震災
2011年03月28日
反対派はアフォですか?
前回の記事の反応が、予想以上でした。
賛同頂いた方、ご批判頂いた方、ありがとうございました。
このブログは一応「モスクワ情報ブログ」を目指してやってますので
あの様な内容の記事は一回だけ。
普段このブログにおいで下さる方の中で、
今まで興味なく関心なく居た方の興味を掘り起こせたら。。。という思いだったのですが。。。
何だかちょこっと広げてみた小袋が、実は大風呂敷だったみたいで。。。
原発の記事をこの先この場で書こうか書くまいか。。。
迷っているうちに1週間経っちゃいました。。。(^^;)
でも、このままいつもの記事に戻るのも、ちょっと中途半端感があるし
もう少し持論を展開してみようかな、と思います。
前回は、大まかに言えば
「考える機会を与えて欲しい」「フェアな議論をしたい」という事でした。
では、それにはどうしたら良いか?
昔からそうなのですが、“反原発”“脱原発”という声をあげる人は
左翼、とか
現実を分かっていない化学音痴、とか
理想主義者のバカ、とか
偽善者、とか
まーとにかく風当たりが強い訳です。
今現在、福島原発がこれだけ酷い状態であるにも関わらず
そのような言葉でしか“反”の声に反応出来ない方達の気持ちは
もはや私の想像力では分かりません。
そこまで行かなくても、
では明確な代替エネルギーを提示せよ、とか
自分だって原発エネルギー使ってるのに文句言えるのか、とか
エネルギー不足で日本の経済がどうなっても良いのか、とか
言われちゃう訳です。
これって、今、正に、反脱の人にネット上などで浴びせかけられる言葉ですが
実は20年前から同じ事がずーーっと言われています。
もちろん、今程ダイレクトではなかったですが
新聞でも雑誌でも反原発論者に対する“反”の意見は概ねそんなもんでした。
こんな事言われちゃって、反原発派の人も
「そうだよね。
代替エネルギー案を提示出来ないで
ただ単に反対、反対、って言ってるのは良くないよね。」
とか、物わかり良くなっちゃう傾向がある様です。
私自身、そういう時期もありました。
それが故に、自分の反原発の姿勢を改めないといけないかな、とか
真剣に感じた事もありました。
だってね。。。偽善とか、頭悪いとか(悪いけど。。。)
言われて気持ちよいもんじゃないですよね。
だからこそ、自分の主張は正しいのか正しくないのか。。。
常に検証して、それでも「反!」って言える信念がないと
正直、“反思想”を持ち続けるのは、キツい世界なんですよ、日本って。
しかし、何の専門知識もない一般市民の私の様な人間に
代替エネルギーの提案せよ、なんて、無茶ブリってもんじゃないでしょうか?
もちろん、だからと言って何も考えていない訳ではなく
色々な方の研究や考察を見聞きした結果
代替エネルギー、自然エネルギーが実用可能なレベルであるのではないか
とは思っています。
また、そもそも20年以上前から
原発が全部止まっても電力不足にはならない、という見解もあり
私にとっては説得力のあるデータでした。
ただ、それらの事は常に推進派の学者や識者に反論され
それを元に一般市民の推進派に、反対派はまたバカ扱いされる、
と言う構造が延々と続いて来た訳です。
でも、こういう事って、
どっちが正しいかの判断を素人が付けられるもんでしょうか?
例えば、
海に浮かべて効率よく電力を作る風力発電が既に開発されている。
とAが言えば
コストが掛かりすぎる上に、海洋環境を破壊する。
とBが言う。
Aの提案は素晴らしい!今すぐ原発をやめて風力に!と思っても
Bの様な意見が出てくれば、え?そうなの?!ってことになって。。。
しかし、実際はそれは本当なのか字面で読んでるだけでは答えは出て来ません。
一番良いのは、AとB、両方に出て来てもらって
公衆の面前で議論してもらう事だと思います。
代替案を出せ、と言われて
どっかの学者やどっかの研究員が提案している意見を出すのは簡単です。
でもその意見に反対する意見は、ほぼ必ずネットのどっかに転がってます。
その真偽を検証する能力が私にない以上は、堂々巡り、不毛なスパイラルです。
仮に、ない知恵絞って無理矢理検証した所で、これ以上の机上の空論はないでしょう。
つまり私が言いたいのは。。。
では、そう言う推進派の方々は
と言う事です。
「証明出来る!◯◯大学の教授がカクカクシカジカと言っていた!」
。。。って証明じゃないですよ。
それなら私にも出来ますからね。(^^;)
それに、◯◯大学教授の意見に反対する意見も、どっかに転がってるかもしれないです。
それをどう受け止めて、それでもその教授の意見が正しい根拠はなんですか?
