震災
2012年01月16日

出かけてました。

新年早々、すっかりご無沙汰してしまいました。

思えば。。。

5日、家族サービス
6日、健康診断
7日、九州旅行出発(9日帰宅)

ここまで毎日早朝出発&寝不足。
特に九州旅行中は、痛恨の耳栓不携帯という悪条件の中
疲れ&寝不足が加速。
※ご存知(?)相棒ぶひのイビキで、同じ部屋で寝るには耳栓必至。
耳栓なければ寝不足必至。 (ーー;)


11日には元ドイツ&現ドイツ在住一時帰国中のゆかいななかま達との会合があったのだが
10日の朝から、まさかの8度越えの熱。。。orz

10、11日、全ての予定をキャンセルし
元旦に地元神社で願った願いも一旦キャンセル。
「12日の朝までに熱が下がって、喉と頭の痛みが緩和して、 フラフラが治ります様に!」
という願い事に変更。 

持病でそもそも体調の良くない母も使いっぱとして総動員。
風邪薬やドリンク剤を買い物にいかせ、消化が良く栄養価の高い食事を作らせるという
新年早々の若干斜め気味な親孝行。。。(ほら、バカ程カワイイって言うでしょう?(ーvー;)) 

 12日の朝、熱こそ大分下がっていたが、
今思えば、多分半分くらいは気合いだけで動いていたんじゃないかと。。。
ふっとした瞬間に、どっと具合が悪くなった。。。 
今思えば、よくもまぁ事故らずに。。。(^^;)

でもね、絶対に行きたかったんだよね。。。
もしかしたら(いや、多分絶対に)同行者には迷惑かけたと思うけど。。。

12日、朝9時前の新幹線で一関へ。
その後、レンタカーで向かったその先は。。。 



0116_1

岩手県、陸前高田市。

津波での被害が、もっとも大きかった町の一つ。


思えば、阪神大震災が起きた時にも、
現地に行きたい、と思っていたのに 実現させなかった。

4月に一時帰国した時も、被災地に行きたいと考えていたのに
当時“ボランティアが被災地観光に来ている”という批判もチラホラ聞こえ
短い帰国の間にボランティアさえ出来ず、ただ現地を見たいという思いだけの私が
被災地に行って、ウロウロして写真なんか撮ってたら
絶対批判の対象だな。。。
とか思って、ひよったのね。。。

でもモスクワに戻って、またウダウダと考えて。。。

やっぱり行っておくべきだった、と後悔したのね。。。

「冷やかしでも何でも良いから

とにかく現地をその目で見て欲しい。」

被災地出身の人に背中を押されて計画した、今回の被災地訪問。

被災した街の、現在の様子を見られただけではなく
沢山の人の話を聞く事も出来、とても濃い訪問になった。

頭(脳みそ)の事を、この辺りの方言で「あんこ」って言うらしい。

ワタシの「あんこ」若干小さめ。
現地での沢山の情報を、まだちゃんと処理出来ずにいますが
少しずつ、自分自身の整理の為にも、ここへアップして行きたいと思っています。


ちなみに、現地滞在中も
小さな「あんこ」がフル活動。

現地からTwitterでつぶやこう、とか
ブログも少しアップしよう、とか考えてたんだけど
そんな事できる気持ちの余裕は一切なかった。

夜も休息モードに入らず、なかなか寝付けなかった。
昨日の夜遅く帰宅して
その後、爆睡。。。
昼近くまで寝て
既に今、頭がフラフラするくらい眠いです。(ーvー;)

そんな訳で、震災後にずっと続けてた
「11日(モスクワ時間)中には震災関係の記事を必ず書く」という
ワタシなりの決めごとは、新年早々破られました。。。
ま、そんな事まで気にかけて読みに来てくれるような
奇特な方もいらっしゃらないとは思いますが
万が一、いらっしゃったら、ごめんなさいです。。。

