。。。もしくは闘病記。。。を書きたいと思います。。。orz
ぶっちゃけ、一度受け入れたら、中毒になるんだ。
広島と長崎に落とされた原爆を作った科学者の一人
エドワード・テラーが言った言葉です。
夏がくれば、好むと好まざると、日本人なら誰もが思い出す原爆と終戦。
原爆の歴史は、アメリカに取っては検閲とプロパガンダの歴史である
と、英国紙ガーディアンに寄せられた記事にあります。
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軍は、映像記録を止めさせただけではなく、
レポーター達の爆撃された地域への立ち入りを禁止したのです。
ピューリツァー賞受賞のジャーナリスト、ジョージ・ウェラーは、
何とかして長崎に入る事が出来ました。
しかし、彼の記事はマッカーサーによって抹殺されました。
オーストラリアのWilfred Burchett は、
どうにか爆撃後間もない長崎に入ることができ
"a warning to the world", "atomic plague"
「世界に警告」、「核の疫病」
と、レポートを残しています。
一方軍はWilliam Laurenceという、
ニューヨークタイムズの記者を使って独自の展開を広げます。
彼は忠実に米国政府の立場を取り、
「日本人の言う“症状”に真実味を持たない」と報告しました。
悲しくも、彼はこのプロパガンダでピューリツァー賞を受賞したのです。
彼は又、米陸軍から給料を受けている人でもありました。
Greg Mitchellは何十年にも渡って、
広島長崎の歴史と余波について書いている人です。
「全ての核兵器や核エネルギーに触れる事は、
隠蔽や危険を社会にもたらす。」
隠蔽や危険を社会にもたらす。」
と言っています。
彼が何年にも渡って探し続けていた、
軍のフィルムの中にはこんなシーンがあります。
若い男性の背中が真っ赤に生々しく負傷し治療を受けている。
しかし、彼は生き延びた。
Michell氏は現在82歳のタニグチ スミテルさんが、
福島の事を受けて新聞にコメントを寄せているのを見つけた。
「原子力と人類は共生出来ない。
私達、原爆の生存者はそう言い続けて来た。
それでもなお、原子力は平和利用とごまかされ、使い続けて来た。
自然災害がいつやってくるか分からない。
原発事故が起こらないなんて、言う事は出来ない。」
私達、原爆の生存者はそう言い続けて来た。
それでもなお、原子力は平和利用とごまかされ、使い続けて来た。
自然災害がいつやってくるか分からない。
原発事故が起こらないなんて、言う事は出来ない。」
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この記事のタイトルは
From Hiroshima to Fukushima: Japan's atomic tragedies
広島から福島へ:日本の原子力の悲劇
リードには
In 1945, the US suppressed reports of its A-bombs.
In 2011, Japan censors Fukushima's radiation. When will we learn?
1945年、アメリカは原爆のレポートを抑制させた。
2011年、日本は福島の放射線の検閲をした。
私達はいつ学ぶのか?
と、ある。
When will we learn?
私達はいつ学ぶのか?
一体、本当にいつ学ぶんだろう?
大手メディアの世論調査でさえ
「脱原発」を希望している人が70%を超えているというニュースも見た。
原発がなかったら福島の経済はどうなるんだ?!
今まで無責任に恩恵だけを預かって来た都会の人間が「脱原発」なんて笑わせる!
。。。みたいな発言もあったけど
その福島県が「脱原発」を表明したね。
そろそろ上っ面だけじゃなくて、一つの議題に対してとことん議論を深化させ
一般国民が判断材料と出来る様な番組なんかも出て来てるんだろうか。。。
私の知る限りは、出て来てないんだが。。。
世間が反原発の方向に向いたからって、迎合するだけの報道、放送をするんじゃなく
メディアとして、今何が出来るのか(特にキー局で)ちゃんと考えて欲しい。
今まで放置・容認して来た責任を、取りあえずは棚に上げてるの許してるんだからさ。
一人一人が自分の意見を持てる材料を、もっともっと出してもらわないと。
だって、「今」でしょ学ぶの。
「今」学ばないと、いつ学の?
休暇に来たと思ったら、酷い(多分)食中毒で苦しんでる最中(ーー;)
なかなか繋がらないネット環境で、たまたま目に出来た記事を読んで思った事。
災害後、事故後、5ヶ月目。
もっともっと前に進みたいと思ふ今日この頃。
そんな訳で、パソコン&カメラとフル装備で来たにも関わらず、思った様にブログ更新も出来ず。。。
しかし近々、旅行記。。。もしくは闘病記。。。を書きたいと思います。。。orz