。。。って話になっちゃいますからね。
それをお互いに言い合う事が建設的とは到底思えません。
原発反対なら、原発の世話になるな!ってのは論外。
原発を擁護する時には昔からそういう事を言う人はとても多いので
思わず使ってしまうフレーズなのかもしれないですが、冷静になって欲しい。
だって無理でしょ、日本に住んでる限り。
たとえ自家発電で生活したって、原発燃料で作られた商品とか使う訳でしょ。
しかも、仮に完全に原発に頼らない生活が実現出来た上で日本に住むとして
。。。では、その時私には原発由来のリスクからは免れるのでしょうか?
これでは子供の喧嘩です。
でも、考えてみて下さい。
反・推進、両方が望んでいるのは安全で平和な国ではないでしょうか?
目的を同じとする物同士、
その方法を議論するのにバカにしたり、けんか腰になったり。。。
どこかおかしくないですか?
議論そのものが不要、もう結果は出ている。だから存在するんだ。
というのも、またおかし。
しつこい様ですが、原発についての公正な議論は、この国ではなされていません。
例え結果が同じ(原発必要)となったとしても、議論はするべきです。
私は、喧嘩ではなく、議論がしたいのです。
反対派の人も推進派の人も、双方が煽る様な言い草では話になりません。
冷静になる事。
冷静になって、純粋に自分の信じる事を主張する人の意見に聞く耳を持つ事。
それがフェアな議論をする為に、私達が出来る第一歩じゃないかと思うのです。
あまりにも不幸な形で訪れた、反原発を大々的に主張出来る機会ですが
だからこそ無駄にしたくない、と願うのです。
私自身も、より一層気をつけて行きたいと思います。
注)と言う訳で、あまりにも酷いコメントが来た場合には放置、又は削除しますよ〜。
出来ればどっちもしたくないですが、私も、そんなには強くないのでね。(ーvー;)
追記:。。。とか言っておきながら、コメント、トラバ禁止設定になってました。ごめんなさい!
これ、私が設定したんじゃないですよ〜!ライブドアのバグなんです〜〜!!!(^^;)
ご指摘頂いた皆さん、ありがとうございました!!
3/28 09:32@モスクワ時間
Tweet
賛同頂いた方、ご批判頂いた方、ありがとうございました。
このブログは一応「モスクワ情報ブログ」を目指してやってますので
あの様な内容の記事は一回だけ。
普段このブログにおいで下さる方の中で、
今まで興味なく関心なく居た方の興味を掘り起こせたら。。。という思いだったのですが。。。
何だかちょこっと広げてみた小袋が、実は大風呂敷だったみたいで。。。
原発の記事をこの先この場で書こうか書くまいか。。。
迷っているうちに1週間経っちゃいました。。。(^^;)
でも、このままいつもの記事に戻るのも、ちょっと中途半端感があるし
もう少し持論を展開してみようかな、と思います。
前回は、大まかに言えば
「考える機会を与えて欲しい」「フェアな議論をしたい」という事でした。
では、それにはどうしたら良いか?