 近況と言い訳を含んだ、雑多な序章になっちゃいましたが。。。
これから色々整理して、少しずつ書いていきます。 
お付き合い頂けると、嬉しいです。

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2011年12月31日

本年も、ありがとうございました。

なんだか、怒濤の1年だった。。。
 
思えば私の年明けは、ローマでの残念カウント・ダウン空港テロだった。

何だか、今年の出来事とは思えない程、遠い事になっている。

その後、311以降は、逆についこの間の事の様。

311以前と以後の間に記憶の壁があるみたいにクッキリと分かれている。

あの日以来、一日たりとも考えなかった日はない。

今まで確かだったと思っていた物が、全て不確かになり

闇雲に信じていた事を「信頼」だと思っていた事に気づき

世界一安心安全な日本の、その安心と安全がハリボテで出来ていたとも気づかされた。

ありとあらゆる価値観が大きく変わった。

フクイチの収束宣言がされたばかりだが、

何が収束したのか、その意味を理解出来る人は少ないと思う。

原発も、津波も、地震も、何一つ収束していない。

本当に大変なのは、おそらくこれからだろう。

同時に、震災に関する興味の温度差が
これから先、もっともっと広がっていくだろう。

今日(12/31)の朝日新聞の35面。
こんな記事が掲載されていた。

1231_1

紙面の半分以上を使って、大きく載せている。

撮る 故郷伝えるため
陸前高田出身の写真家・上田聡さん
復興支援「母もしたはず」


 がれきにちょこんと座ったぬいぐるみ。頭はないけど、たぶん、テディベア。あの瞬間が訪れるまで、誰かに優しく抱かれていたはずだった。
 渋谷区に住む写真家・上田聡さん(36)が3月15日、故郷の陸前高田で撮った1枚だ。母の美代子さん(当時57)が津波に飲まれたと見られる場所にあった。
 瓦礫の中、周囲には泥を払ったぬいぐるみや写真がぽつぽつと置かれていた。「自衛隊や消防団の方が、『誰かの思い出が詰まってるから』と並べてくれたんでしょうね。」
 あれから9ヶ月。故郷で撮った写真を手に、上田さんは国内外を飛び回る。被災地の悲しみと復旧の現状を伝え、支援の輪を広げる為に。「もし母が生きていれば、故郷のために何かをしていたはずだから」

 母は上田さんと6歳年下の弟がまだ幼い頃に離婚し、女手一つで2人を育てた。介護ヘルパーとして働き詰めの日々。それでも、家に帰れば「学校はどう?」「宿題は?」と何かと心配してくれた。
 「それが煙たかった。それに、何もない田舎から早く抜け出したかった」。流行のファッションや音楽、何より「東京」に憧れた。
 高校を中退し、アルバイトで金をためて上京した。イベント制作会社でのアルバイトをきっかけに、ファッションショーの設営から企画、動画や写真の撮影と幅広く腕を磨いていった。
 そうした仕事は、なかなか母に理解されなかった。地に足をつけた仕事なの?たまの電話はささいな事で口げんかになった。
 そろそろ親孝行がしたい。生活にゆとりが出て来た30歳の頃、そんな気持ちが芽生えた。帰郷するたびに外食や買い物に連れ出した。一度家族旅行に行かないか。そう言うと、母は「疲れるからいいわよ」と照れた。
 約束をかなえる前に3月11日を迎えた。

 地震のあと、丸2日かけて東京から陸前高田へ。あの時、母の車は市街地で渋滞に巻き込まれ、ぎりぎりで津波を逃れた車の2台後ろにあったと知人から聞いた。
 遺体は、あのテディベアから7キロほど離れた場所で見つかった。「人の役にたちなさい」と言い続けた母。死に顔は寝顔のように安らかに見えた。
 故郷のために、写真を撮り続けようと決めた。
 4、5年前にCDジャケットやファッション誌に向けて撮り始め、生業した写真は、報道が扱う様なテーマとは無縁だった。それが今年は一切の仕事を断り、貯金を切り崩して故郷の様子を撮り続けた。
 陸前高田にはほぼ1月1回のペースで通いながら、写真展を始めた。仕事仲間のイタリア人の紹介でローマから始め、東京、マカオ、モスクワ、ロンドン、ドイツ・デュッセルドルフ……。これまでに約30カ所を巡った。
 震災情報が少ない海外から、多く依頼を受ける。「原発事故が起きたフクシマを除けば、もう大丈夫だと思い込んでいた。」「まだまだ大変なのですね」。そんな言葉とともに支援を申し出てくれる人たちと、被災地の団体の橋渡し役を担う。
 講演を頼まれると、壇上からこう語りかける。
 「明日、大切な人がいなくなってしまうと想像してみてください。そんな方が被災地にはたくさんいるんです」
 どこか落ち着かない空気が都会を包む年の瀬。上田さんは30日も港区の事務所で写真集づくりに没頭した。被災地の学校や図書館に配り、津波の怖さを後の世代まで伝えるために。
 いつか、笑顔であふれる写真展を開き、復興を遂げた故郷の姿を世界に伝えたい。
 「微力でも、自分にできることをやり続けます。いつ何が起きても、後悔しないように
(中川文如)