昔からそうなのですが、“反原発”“脱原発”という声をあげる人は
左翼、とか
現実を分かっていない化学音痴、とか
理想主義者のバカ、とか
偽善者、とか
まーとにかく風当たりが強い訳です。
今現在、福島原発がこれだけ酷い状態であるにも関わらず
そのような言葉でしか“反”の声に反応出来ない方達の気持ちは
もはや私の想像力では分かりません。
そこまで行かなくても、
では明確な代替エネルギーを提示せよ、とか
自分だって原発エネルギー使ってるのに文句言えるのか、とか
エネルギー不足で日本の経済がどうなっても良いのか、とか
言われちゃう訳です。
これって、今、正に、反脱の人にネット上などで浴びせかけられる言葉ですが
実は20年前から同じ事がずーーっと言われています。
もちろん、今程ダイレクトではなかったですが
新聞でも雑誌でも反原発論者に対する“反”の意見は概ねそんなもんでした。
こんな事言われちゃって、反原発派の人も
「そうだよね。
代替エネルギー案を提示出来ないで
ただ単に反対、反対、って言ってるのは良くないよね。」
とか、物わかり良くなっちゃう傾向がある様です。
私自身、そういう時期もありました。
それが故に、自分の反原発の姿勢を改めないといけないかな、とか
真剣に感じた事もありました。
だってね。。。偽善とか、頭悪いとか(悪いけど。。。)
言われて気持ちよいもんじゃないですよね。
だからこそ、自分の主張は正しいのか正しくないのか。。。
常に検証して、それでも「反!」って言える信念がないと
正直、“反思想”を持ち続けるのは、キツい世界なんですよ、日本って。
しかし、何の専門知識もない一般市民の私の様な人間に
代替エネルギーの提案せよ、なんて、無茶ブリってもんじゃないでしょうか?
もちろん、だからと言って何も考えていない訳ではなく
色々な方の研究や考察を見聞きした結果
代替エネルギー、自然エネルギーが実用可能なレベルであるのではないか
とは思っています。
また、そもそも20年以上前から
原発が全部止まっても電力不足にはならない、という見解もあり
私にとっては説得力のあるデータでした。
ただ、それらの事は常に推進派の学者や識者に反論され
それを元に一般市民の推進派に、反対派はまたバカ扱いされる、
と言う構造が延々と続いて来た訳です。
でも、こういう事って、
どっちが正しいかの判断を素人が付けられるもんでしょうか?
例えば、
海に浮かべて効率よく電力を作る風力発電が既に開発されている。
とAが言えば
コストが掛かりすぎる上に、海洋環境を破壊する。
とBが言う。
Aの提案は素晴らしい!今すぐ原発をやめて風力に!と思っても
Bの様な意見が出てくれば、え?そうなの?!ってことになって。。。
しかし、実際はそれは本当なのか字面で読んでるだけでは答えは出て来ません。
一番良いのは、AとB、両方に出て来てもらって
公衆の面前で議論してもらう事だと思います。
代替案を出せ、と言われて
どっかの学者やどっかの研究員が提案している意見を出すのは簡単です。
でもその意見に反対する意見は、ほぼ必ずネットのどっかに転がってます。
その真偽を検証する能力が私にない以上は、堂々巡り、不毛なスパイラルです。
仮に、ない知恵絞って無理矢理検証した所で、これ以上の机上の空論はないでしょう。
つまり私が言いたいのは。。。
では、そう言う推進派の方々は
原子力に変わるエネルギーが日本にはない、と言う事を証明できるのですか?
と言う事です。
「証明出来る!◯◯大学の教授がカクカクシカジカと言っていた!」
。。。って証明じゃないですよ。
それなら私にも出来ますからね。(^^;)
それに、◯◯大学教授の意見に反対する意見も、どっかに転がってるかもしれないです。
それをどう受け止めて、それでもその教授の意見が正しい根拠はなんですか?
。。。って話になっちゃいますからね。
それをお互いに言い合う事が建設的とは到底思えません。
原発反対なら、原発の世話になるな!ってのは論外。
原発を擁護する時には昔からそういう事を言う人はとても多いので
思わず使ってしまうフレーズなのかもしれないですが、冷静になって欲しい。
だって無理でしょ、日本に住んでる限り。
たとえ自家発電で生活したって、原発燃料で作られた商品とか使う訳でしょ。
しかも、仮に完全に原発に頼らない生活が実現出来た上で日本に住むとして
。。。では、その時私には原発由来のリスクからは免れるのでしょうか?
これでは子供の喧嘩です。
でも、考えてみて下さい。
反・推進、両方が望んでいるのは安全で平和な国ではないでしょうか?
目的を同じとする物同士、
その方法を議論するのにバカにしたり、けんか腰になったり。。。
どこかおかしくないですか?
議論そのものが不要、もう結果は出ている。だから存在するんだ。
というのも、またおかし。
しつこい様ですが、原発についての公正な議論は、この国ではなされていません。
例え結果が同じ(原発必要)となったとしても、議論はするべきです。
私は、喧嘩ではなく、議論がしたいのです。
反対派の人も推進派の人も、双方が煽る様な言い草では話になりません。
冷静になる事。
冷静になって、純粋に自分の信じる事を主張する人の意見に聞く耳を持つ事。
それがフェアな議論をする為に、私達が出来る第一歩じゃないかと思うのです。
あまりにも不幸な形で訪れた、反原発を大々的に主張出来る機会ですが
だからこそ無駄にしたくない、と願うのです。
私自身も、より一層気をつけて行きたいと思います。
注)と言う訳で、あまりにも酷いコメントが来た場合には放置、又は削除しますよ〜。
出来ればどっちもしたくないですが、私も、そんなには強くないのでね。(ーvー;)
追記:。。。とか言っておきながら、コメント、トラバ禁止設定になってました。ごめんなさい!
これ、私が設定したんじゃないですよ〜!ライブドアのバグなんです〜〜!!!(^^;)
ご指摘頂いた皆さん、ありがとうございました!!
3/28 09:32@モスクワ時間
2011年03月20日
原子力発電所は安全です♪by キヨシロー
原子力発電は安心、安全な電気です。
昨今話題になっている地球温暖化の原因の一つとされるCO2も出しません。
その上、プルサーマルや、高速増殖炉を使って核燃料のリサイクルをしますから
とてもエコです。
世界を見てみると『核』というと、
広島・長崎に落とされた様な核爆弾や
湾岸戦争で使われた劣化ウラン弾等、
被曝や汚染。。。
なんだか、恐いイメージしかないですよね。
でも、日本には燃料資源と呼べる様な物はありません。
いつ枯渇するか分からない石油の輸入に頼り、CO2をまき散らすのも時代錯誤ですし
太陽光発電だけでは、今の日本の電気需要を賄う事はできません。
そんな日本に取って、原発は
扱い方さえ間違わず、キチンと管理すればクリーンでエコ。
誰にも予測出来なかった、今回の自然災害による事故は不幸な事ではありますが
そんな事は滅多にありません。
それでも原発を“悪”という人がいるならば
それは『必要悪』です。
こんなことを、私達はずっと聞かされて来たのではないでしょうか。
最近では、人気タレントを使って
原発がいかに安全でエコな電力かと言う事を宣伝しています。
一方、反原発派の意見は
チェルノブイリで浮かび上がり、そして消え
スリーマイルで浮かび上がり、そして消え
凄惨だったJCOの臨界事故で浮かび上がり
しかし、それも程なくして消えてしまったのです。
つまり、原発推進の声だけは
マスメディアという大きな拡声器を使って
絶えず浴びせかけられ
反原発の意見は
出て来ては叩かれて引っ込むモグラの様に
推進派と同じ拡声器で話す機会を与えられないまま
この小さな日本に50基以上もの原発を建設されるのを見ていました。
私が原発問題に関心を持ったのは、もう20年以上前です。
広瀬隆の「危険な話」という本を読んでから
原発から目が離せなくなっていました。
著者に対しては色んな事を言う人がいる人も知っています。
二次情報に頼った著作など信用できない、とか。。。
しかし、彼の本がキッカケで気に留めるようになった
原発の周囲で起こっている事は
民主主義国家とは思えない、おぞましい出来事ばかりです。
今回の福島原発の事件で(人災だと思うので事故は使いません)
原発問題は、ひとたび“事”が起きれば
その地域の人だけの問題ではない、と言う事が
今まで無関心だった多くの人にも分かったと思います。
九州だから全然関係なかった。。。とか
この期に及んで思ってる人は、まさか居ないですよね。(ーvー;)
世界のメディアが、どれだけ日本の原発の行方に注視していたかを見れば
それが“日本だけの問題”ではなく、“世界に影響を及ぼす問題”
であることは明らかです。
盛んに言われている
「今の放射線量は◯◯マイクロシーベルトです。」とか
「CTよりは少ないから安心です」とか。。。
この“線量”の問題が、
原発からある程度の距離を持って暮らす一般人に取っては
一番大きな関心所だとは思います。
しかし、マイクロシーベルトだとか、ミリシーベルトだとか
果てはグレイとか出て来ちゃって、もう訳が分かりません。
テレビのアナウンサーも最初の頃は
かなりシドロモドロな感じでしたよね。
私だって、色々と原発の事は読んだりしてるし
過去にはモスクワの放射性廃棄物の記事も書いているし
その度に、勉強はしているのですが。。。
放射線の種類や、放射性物質の種類や、体内なのか体外なのか等々
出てくる言葉も難しいし、理解するのは生半可な事じゃないです。
出てくる数値をどう評価するのか、イチイチ迷います。
なので、ここでは、今回放たれた放射線量が
安全なのかどうか、と言う事の議論は棚に上げておきます。
というか、政府の発表通り、全ての地域で安全であり
避難や屋内待機はあくまでも“念のため”の対処だったと言う事にしてみます。
。。。と言う事は、やはり原発は安全でクリーンなエネルギーなのでしょうか?