私も深く心に刻んだよ。。。

明日からは、新しい一年。 
私の様な人間に何が出来るか分からないけど
忘れないし、出来る事を模索していきたい。

もちろん、モスクワも頑張ります。




オマケ。。。
2011年7月7日付、読売新聞の欧州衛星版。

yomiuri_riri

拙ブログながら、こうして取り上げて頂けるのも
ミナミナ様方のおかげと、常日頃から深く感謝しております。
こんなフツーなワタクシメに白羽の矢を当てて下さり
丁寧に取材して下さった
読売新聞モスクワ支局の寺口さんにも、多謝でございます。

いつも書いていますが、私が伝える情報よりも
読んで下さる皆さんから得る情報や、言葉から
私はより多くの物を得ています。

本当に、本当にありがとうございます。
来年もどうぞ、よろしくお願いいたします。

りすりす通信モスクワ支局 平記者:りり


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2011年09月11日

変わらない国、変わらないワタシ。

さて。。。


半年が過ぎた。


あの日を境に、数ヶ月間はほぼ「情報中毒」の様に色んな情報を集めていた。

それ以前は、ロシア/モスクワ関係のニュースを読んだり
他の人のブログを読んだりしていた時間を
原発/震災関係のニュースやブログを読んだり
ライブ中継の記者会見や動画や昔の映画を見たり
Twitterでも関連記事情報が流れてくれば、それを追って行ったり。。。

途中、あまりにも沢山の情報を集め過ぎて
私のポンコツCPUは、完全にフリーズ。。。
何を考えて良いか分からなくなり、思考停止のまま、それでも読み続けていた。

その事に気付いた後は、少しスローダウンさせ
最近は何となく、“震災後シフト”の様なリズムがやっと出来て来た感じで
その他のニュースも追える様になって来たけど。。。

色んな意見や情報に触れて、

次の11日には何を書こうか、
改めて自分がどう思うのか、
原発と生きる社会が可能なのか、

そういう事を考えていた。

でもね。。。
ニュースを見れば見る程、書きたくなるのは批判ばかり。。。

年間積算被曝量20mSvの話は、そもそも福島県の要請だったとか
水道水のセシウム基準値は200Bqなのに
海水浴場の基準値は50Bq。。。
そもそも食べ物にも飲み物にも基準値なんて存在してなかった事とか。
ちなみに原発労働者の労災認定は積算5mSv代でされている。(白血病)

プルトニウムは重いので飛びません。
。。。と言っていたのに、まんまと飛んでたり。
アメリカ西海岸でもフクシマ由来と思われるプルトニウムが検出されている。

九電北電の原発シンポジウムでは、やらせ発覚。
これじゃ、ほとんど電力会社のプロパガンダの場でしかないわ。。。

あれほど“メルト・ダウン”を否定してたのに、まんまとしてるし。
それも、ここへ来てメルトダウンの原因は津波ではなく
人的ミスだった可能性も出て来たし。
当日に緊急冷却装置を3回手動で止めていたと保安院が発表。
地震直後からメルトダウンが始まっていた可能性がある。


数え上げたら切りがない。。。(ーー;)

今日までに分かったのは

日本の原発に携わる人達の間に専門家なんていない

って事。

どんなに安全な原発が作れたとしても、所詮は機械。
仮に、津波や地震に堪えうる原発が作れたとしても
扱う人間の方に欠陥があれば、再びシビア・アクシデントが起こる可能性は極めて高いよ。

それに何よりも、放射性廃棄物はどうするの?と。。。
前の記事にも書いたけど、この一点においてだけ考えても
やっぱり無理だよ。。。
※過去記事:未来に託す無責任


そう思わない??