盛んに仰ってる人がいました。
しかし2007年に、福島県議団はこんな申し入れをしています。
福島原発10基の耐震安全性の総点検等を求める申し入れ
第4項を見て下さい。
==========
4.福島原発はチリ級津波が発生した際には機器冷却海水の取水が出来なくなることが、すでに明らかになっている。これは原子炉が停止されても炉心に蓄積された核分裂生成物質による崩壊熱を除去する必要があり、この機器冷却系が働かなければ、最悪の場合、冷却材喪失による苛酷事故に至る危険がある。そのため私たちは、その対策を講じるように求めてきたが、東電はこれを拒否してきた。
柏崎刈羽原発での深刻な事態から真摯に教訓を引き出し、津波による引き潮時の冷却水取水問題に抜本的対策をとるよう強く求める。
==========
正に今回の事を予測しています。
こんなにもハッキリと予測していた事を無視し続けた末の人災に対し
なぜメディアは「予測不可能な事態」であったと言う発言を甘受し、
予測していた人がいた事を言わないのでしょう。
取りも直さずそれは、
なぜ反原発派の意見が世間に届けられなかったか
と言う事と一致します。
反対派の意見をメディアは故意に排除していたのです。
何故でしょう。
原発の生産者と使用者は、メディアに取っては大口の広告主だったからです。
前述の広瀬氏の本にもその事は書いてありましたが
余りの不条理に、当時の私は信じられませんでした。
しかし、1988年。今は亡きRCサクセションの忌野清志郎の
「サマータイムブルース」という曲を巡って事件が起きます。
当時所属していた東芝EMIから発売される予定でしたが
明確な原発反対の歌詞を、原発生産者である東芝が嫌い
発売を中止したと言う物です。
この時に初めて、広瀬氏の言うメディアと広告主の関係が
真実だ、と分かったのです。
(広告主は東芝の他に、電力会社、日立、三菱等)
電力会社や政府が今まで連呼して来た様に
原子力発電が本当に安全なエネルギーであるなら
なぜ、正々堂々と反対派と議論を交わす場を
国民を教育し、納得させる機会として来なかったのでしょう。
これはまた、原口元総務大臣が提唱していた
クロスオーナシップ問題にも関わる事です。
しかし原口さんの提唱も、
同問題が障壁となり国民に多く伝わる事はありませんでした。
興味のある方は、ぜひググってみて下さい。
他にもあります。
今回の事件では、沢山の方が命を掛けて事態の悪化を防ごうと戦ってくれています。
彼らは英雄であり、感謝すべき対象。
その事になんら異論はありません。
しかし、同じ様に命を削って原発サイトで働いている人は
“日常的に”います。
そして、多くの場合、その人達は差別的地域の出身であったり
身よりも仕事もないような、立場が弱いとされる人達です。
彼らの主な仕事は緩んだネジを締めたり
汚れた場所を掃除したりという単純作業。
しかし、作業場所は放射能で汚染された場所であり
彼らは作業中に大量の放射能を浴びています。
しかも、彼らには放射能の事は知らせず、なんの教育もせず
ドヤ街の様な所から金で釣って引っ張って来ては
原発の中にぶち込んで労働をさせるのです。
イギリスで放送された、このドキュメンタリーが良くわかります。
隠された被曝労働
他にも、“原発労働”とか“原発奴隷”とかでググれば
沢山読み物が出て来ます。
また原発の修理に置いても
過去にはアメリカの貧困層を連れて来て
日本人の基準の最高被爆線量よりも高い数値をあてがって作業させていた
と言う話も読んだ事があります。
(現在の状況は不明ですが、当時は米GE社が入っていたものだったと記憶しています)
私達が現在使っている電力は
こういう人達の元に成り立っていると言う事を知らなければいけないです。
メンテナンスにも人の命をかけ
修理にも人の命をかけ
事故が起これば、原発の建つ周辺の住人は戦々恐々とし。。。
廃炉となる原子力の処理にさえ命を掛ける必要があります。
そんな風にして作られたエネルギーを
私達は消費しています。
しかし、それは本当に私達の望んだ事でしょうか?