日本は民主主義。(。。。の筈。。。(ーー;))
物事を決めるにはイチイチ時間が掛かる。
これは民主主義の宿命でもあるけど。。。
それにしても、遅いよ!
国がこれから原発に対してどういう方向で行くのか?
それも決まらないうちに、再稼働やストレステスト等、
“動かして行くベクトル”はどんどん大きくなって行きそう。。。


その事の結論が出ないのはまだ仕方ないかもしれないけど
今の国政を見ても、国民の声が蚊帳の外に思えるのは気のせい?!



せっかく脱原発サイドの大臣(しかも経産省!)が出て来たと思ったら
とっとと辞めてしまうし。。。

色々と思う所を昨日さんざん呟いたので、そのまま貼付けます。

2011/09/11 02:46:09
「死の町」発言、どこが問題なのかサッパリわからん。http://t.co/KtWjvGQ
2011/09/11 02:52:26
「放射能がうつる」発言だって、言ったのか言ってないのかハッキリしない。言った前提で考えても辞める事なかったと思うけど、この程度で辞めてしまう器量しか持っていないのなら足下をすくわれない様に細心の注意を払って発言しないと。やはり脇が甘い…こんなん繰り返してたら復興なんて進まんわ…
2011/09/11 03:10:07
辞任会見、こんなに長かったんだ。それにしても下品な記者だね。エラそうにに怒鳴りつける割には社名も名前も言わないし。不愉快極まりない。http://t.co/ziqjs57
2011/09/11 03:25:44
これは酷いね…読売「ほら、放射能」 朝日「放射能をつけちゃうぞ」 産経「放射能をうつしてやる」 FNN「放射能を分けてやるよ」 毎日「放射能をつけたぞ」 日経「放射能をつけてやろうか」誰も実際に聞いてないって事かいな?
注:実はこの各社の発言はあるブログに載ってたのを借用した。当然、自分でもググって検証したよ!
2011/09/11 03:37:03
誰もちゃんと聞いてなくて、本人もちゃんと覚えてなくて、でも「死の町」発言より「放射能」発言で叩かれてる方が多い感じ。福島の人にわざわざインタビューしに行ってコメント取ってる記事もあったね。“「酷い、辞めて当然」涙ながらに訴えた…”みたいに…
2011/09/11 03:39:42
こんなにも各社があやふやな発言に対して、被災者にコメントを求めに行くなんて、酷くね?オフレコかなんか知らんが、一国の大臣が辞める自体になってんだ。鉢呂さんが覚えてないってんだから、その場にいた記者クラブ記者達にキチンと説明して頂きたい。その責任はあんだろ?!

結局、鉢呂さんは甘かった。
メディアはこういうネタをいつも探してるんだ。
とりわけ「脱原発」をハッキリ表明したんだから、細心の注意を払って発言するか
最強の信念をもって辞めない図太さを持つべきだった。

震災から半年の前日に、こんな事になってしまったのは極めて残念だ。

今日も各地で脱原発デモが行われていたようだ。
国民の行動は半年前とは比べ物にならない位、変わってる様に見える。
デモが“健全な政治活動”という認識が得られて来たのかもしれない。
私がデモに参加した5月の段階でも、世間の見方はもっと冷ややかだったと思う。



でも、国は変わってない。



そして、どんなに色んな情報に触れても、私の気持ちも変わらない。


原発はいらない。


いらないよ。


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2011年04月20日

未来に託す無責任

原子力発電所が必要とされて来た主な理由はやっぱり

日本には燃料資源がなく
化石燃料を輸入し続けなければならず
その化石燃料そのものも枯渇しつつある

だから、原子力発電が少々危険でも頼らざるを得ない

と言う事だと思います。

でも、原発に必要なウランだって日本では100%輸入に頼ってますよね。

総務省統計局によると、世界のウランの埋蔵量は323万トン
世界原子力協会(World Nuclear Association)によると
世界のウラン需要は年間6万8千トン