繰り返しますが、
推進派と反対派が詰めた議論をする場は、未だかつてありませんでした。
原子力発電と言う国策に携わるマンモス企業が
権力を振りかざし
札束で原発建設地域住民の頬をはたく様な事をして来た結果です。
議論に議論を重ねて選んだ結果ではありません。
今、東北や北関東では被災に遭った人達が大変な思いで生きています。
「今、議論する事ないでしょ。」
「今は復興に力を注ぐべきでしょ。」
そんな意見があるのも重々承知しています。
友人からも同じ様な非難を受けました。
いや、今はしないでくれ、とお願いされました。
しかし私は断りました。
「今」じゃないとダメなんです。
彼女を傷つけてまで主張をやめずにいる私が、今出来る事。
それは、自分の立場を明確にし
人々の関心が集まっているうちに、問題を認識してもらう事。
そう思って、思い切って書いてしまいました。
長文になってしまって大変申し訳ないです。
私が今一番言いたいのは
みんな原発に反対の声をあげよう!と言う事ではないです。
だって、原発の専門知識もなく、科学者でもない
一般人の私が、都市伝説みたいなモンを信じてるだけ、と思われても
仕方がないって事は十分認識してます。
ただ、一度暴走してしまったら
沢山の人の命が危険に晒されるのが原発なんだ、って事は
今回の事件で多くの人が感じたと思います。
だったら、議論をして欲しいのです。
推進派と反対派が、皆が分かる場所で、皆の意見が反映される様な形で
今度こそ議論をして、国民が選ぶべきだと思うんです。
今までテレビのCMで見て、なんとなく原発がクリーンで
原発がないと日本の電力は賄えない、と思ってる人は
逆の意見をネットで検索してみて下さい。
それでも原発が安全で必要と思えるなら、その立場で議論しましょう。
毎日使う電力の事です。
被災地で苦しんでる人達を見守るしかなく
闇雲にボランティアに行くこともできず
何も出来ずに悶々としてる人は
考えてみる事も、出来る事の一つではないでしょうか。
Tweet
昨今話題になっている地球温暖化の原因の一つとされるCO2も出しません。
その上、プルサーマルや、高速増殖炉を使って核燃料のリサイクルをしますから
とてもエコです。
世界を見てみると『核』というと、
広島・長崎に落とされた様な核爆弾や
湾岸戦争で使われた劣化ウラン弾等、
被曝や汚染。。。
なんだか、恐いイメージしかないですよね。
でも、日本には燃料資源と呼べる様な物はありません。
いつ枯渇するか分からない石油の輸入に頼り、CO2をまき散らすのも時代錯誤ですし
太陽光発電だけでは、今の日本の電気需要を賄う事はできません。
そんな日本に取って、原発は
扱い方さえ間違わず、キチンと管理すればクリーンでエコ。
誰にも予測出来なかった、今回の自然災害による事故は不幸な事ではありますが
そんな事は滅多にありません。
それでも原発を“悪”という人がいるならば
それは『必要悪』です。
こんなことを、私達はずっと聞かされて来たのではないでしょうか。
最近では、人気タレントを使って
原発がいかに安全でエコな電力かと言う事を宣伝しています。
一方、反原発派の意見は
チェルノブイリで浮かび上がり、そして消え
スリーマイルで浮かび上がり、そして消え
凄惨だったJCOの臨界事故で浮かび上がり
しかし、それも程なくして消えてしまったのです。
つまり、原発推進の声だけは
マスメディアという大きな拡声器を使って
絶えず浴びせかけられ
反原発の意見は
出て来ては叩かれて引っ込むモグラの様に
推進派と同じ拡声器で話す機会を与えられないまま
この小さな日本に50基以上もの原発を建設されるのを見ていました。
私が原発問題に関心を持ったのは、もう20年以上前です。
広瀬隆の「危険な話」という本を読んでから
原発から目が離せなくなっていました。
著者に対しては色んな事を言う人がいる人も知っています。
二次情報に頼った著作など信用できない、とか。。。
しかし、彼の本がキッカケで気に留めるようになった