単純に計算すると、47年余りで枯渇する事になります。

ま、これはこれからまた新たに見つかる可能性もありますし
それは石油や天然ガスだって、なくなる、なくなる。。。と言われては
新たなソースが見つかって来た歴史があるので、
数字としては目安にしかならないかもしれないです。

ただ、無限の資源ではないですよね、って事です。




いやいや、原子力は再生可能エネルギーなんだよ。



だってね、濃縮ウラン使って発電するじゃん。

使い終わった燃料の中には、プルトニウムってのが出来てるんだよ。

その使用済み燃料を
1)再処理工場
3)
使用済み燃料からプルトニウムを取り出す。
そいつを
2)
高速増殖炉って奴ん中に放り込むと、
プルトニウムを増殖しながら発電するって方式。
この方法を使えば、燃料のプルトニウムがなくなる事もないし
エネルギーは、まさに永遠に作り出す事が出来る。

夢の様です。



問題は、それが「夢」のままって事です。


1)再処理工場と言えば六ヶ所村ですが1993年に着工してから
完成延期を18回も繰り返し、建設費用は2兆円を超えています。
現在もなお、試験運転中。

2)日本の高速増殖炉と言えばもんじゅ
1983年に着工、91年に運転開始しているが
冷却ナトリウム漏洩や、炉内中継装置落下等々の事故で現在なお運転停止中。
ちなみに、ナトリウム漏洩の時は、情報隠蔽問題で自殺者を出している。
最近も自殺者が出ている。


ドイツ、アメリカ、イギリス、フランスが

不可能。

高過ぎる。

と、次々と高速増殖炉開発から撤退をする中
日本では現在も1日5500万円の維持費を投入して
もんじゅに壮大な夢を追い求めています。
開発費用はこちらも2兆円を超えていると言われています。

3)さて、使用済み燃料ですが。。。
プルトニウムはもんじゅがいつか運転可能になった時に使えるとして
大半のそれ以外の核廃棄物はどうするのでしょう。

私も今回の福島原発の事故で初めて知りましたが
使用済み燃料って、あんな風に保管されてるんですね。
実物を見ていないので分かりませんが、図を見る限り
ただのプールに燃料放り込んでるだけに見えちゃいます。。。

あそこの使用済み燃料は、現在冷やしている段階だった訳ですが
冷やして再処理して燃料取り出した後のゴミはどうするのでしょう?
その事の明確な答えを、私達の国はまだ持っていません。

地中深くに埋めると言っても、どこに埋めるのか?
受け入れ地を募集しても、名乗りを上げる地域はまだ出ていません。
例え場所が見つかったとしても、埋めて終わりではなく
永遠に管理をして行かなければならなりません。

革新的な技術が開発されない限り
原発を使い続ける限り、
40年前に「未来の廃棄技術を信じて」見切り発車してしまった時と同じ様に
私達は子供達や孫達の世代に
「期待する」ていで「押し付ける」のです。


とても残念なのは、その毒性の強いゴミとは
たった今、原発を撤廃したとしても、これらの問題は残り
核廃棄物とは一生付き合って行かなければならないと言う事です。

原子力施設は、一度燃料を入れて動かしてしまったら
その施設の大きな部分は放射線で汚染されてしまいます。
つまり施設そのものの解体が非常に困難で、
汚染された廃材処理の取り扱いも、とんでもなく大変な作業で
とんでもない費用と時間がかかる、と言う事です。

これも福島原発を見ていれば想像つきますよね。


だったらこのまま使い続けた方がいいじゃん!

と思う人もいるでしょうか。

私の意見は違います。
廃棄して行く道を選べば
少なくとも、これ以上核廃棄物を増やさなくても済みます。


理由はどうあれ、日本には原子力に依存せざるを得ない時期があったんだと思う。

例えばこんな理由も→原発導入のシナリオ〜冷戦下の対日原子力戦略〜

しかし、日本が莫大な資金と壮大な時間と
日本の知力を原子力に全力投球している間に、
世界は“本当に再生可能なエネルギー”へとシフトしていました。
ドイツでは2050年までに100%再生可能エネルギーにすると言っています。
アメリカでも原発エネルギーのコストよりも
ソーラーのコストの方が安くなるまでに普及が進んでいます。

本当は自然エネルギー分野でも、日本は世界一で居続けられた筈、だと思います。

例えばシャープは太陽電池で2007年頃までは世界1位だったはず。
それが今やドイツやスペインにも抜かれて、5位だか6位だかになっています。
その転落の原因の一つは補助金の廃止であることは間違いないと思ってます。
現在の補助制度と同じ物かどうかは分かりませんが
促進の為の補助金が、2007年前後にごっそりなくなったのです。
理由はその時も不確かでした。
しかし、一方で原子力には潤沢に資金をまわしている訳ですから
少なくとも国はソーラーに対して“本気ではなかった”のではないでしょうか。

メーカーだって、一生懸命開発しても、使ってもらえないなら
モチベーションも下がるってもんです。

しかし世界は、その間に着々と自然エネルギーの技術を磨いて行っています。

つまり、原子力に頼る事が“足かせ”になっていると思うのです。

世界が見捨てた高速増殖炉やプルサーマルに注がれた
財力と知力を自然エネルギーに注いでいたら
もしかしたら、日本は今頃燃料輸出国に転じていたかもしれない。。。
とさえ、本気で思ってます。

でもね。。。『原発ありき』の政策である以上、そうはならないでしょうね。

そしてこのまま原発に頼り続け
石油が本当に使えない状態となり
ウランもなくなり始め
もんじゅも相変わらず停止中だったら。。。?


ーーーーきっとその時までには、新しい燃料が見つかっている筈ーーーー


また、そんな無責任な期待を
未来に託して、現状を肯定するのでしょうか?

今、考えなければ、私達はまた考える機会を逸します。


NHKスペシャル 原発解体(1) 


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2011年04月01日

結局私は、推進派です。

私は今、猛烈に後悔しています。

無知と言われても
バカと思われても
偽善と罵られても

なんで今まで声に出して来なかったのか。

私が最初に原発に興味を持ったのは20年以上前、と言う話はしました。

しかしその間、本を読んだり、雑誌に関連記事が出れば買ってみたり
原発関連のニュースは追っていたり
原発メーカーの商品は買わない!と、一人不買運動をしてみたり。。。

いつも心の中に原発の事はありました。
それは嘘偽りない。

でも、批判を恐れて、傷つくのを恐れて、罵られるのがイヤで、
声に出して来なかった。


いつかの記事で書いた事があります。

このブログはモスクワの情報ブログを目指しています。
アクセス数とか、あんまり気にしたくないとは思っていたけど
「誰も見ない情報は、ないのと同じ」
と、どこかのブログで見て、以来、なるべく沢山の人に見てもらいたい
という気持ちが強くなりました。


原発の事も同じでした。

原発が着々と根付いて行く中で
何度も事故や問題が明るみになる中で

何も口に出さない反原発派は
何も行動しない脱原発派は

結局 推進派なのです。

その意味で、私達の多くは
今、日本で進行形で起きている不幸な事故に由来するリスクは
甘受しなければならない。
もちろん、選択の余地はないのだけれど。

企業や政治、マスメディアの癒着があることは間違いなく
彼らの責任は重大だと思う。

しかし、それでも、黙って見つめていた責任が免れる訳がない。

多くの事が、もう取り返しのつかない事になってしまっている。

でも、まだ間に合う物もあるかもしれない。
私は、それを守りたいです。
弱者が強者の富を作り出すシステムを、これ以上続けてはいけない。

私なんて、日本に住んでる訳でもないし
デモに参加出来る訳でもない。
何の力もないのは分かってます。

でも、せめて、傍観者ではいたくない。


私は、原発は絶対に反対です。


これからも、原発記事は書き続ける事にしました。



りり拝


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