原発の周囲で起こっている事は
民主主義国家とは思えない、おぞましい出来事ばかりです。
今回の福島原発の事件で(人災だと思うので事故は使いません)
原発問題は、ひとたび“事”が起きれば
その地域の人だけの問題ではない、と言う事が
今まで無関心だった多くの人にも分かったと思います。
九州だから全然関係なかった。。。とか
この期に及んで思ってる人は、まさか居ないですよね。(ーvー;)
世界のメディアが、どれだけ日本の原発の行方に注視していたかを見れば
それが“日本だけの問題”ではなく、“世界に影響を及ぼす問題”
であることは明らかです。
盛んに言われている
「今の放射線量は◯◯マイクロシーベルトです。」とか
「CTよりは少ないから安心です」とか。。。
この“線量”の問題が、
原発からある程度の距離を持って暮らす一般人に取っては
一番大きな関心所だとは思います。
しかし、マイクロシーベルトだとか、ミリシーベルトだとか
果てはグレイとか出て来ちゃって、もう訳が分かりません。
テレビのアナウンサーも最初の頃は
かなりシドロモドロな感じでしたよね。
私だって、色々と原発の事は読んだりしてるし
過去にはモスクワの放射性廃棄物の記事も書いているし
その度に、勉強はしているのですが。。。
放射線の種類や、放射性物質の種類や、体内なのか体外なのか等々
出てくる言葉も難しいし、理解するのは生半可な事じゃないです。
出てくる数値をどう評価するのか、イチイチ迷います。
なので、ここでは、今回放たれた放射線量が
安全なのかどうか、と言う事の議論は棚に上げておきます。
というか、政府の発表通り、全ての地域で安全であり
避難や屋内待機はあくまでも“念のため”の対処だったと言う事にしてみます。
。。。と言う事は、やはり原発は安全でクリーンなエネルギーなのでしょうか?
今回の出来事は予測不可能な、1000年に一度の事。
盛んに仰ってる人がいました。
しかし2007年に、福島県議団はこんな申し入れをしています。
福島原発10基の耐震安全性の総点検等を求める申し入れ
第4項を見て下さい。
==========
4.福島原発はチリ級津波が発生した際には機器冷却海水の取水が出来なくなることが、すでに明らかになっている。これは原子炉が停止されても炉心に蓄積された核分裂生成物質による崩壊熱を除去する必要があり、この機器冷却系が働かなければ、最悪の場合、冷却材喪失による苛酷事故に至る危険がある。そのため私たちは、その対策を講じるように求めてきたが、東電はこれを拒否してきた。
柏崎刈羽原発での深刻な事態から真摯に教訓を引き出し、津波による引き潮時の冷却水取水問題に抜本的対策をとるよう強く求める。
==========
正に今回の事を予測しています。
こんなにもハッキリと予測していた事を無視し続けた末の人災に対し
なぜメディアは「予測不可能な事態」であったと言う発言を甘受し、
予測していた人がいた事を言わないのでしょう。
取りも直さずそれは、
なぜ反原発派の意見が世間に届けられなかったか
と言う事と一致します。
反対派の意見をメディアは故意に排除していたのです。
何故でしょう。
原発の生産者と使用者は、メディアに取っては大口の広告主だったからです。
前述の広瀬氏の本にもその事は書いてありましたが
余りの不条理に、当時の私は信じられませんでした。
しかし、1988年。今は亡きRCサクセションの忌野清志郎の
「サマータイムブルース」という曲を巡って事件が起きます。
当時所属していた東芝EMIから発売される予定でしたが
明確な原発反対の歌詞を、原発生産者である東芝が嫌い
発売を中止したと言う物です。
この時に初めて、広瀬氏の言うメディアと広告主の関係が
真実だ、と分かったのです。
(広告主は東芝の他に、電力会社、日立、三菱等)
電力会社や政府が今まで連呼して来た様に
原子力発電が本当に安全なエネルギーであるなら
なぜ、正々堂々と反対派と議論を交わす場を
国民を教育し、納得させる機会として来なかったのでしょう。
これはまた、原口元総務大臣が提唱していた
クロスオーナシップ問題にも関わる事です。
しかし原口さんの提唱も、
同問題が障壁となり国民に多く伝わる事はありませんでした。
興味のある方は、ぜひググってみて下さい。
他にもあります。
今回の事件では、沢山の方が命を掛けて事態の悪化を防ごうと戦ってくれています。
彼らは英雄であり、感謝すべき対象。
その事になんら異論はありません。
しかし、同じ様に命を削って原発サイトで働いている人は
“日常的に”います。
そして、多くの場合、その人達は差別的地域の出身であったり
身よりも仕事もないような、立場が弱いとされる人達です。
彼らの主な仕事は緩んだネジを締めたり
汚れた場所を掃除したりという単純作業。
しかし、作業場所は放射能で汚染された場所であり
彼らは作業中に大量の放射能を浴びています。
しかも、彼らには放射能の事は知らせず、なんの教育もせず
ドヤ街の様な所から金で釣って引っ張って来ては
原発の中にぶち込んで労働をさせるのです。
イギリスで放送された、このドキュメンタリーが良くわかります。
隠された被曝労働
他にも、“原発労働”とか“原発奴隷”とかでググれば
沢山読み物が出て来ます。
また原発の修理に置いても
過去にはアメリカの貧困層を連れて来て
日本人の基準の最高被爆線量よりも高い数値をあてがって作業させていた
と言う話も読んだ事があります。
(現在の状況は不明ですが、当時は米GE社が入っていたものだったと記憶しています)
私達が現在使っている電力は
こういう人達の元に成り立っていると言う事を知らなければいけないです。
メンテナンスにも人の命をかけ
修理にも人の命をかけ
事故が起これば、原発の建つ周辺の住人は戦々恐々とし。。。
廃炉となる原子力の処理にさえ命を掛ける必要があります。
そんな風にして作られたエネルギーを
私達は消費しています。
しかし、それは本当に私達の望んだ事でしょうか?
繰り返しますが、
推進派と反対派が詰めた議論をする場は、未だかつてありませんでした。
原子力発電と言う国策に携わるマンモス企業が
権力を振りかざし
札束で原発建設地域住民の頬をはたく様な事をして来た結果です。
議論に議論を重ねて選んだ結果ではありません。
今、東北や北関東では被災に遭った人達が大変な思いで生きています。
「今、議論する事ないでしょ。」
「今は復興に力を注ぐべきでしょ。」
そんな意見があるのも重々承知しています。
友人からも同じ様な非難を受けました。
いや、今はしないでくれ、とお願いされました。
しかし私は断りました。
「今」じゃないとダメなんです。
彼女を傷つけてまで主張をやめずにいる私が、今出来る事。
それは、自分の立場を明確にし
人々の関心が集まっているうちに、問題を認識してもらう事。
そう思って、思い切って書いてしまいました。
長文になってしまって大変申し訳ないです。
私が今一番言いたいのは
みんな原発に反対の声をあげよう!と言う事ではないです。
だって、原発の専門知識もなく、科学者でもない
一般人の私が、都市伝説みたいなモンを信じてるだけ、と思われても
仕方がないって事は十分認識してます。
ただ、一度暴走してしまったら
沢山の人の命が危険に晒されるのが原発なんだ、って事は
今回の事件で多くの人が感じたと思います。
だったら、議論をして欲しいのです。
推進派と反対派が、皆が分かる場所で、皆の意見が反映される様な形で
今度こそ議論をして、国民が選ぶべきだと思うんです。
今までテレビのCMで見て、なんとなく原発がクリーンで
原発がないと日本の電力は賄えない、と思ってる人は
逆の意見をネットで検索してみて下さい。
それでも原発が安全で必要と思えるなら、その立場で議論しましょう。
毎日使う電力の事です。
被災地で苦しんでる人達を見守るしかなく
闇雲にボランティアに行くこともできず
何も出来ずに悶々としてる人は
考えてみる事も、出来る事の一つではないでしょうか。